懐かしい用語『ポストモダン』
今ではほとんど使われなくなった言葉に『ポストモダン』という用語があります。
直訳すれば『近代以降』ですが、1960年代に建築関係で使われはじめ、1980年代後半には様々なジャンルに広がりました。
1965年に生まれて1980年代後半に大学生活を送ったわたしは、その用語が使われていた時代の学徒でした。
ひとことで言えば、『ポストモダン』は『近代』的な呪いから逃れようとする試みです。
その呪いとは『新しくなければならない』という脅迫観念。
古いものにも呪いはありますが、新しいことも人を責め立てます。
「止まることは死を意味する」といった脅しです。
ただし、すべてのものは古びます。
『新しくなければならない』という命題自体が、時代の移り変わりによって『新しくなくなった』ことが、ポストモダンの引き金でした。
「過去のものだって、柔軟に取り入れればいいじゃん」というのが、その精神の明るさです 😊
現在、『ポストモダン』という言葉が使われなくなったのは、「流行らなくなった」からもありますが、「当たり前の感覚になった」からもあるでしょう。
さまざまな時代の作品をアトランダムに楽しめる現在では、『新しい』と『古い』は決定的な対立項ではなくなりました。
では、現代における強い対立項とは何か?
個人的・感覚的な見解になりますが、たとえば『静』と『動』かなぁ、と思います。
言葉を変えて言えば、『動かないこと』と『動くこと』。
『古い』『新しい』と似ていますが、新しさに対する固執は『動かないこと』です。
一方、歴史の探究は動かなければできません。
もちろん、両者は絡み合いますし、そもそも『二項対立』自体が古いよね、という見方もできます。
思考停止の落とし穴に気をつけながら、いらぬ葛藤を産まないことも大切ですね。
そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?