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生まれた時にビデオはありましたか?

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パソコンもネットもスマホも
大きく人間社会のあり方を
変えてきましたが、

それらに勝るとも劣らない発明品が
ビデオデッキです。

 
むしろ
『時間意識』の変化要因としては
ルネサンス以来、
最大級の発明と言ってもいいでしょう。

現在では
個人的な楽しみから
YouTubeなどによる配信まで
動画は多様な展開を見せていますが、
 
1974年以前には
ほとんどの人が
『自分で動画を保存できる』とは
考えていませんでした。

そう。
 
1975年は、
日本で最初の家庭用ビデオデッキが
発売された年だったのです。

あらためまして

時代の迷子をやさしくみちびく
人を大切にする経営道の地蔵こと
スギオカです 😊
 
 
さて、今では
あまりにも当たり前になっているので
『動画を保存できなかった』時代を
イメージするのは難しいかもしれません。
 
それは、
人が空を飛べなかった時代や
遠くの人と電話で話せなかった時代を
思い浮かべるのと似ています。

しかし
1974年以前に生まれた人は
一定期間
『見たいテレビ番組や映画を
 見られずれに、我慢するしかなかった』

体験をしています。

そのことが
時間意識に大きく影響しているのです。
 
 
 
正確には
1975年に発売されたビデオデッキは
すぐに普及したわけではなく
多くの家がビデオを買ったのは
1970年代が終わるあたりからでした。

一方、人も生まれてすぐには
まわりのことはわかりません。

3〜4歳から
家電の操作を覚えていくとすれば
1975年以降に生まれた子供は
『生まれた時からビデオがあった』
感じになります。

デジタル・ネイティブという
言い方がありますが
それにならって言えば
動画・ネイティブですね。

ともかく、問題は
(わたし自身も含めて 😊)
『見たいことを我慢していた』
世代です。



ビデオ登場以前の時間意識は
『見逃せない!』という感覚に
強くひもづいていました。

目の前の光景にせよ、
テレビ番組にせよ、
見逃したら、それで終わり・・・

つまり、
『一回性』という意味で
強い時間の緊張感がありました。


一方で、
テレビ番組自体は
お決まりのパターンをくり返す
周期性の高いものが
少なくありませんでした。


善いか悪いかは一旦置くとして
ビデオ登場以前の時間意識は
今とはずいぶん違っていたわけです。

関連して
たとえば『記憶』に対する執着も
強い傾向を持っていました。

『覚える』ことや
『所有する』ことに
大きな価値を置いてたんですね。

そりゃぁ、そうです。

録画ができないので
アニメなどの歌やヴィジュアルは
覚えるしかありませんでした。
 

勢い、記憶力に重きを置き
それを競いあいました。
 
 
そうした文化的コンテクストは
勉強の仕方にも関係します。
 
以前の勉強は、
記憶力重視でしたが、
今では、
ものの考え方や捉え方
あるいは、情報リテラシーが
大切になっていますよね。
 
 
 
あるいは、
記憶に価値を置く裏返しとして
形として持っておけるモノに
強い安心感を覚えることも
その世代の特徴です。
 
車の所有意欲と
現代的なシェア感覚の違いなどは
わかりやすい表れだと言えるでしょう。
 
 
そうした傾向の違いは
『こだわり』という言葉に対する
語感にも見られます。
 
旧世代は
『頑固オヤジのこだわり』
職人的な美徳として称えがちですが
それって
ただの無愛想だったりしますよね 😃
 
価値自体が
無くなったわけではありませんが、
『こだわり』には
動きを止めさせる負の面もあります。

プラスとマイナスの両面があると
新しい世代は捉えているわけです。
 
要するに、フラットなんですね。
 
 
 
まぁ、
ラーメン屋の店主が
無愛想なくらいだったら
大きな問題ではありませんが・・・
 
辛いのは
家庭や職場での世代間ギャップです。
 
 
1974年以前の
消費経済的発想にとどまっていると
リサイクルや自然エネルギーへの傾倒が
深いところでは理解できません。
 
化石燃料世代は
枯渇の不安を常にかかえながら
『圧力』でモノやコトを動かしがちです。
 
一方、新しい世代は
もっとクリーンで理にかなった
再生可能なエネルギーを好みます。
 
 
社会的に見ても
環境問題への関心が高まったのは
1970年代でした。
 
まさに1970年
ニクソン大統領が年頭教書で
「1970年代は
 アメリカ人が大気、水、生活環境を
 きれいにすることで
 過去の借金を払う時代になるだろう」

と述べました。

そのあたりが、
リサイクル運動の本格的な開始です。
 
 
ビデオデッキにからめて言えば
『再生』という単語が
動画を見る行為に使われていることは
とてつもなく象徴的なんですね。
 
リサイクルという意味はもちろん
ルネサンス(=フランス語で「再生」)
にも通じるからです。
  
 
 
さて、
そうした世代間ギャップが大きいと
職場ではいろいろな不具合が発生します。
 
通常業務はもちろん
事業継承だってうまくいきません。
 
日本の後継者問題は深刻ですが
『何を継がせようとしているのか?』
大切なんですよね。
 
 

では、
世代間ギャップに対して
どうしたらいいと思いますか?


旧世代にとっても
新世代にとっても
大きなメルクマールである
1970年に起きた変化を知ることは
重要なきっかけです。
 
何故なら
そこにわかりやすい断層があるからです。
 
断層の
あっちとこっちを比べれば
何が起きているのかが
イメージしやすくなります。


また、
不安や恐れは
『知らない』ことから生まれます。
 
正体がわからないから
ススキがお化けに見えるんですね。
 
 
新世代にとって旧世代が無愛想に見え
旧世代にとって新世代が軽く見えるのは
お互いに知らないことが多いから
とも言えます。
 
 
 
特に、
『くり返し』を善しとした
穏やかな旧世代文化と
『くり返さない』ことに価値をおく
新世代文化の相互理解には
丁寧な分析と解説が必要です。
 
一般的には
新しいチャレンジが奨励されますが、
それがなかなかできないことには
深い文化的理由もあるんですね。
 
わたしが自己啓発分野の教育や指導を
いささか荒っぽいと感じるのは
『大切にしたい記憶』への愛情に対して
無頓着だからです。

思いが固執やこだわりになっていくのは
それが悪いものだからではなく、
むしろ美徳だからなんですね。

守りたいものがあるからこそ
新しさに踏み出せないわけです。
 
 
 
なお、
この問題に関する詳しい考察で
マガジンを1冊制作していきます。

『モダンの5つの仮面』
というタイトルです。

日本のモダンは
本家ヨーロッパ的な『顔』ではなく
独自の『仮面』だという指摘を
タイトルにしました。
 
簡単な解説を記事にしましたので、
ぜひご覧ください。

 
早く行きたいなら一人で行け
遠くへ行きたいならみんなで行け

みんなで行くには進め方が大切です 😊




最後までお読みいただき
ありがとうございました。
 
 
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