03/選べることの喜びと苦悩
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【記事のポイント】「見たい番組を見られない」という不可能性に対する絶対的な諦めが、わたし(たちの世代)には原体験としてあります。それが、わたしの感じる文化史的なメンタルブロックです。
第1章/3. 他律と自律
キリスト教絵画を記憶から記録の側へ大きく動かしたのは、リニア・パースペクティブという技術でした。
線的遠近法と呼ばれる透視図法。
そして、その技術の正当な末えいであるテレビを記憶から記録の側へと押しすすめたのは、ビデオデッキという記録装置でした。
身近にビデオが出まわり始めたのは、わたしが中学生の頃。
『機動戦士ガンダム』や『未来少年コナン』が再放送で人気をはくしていた時代でした。
西暦で言えば1970年代末期にあたります。
それまでは、テレビとカセットを接触の悪いコードでつないだり、家族に静かにするようお願いしながら直接テレビの前にカセットを置いて番組を録音したものです。
同世代の人には似たような記憶があるのではないでしょうか。
中には、テレビの写真を撮る人もいましたね。
記録にも一定の努力が必要だったのです。
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