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現場のリアル

けテぶれチャンネルが始まりました。皆さんおはようございます。パーソナルディールの葛原祥太です。このチャンネルでは全国の子どもたちが自ら考え、自ら学び、自ら生きられるようになるための教育論についてお話をしていきます。教育について、もう一度考え直したいことがありましたら、ぜひ聞いてください。

今日は週明け月曜日の収録になっております。この放送がいつ出るかわかりませんが、金曜日に日付が変わるまで、同僚の学年の先生と喋って、家に帰って寝るのがもう2時ぐらいになってしまって。夜更かしするのは本当に苦手で、土日は6割ぐらい眠いという状態を引きずりまして、今日もまだすっきりしないというのは本当に嫌ですね。早起きができないと本当にダメなんです。

それで午前中は起動できずに申し訳なく、土曜午後に子供たちと講演に行きました。そこでパパ友がいて、パパ友とだらだらと喋っていたのですが、そのパパ友が何とけテぶれ実践者だということで、しかも中学校の先生ということで、なかなか盛り上がりました。

現場のリアル

普段発信をしていると意識の高い方が来てくださいます。勉強会に来られる方もそうですし、オンラインでもツイッターを開いてまで仕事に関係あることを求めようという人は非常に稀有です。発信していると、そういう方が私の情報をキャッチしてくださるので、どうしても先進的な、すごく進んだ話が聞こえてくるわけです。

一方そのパパ友はかなり田舎の地方で勤務されているのですが、そういう方々の現場のリアルな話を聞くと、もっと大変な状況が見えてきます。そのパパ友は中学校でかなり異動も経験されている方で、地域のことはかなりよく分かっているとのことです。その地域の状況を聞いた時の絶望感というか、「それどうしたらいいんでしょうね?」という話です。状況としては私が想定できている状況よりもさらに困った事態が発生し、渦巻いている。そしてそういうバランスで循環してしまっている地域というのがあるような気がします。

頑張る=損?

中学校の先生なので、中学校に入ってきた時点で既に望ましくない状態になっているという話です。一言で言うと、今回の話で言うと「努力の価値」についての話です。頑張ることへの価値観が本当に総崩れ状態という話です。頑張るイコール損なんです。努力するイコールバカなやつみたいな話のノリで、自分の気持ちいいところというか楽できる場所にひたすらに向かおうとする。そしてそこから出てこれない。それがさらに言うと、他者の自由を損害するようなレベルでの自己中心的な行動に対しても罪悪感というか悪の意識を全く持てない、何が悪いのかわからないという状態です。

具体例で言うと、中学校で授業をしている時に「暇だから」という理由で教室を抜け出し、友達がいる他のクラスに授業中なのに普通に入っていって話し始めるそうです。なぜそんなことをしたのかと聞いたら、「授業が暇で隣のクラスに友達がいるから友達のところに行きました。何が悪いかはわかりません」という感じなのだそうです。

そういうバランス感覚で結構みんなが落ち着いてしまっているような状況があるらしく、必ずしも決められた場所に座っていることだけが正解ではないため、全部を見てみないとそれが一概にまずい状況なのかはわかりませんが、何か世界は変わってきているような感じはします。

そういうのは実際に見ていないので、想定の外側の事態でした。たとえSNSで広域に交流していると思っていても、実はわたしたちの観測範囲というのは実はすごく狭くて、自分が自明と思っている文脈の中にしか実は変化の状況というのを見ることができていません。そういうところから外れた現実を違うチャンネルから受信したときに、かなり「あー、そうか」という世界を垣間見るわけです。

頑張ることは本当に意味がないのか

努力の価値が全くないとか、勉強には全く意味がないとか、かっこ悪いとか、そういうのって本来の人間が持っているような感覚ではない気がするんです。確かに楽したいし、楽な方向に行きたいという人間の思いは本来的に持っているものかもしれませんが、なぜか学ぶ喜びとか学ぶ楽しさとか、努力の先にあるものというようなことって、本当にそこまで人間として捨ててしまっていいのでしょうか。

本来持っているものを捨ててしまっているような気がします。持っていないものならしょうがないかもしれませんが、持っているのに捨てなくてもいいのではないかという感覚があります。

ここからはいつもの放送のような内容になってしまいますが、公教育の話です。本当にその子たちが幼稚園時代から、もしくは1歳、2歳、3歳の時から努力は意味がないと思っていたでしょうか。試行錯誤やチャレンジはしょうもなくて、もうやる意味がなくて、ただただ楽な方向でダラダラしていたいということを1歳からその子は思っていたでしょうか。

もしくは幼稚園の時に、跳べば目の前に出たときに、「めんどくさい、それよりも俺はこのふわふわのクッションの上で一日ゴロゴロしていたいんだ」というような反応を全員が示すでしょうか。そういう子はいてもいいです。でも、そういう子もずっとそういう状態でありたいのでしょうか。何かがパッと出た時に、例えば虫が来た時に虫に対してぐっと興味が湧いたり、お絵かきとか、もしくは理科の実験道具とか、何かにぐっとなる瞬間というのがどこかしらにあるのではないでしょうか。

そして小学校に入った時に、何かできるようになる喜びとか、そういうものに全く縁遠いという人たちではなかった気がします。わかんないけど、人間って、そういう生き物じゃないですか?

学校の影響はやはり無視できない

そうなった時に、やはり学校がつくる環境の影響が大きいのではないかという話です。結局、小学校が努力するイコール損みたいなことを学習する場になっていませんか、という話です。なっているんです、多分。ここです。ここで全員をそうさせてしまって、この地域の子は終わっているみたいな。おかしくないでしょうか。

もう本当に地域で人材もぐるぐる回っているらしく、大きくなったらまた地元に帰ってくるという話らしいんです。そうなると価値観自体もかなりそこで循環してしまうので、その起点が負の価値観の生産工場となって、その入り口であり生産第一ラインが小学校なのではないか、という話です。

本当にそれを、その方はけテぶれに反応して付き合ってくださっているぐらいの教育観というか感度ではあるので、いっぱいやってあげたいこともあるという話なのですが、なかなかやはり厳しいです。中学校に入って、学力的にも環境的にもかなり厳しい子たちに対してアプローチするには、もう非常に手間と時間がかかります。やれる子はやれるのですが、波及効果がかなり厳しいという話をされていて、私もそうだろうなと思います。

主体性の幹を折らない教育を。

そのマインドセットというのが6年間でカチッと固定された状態で上がってくるわけですから、それは厳しいでしょう。今、小学校3年生を2年連続で担任していますが、大事だなと思います。この辺の時代、本当にまだ瑞々しくその子の頑張り意欲とか好奇心とかが破壊されない状態で、その好奇心とか達成の意欲とか自己効力感、つまり自分はできるということですね、という感覚をちゃんと育ててあげるというのは、人の成長、人の発達において非常に大切だなとこの時期を見て思います。

3年生って集団の中に保存されている考え方とかに本当に敏感にキャッチして、それで自分を規定していくような時期なんです。多分ここで、頑張るってしょうもないことだとか、学校ってくだらない場所だというような文化とかノリみたいなのがやはり出てきてしまうのがこの3、4年生で、それに浸ってしまうともう本当に見えてくる社会を自分の周りに、そして自分を「俺は頑張れないやつだから」みたいな、本当はそうじゃないのに、社会的に規定された自分から出られなくなっていく。

理想像として、面倒な環境からいかに自分を逃げ出すかということを価値として規定して、それができている子がかっこよくて、というようなことをもう感じる年齢ですね、3、4年生で。そこでがちっとなってしまうと「あー、そうだよね、そうだよね」となってしまうと、なかなか方向転換は難しい。6年生とかならまだあり得ますけども、年を重ねるごとにどんどん難しくなってくるでしょうね。

6年生までは担任経験があるので、そうなるとまだ希望はあると思ってしまいます。それは経験があるので、6年生いきなりとなってもそれなりにその子の中に火を灯せるような感覚はありますが、どうでしょうね。でも、そうか、私も飛び込み6年生の経験はないんです。全部持ち上がりなので、飛び込み6年生になるとまた少し感覚が違うのかもしれません。

そういう話で、やはり私はここが気になるんです。つまり公教育という目線が私の中では外せないというか、おかしいじゃないかという思いです。問答無用に集めて入れさせられて、その場で何を教えられているのか、ということです。ここがちゃんと変わっていかないと日本がダメになるというか、もう本当に日本がダメになる…。

そういう大きい視点とともに、もうその子が、めちゃくちゃかわいそうなんです。その子が本当にワクワクして生まれてきて、幼稚園、小学校と、小さい頃、お父さん、お母さんに大事に育てられて、いろんな環境あるだろうけれども、それでいて前向きに小学校入る時に「これから勉強始まるんだ」みたいな、「今日頑張るな」みたいな立ち位置が、軒並み「勉強って…」みたいな感じで撃沈していくのは、本当にかわいそうなんです。

本当はけテぶれ新年度準備みたいな話をしたかったんです。そう思って喋り始めたんですけど、週末の話からこんな話をしてしまいました。なのでこれは通常回というか、もうお楽しみ会みたいな感じで出そうかなと思います。月曜朝はちゃんと予定通り新年度の準備みたいな話をしたいと思いますので、これはどこか中途半端なタイミングで出そうと思います。ではまた次の放送で!バイバイ!

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