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学びに向かう力をつけた子どもたちの姿
新刊出ます
葛原学習研究所の所長を務める葛原祥太です。このチャンネルでは、全国の子どもたちの自己学習力を育成する実践けテぶれQNKS心マトリクスついてお話をしていきます。
筆算の学習
今日は算数で、筆算の二桁×二桁、もしくは三桁×二桁の単元について話します。苦戦する子は本当に苦戦していて、なかなか難しい状況です。アルゴリズム的、手続き的に難しく、やっていることはわかるのですが、それを繰り上がりで少しずつの掛け算の計算結果でも繰り上がりがあり、最後の足し算でも繰り上がりがあります。また、桁をずらして書かなければいけません。ゼロを書かないでよいと言われることもありますが、本当はゼロを書くことに意味があります。意味理解が先というか、意味理解の上にちゃんと納得してゼロを外したいわけです。
初めて掛け算の二桁×二桁に出会う子たちがクラスの半分くらいの割合です。残りの半分は既に習得しているような状態です。でも意味理解となると既習の子たちもかなり怪しい。そこで、教科書を一つずつ全部読んで、ここまではわかった、ここの言っていることを今から理解しようとする、という学びが展開されています。
手続きなので教えてしまえばすぐ済むのです。これをたくさんやればいいと言って、計算ドリルや宿題をたくさん出して解かせれば、みんなできるようになります。でもそうではない、そういう学びではない学びをしているのです。
テストのタイミングを自分で決める
今回の単元は、初期からかなり習熟度の差があるので、単元末テストのタイミングもこの単元は自分で決めていいということにしています。まだ習熟が不十分なら、このテストは四年生になるまでの間に受ければいいから、後ろ倒ししてもいいですし、逆にもう早い段階からこういうことをやっていてすぐに解けるという場合は、前倒しにしてもいいという感じで、テストのタイミングをばらつかせているのです。
つまり、自分がテストを受けられると判断できた時に受けてくださいということです。よくわからないのに受けてボロボロになるのは困ります。いけると思った時に受けてくださいという話です。最終のカラーテストをする前に、教科書のけテぶれとドリルをやれば、どの問題も確実に解けているのか、それともまだ穴があるのかということは、自分でけテぶれを回せばわかるわけです。
小テストが三枚あります。いけるとおもったら、まずこの三枚の小テストを受けてみてください。教科書でいけると思った時に小テストを受けると、その「いける」という感覚が本物だったかどうかがわかります。小テストがサクッと全部百点取れたということなら、ほぼ大テストに向けての実力がついているから、単元テストを受けていいでしょう、という判断基準にしています。
ある子の学び
今日、女の子が一人小テストを受けました。それなりにいけると思って受けたわけですが、その結果が結構ボロボロでした。そこで言ったのは「甘すぎる」ということです。ちょっと厳しいかもしれませんが、もう本当にこれが受け取れるだけの段階になってきましたから言いました。今日は「この程度の理解で何で小テストを受けるの?」という話です。教科書とドリルの問題を解きながら自分でけテぶれを回せば、今自分が小テストにチャレンジできるレベルかどうかは、自分でわかるはずです。
数問の間違いやケアレスミスならわかりますが、ここまで間違えるのに、もうテストを受けてしまったということは、教科書とドリルを使ったけテぶれの質が非常に心配です。そこにちゃんと向き合って本気でやって本気で丸付けして、その結果を分析して足りないところを練習するということが、おそらく今回の単元に関しては回っていない、失敗しているという状態が見受けられます。
だからちゃんとドリルもしくは教科書に戻りましょうという話をしました。小テストも何回受けてもいいので、今回のテストも分析したらいいのですが、今日いろいろ間違えたところから分析すれば、どのページを勉強し直せばいいかがわかります。今回のテストもけテぶれの一環としてやったらよいのです。
全然甘かったということがわかったから、もう一回勉強して次こそはいけるということを、教科書とドリルのけテぶれで、しっかり基盤固めをして、小テストで結果を出す、ちゃんとできるということを確かめてください、と言いました。
やり取りを見ていると、他の子たちが一緒に分析してあげて、「こういうところでこういうミスだよ」「あなたのミスはここだよ」「抽象化すると傾向としてこういうことがわかるよ」というところまでアドバイスできていて良いなと思いながら見ていました。とても器用で賢い子でしたが、こういう経験から、学び方というか、しっかりけテぶれ、学ぶってどういうことかということを一緒に再確認できた瞬間だなと思って嬉しく思いました。
またある子の学び
もう一人紹介したいことがあります。その子がどういう子かというと、わからなかったら「うわー、できないなー」となってしまい、なかなか大変で、わかりなさに向き合うことが難しかった子です。学力もそこまで高くないので、この掛け算、二桁×二桁の掛け算、三桁×二桁の掛け算とか、もうややこしくてわからないのです。
最初は本当にズドーンとなってわからない、無理になって一旦投げ出して、でももう一回再起してやって、ちょっと道が見えつつ「先生、これで合ってる?」と持ってきたものがまた全然違っていて、「いや、違う、これはこうなって、こうなって、こうなんだよ」と言って、もう一回やってみて、また間違えて、本当に繰り返していました。
その子は図工が得意で、図工は3,4時間目だったのですが、得意であるがゆえに、みんなよりも早く作品づくりを進められていました。そういう背景もありつつ今日その子は『図工をやらない」という判断をしました。今日の時間割が国語、算数、図工という感じだったのですが、二時間目の算数から休み時間もぶっ通しで給食まで掛け算をやっているのです。その中で少しずつできるようになって、「先生これ!」と持ってきて、何回も丸付けをして、「いや、ちょっと待って、これできるじゃん」となって、「わかってきた!」と満面の笑みになって、「先生見て!ここからここまでね、もう本当にバツだったんだよ!」と言って、くしゃくしゃの教科書を持ってきて、「でもね、ここ合ってた?」と言って、嬉しそうな笑みを浮かべるのです。何という素敵な瞬間だろうと、もう涙が出そうになりました。
学びに向かう力
これが掛け算の筆算の学習で起こっている事なのです。筆算なんてパソコンがやってくれるじゃんといって向き合わない世界の対極のような世界ですよね。できなさ、分からなさにもうめちゃくちゃ向き合って、一つずつ悔しいけど、投げ出さずに諦めずに挑戦し続けてできた。「これがこうなって、これがこうなって、こう、合ってる!」と先生に見せに行って、先生と友達と一緒に喜ぶ。本当に泣きそうだったというのが、また三学期にこうやって、熱い学びというのが見えて本当にすごいなと思うわけです。
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クラスの半数くらいは本当に苦戦しながらやっています。この子だけじゃないのです。「わけわかんない」と言って、「まず絶対教科書見ないと、これはわかんない」と言って、一つずつしっかり読んで組み上げていく、認識を組み上げていくということができている子が本当にもう全員です。もう停滞してしまって、学びから逃避してしまっている子がゼロ人ですから、この状況はたくましい、頼もしいなと思います。もう「算数の勉強意味ない」とか、もうそういう次元ではありません。「学びに向かう力」とはこういう学習環境の中でこそ育つのではないでしょうか。そういう姿が出てきていいなと、今日の算数を思ったという話でございました。
学びの木徹底解説やってます↓
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