13歳からのアート思考#4
noteの読書感想文の課題図書でもある『13歳からのアート思考』という本を読んだのでまとめと感想です。
ページ数が多いため分割して記事にしています。
・13歳からのアート思考#1
・13歳からのアート思考#2
・13歳からのアート思考#3
よかったら以前の記事も読んでみてください。
アート作品の見方とは?
みなさんはこの絵をご存知ですか?
ワシリー・カンディスキーのコンポジションⅦという作品です。
この作品はなんと『具象物』を表してはいなく、『抽象画』なのです。
コンポジションⅦは西洋美術史上初の「具象物を描かない絵」だそうです。
これを読んだ時には驚きました。絵とは何かをイメージしたり題材に合わせて描いているものだと思っていた私は、「抽象画!?」そんな考え方もあるんだと驚きました。
ではなぜカンディスキーはこの絵を描いたのでしょうか?
それはクロード・モネの『積みわら』という作品を見て、何が描かれているのかわからなかったそうです。当時としては斬新な絵の描き方だったためカンディスキーはこの絵に惹かれました。
『なに』が描かれているのかわからなかったのに惹きつけられたのではなく、『なに』が描かれているかわからなかったからこそ惹きつけられたのではないでしょうか
著者はこのように綴っています。
その結果カンディスキーは「具象物」が描かれていない絵を描いたのです。
アートは人それぞれの捉え方があるのだと改めて感じました。その度に学校では「独創的」ではなく「同じように」描くことが重要視されていたような気がします。
鑑賞者とともに作り上げる作品
千利休のとあるエピソードです。
利久の庭には見事な朝顔が咲き誇っている話を、秀吉が聞いたことから始まりました。「見せてもらおうか」と利久の朝顔を見に行くこととなったのです。
普通であれば、当時の天下人である秀吉が訪れるまでにしっかりと手入れをしたりしますよね。しかし、利久は真逆で全ての朝顔を摘み取ったそうです。
不思議に思った秀吉が茶室へ入ると、一輪の朝顔が生けられていました。
普通に咲き誇っている庭を見せれば、「素晴らしい」となるだけですが、摘み取ってしまった『空白』の庭と『一輪の朝顔』を見せられたらどうなるでしょうか?
それは、残った一輪の朝顔から想像します。この空白の庭に咲き誇っていた『現実以上』の朝顔が広がる庭をです。
このエピソードを読んだときには痺れました。自分には全く想像も出来ない方法で人をもてなし満足させる、さすがは利久だなと感じるエピソードです。
作品とのやりとり
利久の朝顔エピソードにもありました『空白』を使うことで、見た人の想像力を使った魅せ方には驚きました。
そもそも自分が見た時に、空白があることで『想像』したかと考えてみればわかりますが、私はしなかったと思います。作品を自分だけの視点で観ていないからです。
完成されたのをそのまま鑑賞するだけではなく、自分の中に落とし込んで感じたことに「なぜ?」「どうして?」などと想像を膨らませることで、アートとして捉える第一歩となりそうですね。
次回はアートの『常識』ってどんなもの?について書いていきます。