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技術の進化を人間の退化としないために

 アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジ。

 ここはもともと、イギリス国教会に属さないピューリタンが入植した地域で、ハーバード大学は牧師を養成する学校だったそうです。

 ハーバードから MBTA の地下鉄 Red Line で2駅離れたケンドールには、マサチューセッツ工科大学もあり、現在では世界に名だたる学園都市となっています。そのため、ハーバード周辺は入植当時を思わせる、ルネサンス様式やバロック様式の建物と、近代的な建物が混在して立ち並ぶ、不思議な街並みとなっています。

 以下の写真は、ハーバード大学とその周辺の風景です。

 もともと神学校であったこともあり、大学の中や周辺には、教会が沢山ありました。

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 ちなみに、この建物の地下はパブになっていて、この日は学生が何かのパーティーを開いているようでした。なんか、日本の大学ではとても考えられないですが、大学の位置付けが、日本とは全然違う感じがしました。

 ハーバード大学自体が、ボストン周辺の観光スポットにもなっていて、多くの観光客がキャンパス内で記念撮影している姿も見かけます。

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 こんな風に、時代を感じさせるような建物のすぐそばに、近代的な建物が隣接している箇所があります。

●消費電力4kWの機械式計算機

 カバー写真は、ハーバード大学のサイエンスセンターに展示してある、「自動シーケンス制御式計算機」の現存する一部分です。

 アメリカのコンピュータエンジニアである、ハワード・エイケンが考案し、IBMが制作してハーバード大学に納入された、アメリカ初の電気計算機だそうです。当時は船舶の計算などに使用されていたそうですが、スイッチやリレー、歯車など、実に七十万点以上の部品を組み合わせて作られ、その駆動動力はなんと、約4kWにもなるそうです。

 右奥に操作パネルがあるのですが、どう演算するのか、ちょっと見ただけではわかりません。24×60個のスイッチから数値を手動で入力し、演算命令は別途、穿孔テープから読み取らせる方式だったそうです。

 余談ですが、コンピュータのアーキテクチャで、「ノイマン型」と「ハーバード型」というのがありますが、データと命令の入出力経路が独立しているものが「ハーバード型」で、この装置から来ているそうです。

●昔の人の能力の高さ

 この計算機を考案したエイケン氏はもちろん、当時計算機も無しに、この装置の設計にあたった技術者の能力の高さと、根気の強さにただただ感銘を受けるばかりです。

 製作にしても、当然、コンピュータ制御された製造装置など、当時はありません。完成したとして、使いこなすにも、人間が機械語と2進数演算を完全に理解していない事には、難しいでしょう。

 建築にしてもそうですよね。ローマ建築などに見られる、美しい曲線を描くアーチや屋根の形状など、現在でも作るのには高い技術が必要です。

 日本のお城もそうです。コンピュータも無ければ、CADの設計図も無い。レーザー水準器や測量機器も無ければ、重機も無い。そんな環境で、どうやってあの美しい曲線の石垣を積み上げたのか、あの天守閣の屋根を作ったのか、とても不思議です。

 科学技術が進歩し、計算機すら使う機会もほとんど無くなり、建築もロボットで行おうとしている現在、どれだけの人が、このような仕事を成し遂げる事が出来るでしょうか。

●テクノロジと人間の能力の相克

 これまで起こってきた産業革命は、主に人間に代わる、またはより能力の高い自動化装置の発明でした。

 最初の産業革命は、蒸気機関です。石炭などのエネルギを利用し、人間よりはるかに強い力と持続力で、生産性を向上しました。

 第二の産業革命は、電気機器です。電気による産業革命の本質は、エネルギの可搬性の向上と自動制御です。

 蒸気を作る燃料を人間が運ぶ代わりに、電線を張り巡らす事で、エネルギを供給できるようになりました。また、エネルギを生み出す機械でさえ、燃料供給など直接人間が操作せずとも、スイッチ一つで自動で行えるようになりました。

 そして第三の産業革命は、コンピュータと通信です。ここで、革命の本質が変化しました。

 それまでは、人間の力や体力といった、肉体的な限界を超える能力で、それを必要とする労働に代わるものでした。しかし、コンピュータや通信というのは、どちらかというと人間の思考や言葉と言った、頭脳的な限界を超えるものです。

 さらに第四次産業革命である、AIやIoT。これは、これまでの機械に思考や判断、そしてコミュニケーションをさせて、自律的に動くシステムの開発です。

 この過程で、人間が発揮すべき能力や、行うべき作業が減っている事は事実です。テクノロジが進化すると、人間が「ただ生きていくため」に必要となる能力は、不要となっていくのです。

●シンギュラリティが来ないからこそ問題

 シンギュラリティなど恐れずとも、これまでの産業革命で、仕事を失った人は沢山いますし、今後もそれは続くでしょう。

 「2045年に、AIの能力が人間を超えるシンギュラリティが訪れる」

などと言われています。しかし実際には、人間の思考能力を完全にコンピュータが超える事は、現在の理論では考えられない事です。

 それよりもむしろ、テクノロジの進化がじわじわと、人間の必要な能力を減らしていく事に、危機感を抱くべきでしょう。

 それでも、

「人間が必要な仕事はまだまだあるではないか」

と思うかも知れません。その

「人間が必要」

という「考え方や仕組み自体」を、人間が必要としているからです。

 コストを度外視すれば、我々の日常生活に必要な仕事をロボットに置き換える事は、技術的には既に「可能」なのです。政治や経済といった、「人間が作った仕組み」によって、人間が人間を必要としてるだけの話です。

 その前提に立った上で、

「人間が行う事の価値をどう高めていくか」

という事を模索していく必要があると考えます。

●人間の能力拡張技術に期待する

 これまでの話で、産業革命は

「人間を超える能力で、その労働を代わるもの」

という言い方をしました。しかし見方を変えると、その技術を駆使することによって、

「人間の能力では成し得なかったことを実現できる」

と言えます。つまり、

「技術の利用の仕方で、自分の能力を拡張する事が出来る」

可能性があるということです。

 インターネットによる検索も良い例でしょう。本や人から聞いた話だけでは、仕入れられる知識は少ないです。また、一人が記憶できる知識には限界があります。しかし、インターネット検索を利用すれば、全く知識が無い事でも、忘れてしまった事も、瞬時に知識をインプットすることが出来、誰に教わらなくても考える事が出来ます。

 今では動画で教わることも、VRにより疑似体験する事も出来ますよね。これらは、真っ先に教育に活用すべきテクノロジであると思います。

 現在のテクノロジの動向としては、この「能力拡張」に向かっているようです。具体的には、主に「身体能力」や「認知能力」の向上です。

 つまり、これまでの産業革命は、

「集団、または人類全体の能力拡張」

であったのに対し、これからの産業革命は、

「個人の能力拡張」

にフォーカスしていく事と思います。それは、時代の価値観の中心が

「モノや経済的な豊かさ」

から

「心や体験の豊かさ」

にシフトした事にもマッチしています。

 そのような中で、

「技術を学び、作る側になる」

にしても、

「技術を利用する側になる」

にしても、価値を「求められる」だけ、または「提供されるだけ」ではなく、自らが

「どんな価値を求め、また作っていくのか」

をこれまで以上によく考えていく事が、人間として豊かに生きる上で大切になってくると考えています。

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