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【元不登校児の母】#1~中学受験で傷を負わす~

ムスメが不登校になったことで、母としての自分自身を振り返るきっかけになりました。ムスメの中学受験、不登校、家族の崩壊と再生、新たな進路と不登校の卒業、私の退職について、これから少しづつ綴っていきます。

不登校を卒業した現在大学2年生のムスメから
私は働くママの背中を見てきたから、ママのようになりたい。」と言われ、報われた瞬間でした。

ムスメを沢山傷付けた時のはなしです。


自己紹介Nana 40代 関東在住
2024年4月に25年勤めた会社を退職
実母の介護と勉強に励む日々



1.何を学ぶかよりどこで学ぶかを選択したい

■ムスメに残すもの

子育てには決断を迫られるシーンが沢山あると思いますが、その決断が今後の家族のあり方にまで影響する場合、決断するポイントとはどんなところでしょうか。

我が家は、一人っ子なこともあり、それなりにお金と時間を掛けて育てていこうと考えていました。

ムスメに遺す財産は、金銭ではなく経験と学びと決めていたのです。

■女子だけの学びへの魅力

そんな折、図らずも中学受験に出会いました。
そこから、中学受験関連の本やネット記事を漁り、中学受験に傾倒していきました。
受験をするのはムスメなのに、ワタシが中学受験という魔物にのめり込んでいきました。

我が家は女子校選択しました。当時中学受験について多くの本を出版されている方の、ある本を手に取ったことからでした。
こんな環境で学べたら最高だろう。という気持ちが強くなり、その本に記載されている女子校のうちの1校が第一希望校になりました。
ムスメが女子校向きなのか、気にしてもいませんでした。

併せて、伝統校で学ぶことについてもその方の本に書かれている内容は魅力的で、自分では憧れても届かなかった未知の世界にムスメを送り出してあげることが、母としてのワタシの使命だと信じて疑いませんでした。

■半分は洗脳に近かった

そこから壮絶な中学受験戦争となりました。
自我が芽生えたムスメとは何度も衝突し、塾をサボる、宿題をしない、などが当たり前となり、右肩下がりの成績にピリピリする毎日となりました。
この時、ムスメの思いをちゃんと聞いてあげるべきでした。

その頃、ワタシは仕事で成果を残せないことに諦めの気持ちが強かったこともあり、ムスメへの過度の期待を通り越し、ムスメを通して自分の人生を再度やり直そうとしていました。

母からの過度な期待は言うまでもなく、ムスメのプレッシャーとなり、この頃から緊張すると腹痛を訴えるようになりました。

それでも、受験を辞める選択肢は我が家にはありませんでした。
それが正しいことだと信じて、疑うことをしなかったのです。

ワタシには立ち止まり、引き返す選択をする勇気がなかったのです。

2.中学受験で得たもの、失ったもの

■今この瞬間を大切にするべきだった

ムスメは貴重な小学校時代を「中学受験」に費やしました。
その後の充実した6年間のためには、多少の犠牲は致し方ないと思っていました。

ムスメは活発な女の子でした。友達や先生にも恵まて、生徒会としても活躍し、男女関係なく遊ぶような子でした。
中学受験をしながらも、ムスメなりに全力で小学校時代を楽しもうとしていたと思います。

子ども時代に感じるべきこと、経験するべきことを選択する権利をムスメから奪っていたことに当時は全く気が付きませんでした。

■もっと抱きしめてあげればよかった

ムスメは小学生らしい生活と、小さな背中に重たいリックを背負ってプレッシャーと戦う生活を、子供ながらに一生懸命バランスを取ろうとしていたのではないかと思います。

その数字に現れない「頑張り」を褒めて、抱きしめてあげれば良かったと、泣いた日がありました。

中学生になり、不登校となったムスメを無理やり送り出した日、通学途中のムスメと数時間連絡がつかなくなったことがありました。
ムスメを失うかもしれない恐怖に震え、半泣きで通学経路の駅を走り回りムスメを探しながら、それこそ死ぬほど後悔しました。

真っ白い顔で震えながら、「ママごめんなさい」と泣くムスメを駅で見つけたとき、自分の過ちに気が付きました。
あんなに元気で活発だったこの子を、こんな姿にしたのは自分だという事実をやっと認めた瞬間でした。

■頑張った事実自体は否定しない

中学受験とは、たった10年そこそこしか生きていない子どもが、人生を掛けて臨む戦いの場です。
親子受験といわれるほど、親も子も必死です。
今でも、冬になると駅に貼り出される中学受験の応援ポスターに、目頭が熱くなります。

小さな背中を押して、頑張れと送り出したあの貴重な時間自体を否定する気は全くありません。
合格発表で嬉し泣きしたこと、制服を着た姿に感動したこと、お琴が弾けるようになったと自慢げに報告してくれたこと、礼法のお免状を誇らしげに持って帰ってきたこと、生け花のお花を新聞紙にくるんで雑に持って帰ってきて仰天したこと、突然軽音部に入って驚いたこと、校則を破って反省文を書かされたこと、短かった中学生時代だったけど、沢山の感動と笑いをくれたムスメには感謝しかない。

■子どもの人生を親の人生に重ねてしまうということ

我が子に期待し、𠮟咤激励するのは親の愛情であり、得意なことを伸ばしてあげたり、興味のあることに挑戦させてあげたり、そうやって子どもの成長を特等席で見守ることができるのが、親としての特権だと思っていました。

それは、「子どもがそれを、自身の意思で選択した場合」という、前提条件がついていることをワタシはうっかり見落としていました。
ムスメの人生はムスメのものである。というシンプルで重要なことがすっぽり抜け落ちていました。

ムスメの進む道について、先回りして手を差し伸べ、岐路では進むべき道を示し、障害物を取り除いて、道を平坦にならす、一見過保護なようでワタシの自己満足な子育ては反省すべき点で溢れています。

同じ過ちを繰り返さないことが重要だと思っていたのに、ワタシはその後また同じ轍を踏むことになります。


拙い長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。

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      2024年11月 Nana✿
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