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欲しい言葉は何?

人はいつだって自分が欲しい言葉を求めている。

そう思うのは、
何かを言われて嬉しいこと、言われて悲しいこと、
言わなくてよかったこと、言われなくてよかったこと、
そういうのが幾度となくあるからだった。

遠回しのSOSに気づいてる人は気づいてる。
遠回しの嬉しさに気づいてる人も気づいてる。
わざわざ遠くにしなくたっていいのにと思う人には、
そういう遠ざけたことはしない人なんだろうか。

何を言われても反発する、何を言われても気に触る、
でも何も言われないと反発する、また気に触る。
そんなの結局は自分都合なんだよなって思う。
言われたいだけ、言ってくれたらなって期待が重なる。

じゃあ無言に耐えられる?
それは想像が自分の中にどれだけあるかだと思う。
想像が喜びを生むのと同時に、
想像が苦しみをも呼ぶからだ。
少なくとも私にはスルースキルがあまりない。
”ないもの”として捉えられずに、”あるもの”として探す。
そうやって深掘りを始めるから、いつまでも想像の中。

会話の中に欲しい言葉を散りばめられる人もいるけど、
なぜか飛び交う中で拾い合うのが歌。
メロディも歌詞も無意識に自分の欲しい言葉を拾ってる。
たまたまなのか、必然なのか、そういう巡り合わせ。
欲しかった言葉、思っていた言葉、そのまま歌ってる。

同じ境遇ではないのかもしれないだろうけど、
なぜか不思議と重なる部分があって、共感し合う。
自分のこと知ってもらってる気がしながら、
相手のこと知りたいって思いながら聞いてる。
ああ、また気付いたら歌の話題になってて笑う。

言葉って何のために生まれたんだろう。
意思疎通、コミュニケーション、気持ちの理解、
必要だから備わっているもの。傷つけるためじゃない。
でも使わなかったら、誤解すら解けない繊細なもの。

どんな言葉に傷ついてきた?
どんな言葉なら嬉しい?
どんな言葉ならあなたを救える?

どれも難題で、一生問いてるような気持ちがした。

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