合わせたいと思える自分で
なんだかハッとする言葉に出会った。
苦しかったのは紛れもなく前者。
無理して合わせなきゃならなかったから。
気づいたら当たり前のように私が合わせるほう、
変わらされる方だと思い込むまでになっていた。
素直に感じたのはそこにいたら変わらなきゃいけないという意識だった。
そう理解できたらまた少しラクになった。
自分にならまだしも相手にまで必死でいなきゃいけないなんて、そりゃあ疲れるはずなんだ。
それは違和感?嫌悪感?それとも我慢?
力が抜けるような安堵する関係を望むのに、
かえって力まなきゃいられないような関係は辛い。
人に対してもだし、環境に対しても……
その一方で、私の好みの人になろうと
自ら変わろうとしてくれた人がいた。
私はそのままだからいいんだと思ったし、
変わらなくていいよと伝えた反面、
その気持ちがすごく嬉しかったことを覚えている。
もしかしたらこれが後者だったのかもしれない。
また、みんなが変わろうとしていく中で、
変わらない部分も大切なことだよと教えてくれた人。
変わらないためにいこう、進もうという言葉。
それが"らしさ"でもあり、"強さ"でもあること。
違う意味だけど、そんなとこにもリンクした。
自分が合わせたいと思える人。
それは変わることを強要されるのではなく、
自分がそうありたいと願えてこその気持ち。
そう思ったら、そう思わせてくれる人はきっと、
無理のない自分で特別な人になっていくんだろうね。
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