ゆるす、ゆるさない、とかじゃなくて、その人のしあわせを願うことについて
鬱病の話。
まだ、鬱病の症状等書くには、距離感が近すぎて、書き起こすことによってまた具合を悪くしかねないので、私の心の機微について詳しくは書かない(書けないが、正しいか。)
今回は、私の身体にあらわれたことに関してをフォーカスして書いていこうと思う。
鬱病と診断された、六年前は、足が動かなくなった。
動かなくなった!って書くと誇張しすぎかな。
身体からのサインはずっとあった、それを無視し続けたのだ。お腹がいたくなる、何度も風邪をひく、頭が痛くなる、下痢になる、とか、そういう身体の反応をぜーーーんぶ無視して、西洋医学のお薬漬けで、ブラック企業の職場に頑張って行ってしまうのだから、最終的に、膝をガクガクにさせた。
歩けなくなった。
腸は脳みそより賢いって最近よく聞くけど。この時の私の身体は脳みそよりも賢かった。
歩けなくなれば、仕事に行くことはできないのだ。
当時、月ヨガという、月の満ち欠けに合わせてアサナを変えるヨガをしていた影響もあってか、月経のサイクルが28日周期ぴったりだった。
残業100時間とかしてても、ほぼ満月ピッタリに月経が来ていた。新月付近に、排卵がおこっているのもなんとなくわかっていた。
だから身体はビンビンだったのだなと元気なってから懐古した。体重もベスト体重(BMIは20 体脂肪26%)だったし、栄養のとれた食生活をしていたし。
そして、精神科へいって、お薬を処方してもらうのだが、薬がまったく合わない、抗うつ剤を飲んだ方が動けない。これは一体どういうことか。
私の実母は、躁鬱病(双極性障害)で、私が生まれた時にいわゆるマタニティーブルーならぬ、マタニティハイになって躁病を発症して、その数年後に躁鬱病になった。
素人考えだけど、大きな躁を抑えることによって、大きな鬱を薬が作り出しているとするのなら、医者は結局、病気を増やしただけで、治してないじゃないか、
お医者様は一体何を治せるというの?
40年近く薬を飲み続けているけど、母は未だに症状はよくならず、どんどん悪化していっている。睡眠薬を飲まなければ眠れないし、時々、強制入院する。
え?自死してないだけマシ?本当かよ、それ。
お医者様が病気を作ってるじゃないか、
とすら、思っていたので、精神科の医師や、西洋医学の医師に対して、かなり懐疑的だった。
この薬を飲み続けたら私も母のように精神障害者になってしまうのではないか?
私にとって、精神科の薬を飲むことは一種のトラウマだったのだ。
だから、私は鬱病の薬を飲んでよけいに苦しくなったのかも。これもある種の、プラシーボ効果というのかもしれない。
当時、パソコンを立ち上げるのですら、苦しかったのだが、なんとなく閃いた。「断食」すると心の調子もよくなるのではなかったっけ?と、
断食道場で検索して、同じ北陸の福井県に発見。
福井ならいけるじゃんって安易に思ったけど、実際行ったら、富山からなかなか遠かった。福井は福井でも、京都よりの福井県小浜市。
それが「心身リセット合宿 和 やまと」だった。
今の私の住んでいる町と似ていて、海も山も近くて、お水が美味しい。
「心身リセット合宿 和」に関してはまたnote別記します。
そして今回も心身リセット合宿にいって、
まさに、名前の通り、「心身リセット」されたのであった。
2年近くかるい鬱状態だったのを放置していたので、
親指の爪は、この2年ずーっとボコボコ。
2年間の間に身体は雪だるま式に膨らみ、さっきBMIを計算したら恐ろしいことになったのであえて書かないです、、、
体重などに関しては「ルッキズムと闘う(仮)」
「頑張れば頑張るほど肥っていくあなたへ(仮)」「自分にバツをつけるのをやめたら、ちょうどよい体型になった(仮)」というnoteに別記しようと思っています。最終的には本を出したい!
話を戻そう。
身体の症状。そして、3ヶ月前ほどから、仙骨に痛みが走る。
仙骨が痛いと座る→立つの動作がめちゃくちゃしんどい。
ずっと身体をみてもらって信頼のおける鍼灸院へいっても、寝違えとかぎっくり腰を一発で治してくれる私の身体の駆け込み寺的な整骨院へいっても、仙骨の痛みに関しては「???」だった
「え?ここが痛いんですか???」(いちおう揉んでみるけど。。。)みたいな
痛みはどんどん増していき、仰向けで寝れないほどに。
この痛みも、心の痛みが身体にあらわれたものだった。その痛みは心身リセット合宿で消えた。
痛みの原因は「ゆるせない気持ち」だったのだ。
私は、どうしても、ゆるせない人がいて
その人をゆるせない気持ちがパンパンで、
そして、ゆるせない自分自身を責めていた。
どうしてそんなにもゆるせないの?って
そのモヤモヤした気持ちをやっと手放せた。
今でも辛かったなってゆるせない感情がムクムクと湧き起こってくるときもあるけど、
その時は、自分のことを責めず、その感情をひとまず味わう。
あと、その人がしあわせになることを願う。
私はその人がしあわせになることを望んでないわけではないのだ。心の底から憎んでないから、本当は大好きだからこそ、ゆるせないんだなということがわかった。
そして、誰よりも自分を責めまくっていた。
他にも、大好きとか関係なく、私っていう存在すら知らない人の問題を自分の問題としてわざわざ抱え込んで悩んでいた。
例えば、それは遠い国で起こった社会問題。
それに対して
いま〇〇という国で社会問題が起こっています、私は職業欄に劇作家と書いているクセに、戯曲を書いていない。社会問題を題材に戯曲を書くとかも、やろうと思えばできる。なのに、できていない。
だから×(バツ)
↓
じゃあ、せめてSNSとかで発信したら?発信すらする気力がわかない。できない、だから×(バツ)
↓
じゃあさ、せめて、その問題が起こっている地区に寄付しよう。でもね、私、お金がない。私はお金を稼ぐ能力がないから×(バツ)
↓
え、なーーーーんもできなすぎじゃね?そんな私って生きてる意味あるっけ??死んだ方がマシじゃんか。マジでクズ。
↓
しかも、ブクブク太っててみっともないし、本当にクズ。
バツバツバツバツバツバツ
自分にバツつけまくり。自分を罰しまくり。自分で自分を責めすぎ。
自分で自分を虐めている。
そりゃあ、鬱病なるよ。
いま、鬱病から抜けて思う。
まず誰よりも自分で自分を褒める。
まだ今の私は戯曲も書けないし、お金もないけど、生きてるそれだけですばらしいこと。
生きてさえいれば、私が本当にやりたいと望めばなんだってできる。
まだ、できなかったとしても、私がその社会問題の渦中にいる人たちのしあわせを願うことはできる。
それは無料でできる。私の心ひとつでできる。
それだけでも充分じゃないか。
と、思えるようになった。
大学の後輩のkouくんがとても端的にTwitterに書いてたからここにシェアします。
彼は身体と心のプロ!!一流のパーソナルトレーナーです。
簡単だよねー。本当はとてもシンプル。
難しくしてたのは私だったんだなと思う。
でも、もう、それでバツはしない。
私はその苦しみを知っているから、戯曲にもできるし、人の痛みに寄り添えると少し自信をもつことができる。
人生に意味のないことなんてないのだ。
もし、これを読んでいる人で、ゆるせない人がいるのだとしたら、
どうかゆるせない自分にバツしないで、自分を自分で抱きしめてあげてほしい。
自分自身を癒せるのは、自分なのだから。
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