映画「王国(あるいはその家について)」
なるほど、これは確かに一種の「発明」だと思ったし、この完全版の長尺(150分)は必要なものかもしれない。俳優による演技の生成過程そのもの、ワーク・イン・プログレス(特に濱口竜介作品における徹底した本読み)そのものをにじり寄るような手つきで非リニアに連ねていく時間こそがこの作品であり、その時間の積み重ねからは徐々に独特のグルーヴさえ感じられてくる(大ネタとしてのマッキー・ザ・グロッケン/グロッケン叩きのマッキー)。とはいえこの作品はその実験的な方法論偏重に過ぎるわけでもなく、かといって、オーソドックスな劇映画のように物語内容にすべての要素が奉仕・集約されていくのではなく、物語内容と「役」を演じる俳優そのものと本作独自の方法論それぞれが互いを最大限尊重しつつも、相互に浸透しているといえばいいだろうか。また、「撮影された演劇」としての映画を嫌悪したロベール・ブレッソンがもしこれを見たら、何と言うだろうとも思った。
(クレジットにマレビトの会の名があって納得。あの無対象演技をフィルムに定着させるとあのようになるということか)