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「常識の1ミリ先を考える/長倉顕太著」

「真似る」「まねぶ」「学ぶ」

かつて、アメリカンカントリーと言われる手作り雑貨が一世を風靡していた頃、その頃にしては大きなイベントをやらせてもらっていた。
その当時、手作りイベントといえば、作り手も来場者も女子。
女子ばかりが集まればややこしい話になるのは、何も女子校ばかりとは限らない。
その証拠に、娘にはよく「今時の女子高生でもそんなことしないわ」とよく言われたものだ。

1番多かったいざこざは、「パクった」「パクられた」、つまりはそっくりな作品を作られたというわけだ。
猫も杓子もオリジナルを叫んでいた時代でもある。

まっさらな中からオリジナルは生まれない。パクられたと喚く作りても最初は誰かの作品を参考にしている。そこに、自分の経験を重ねてオリジナリティを出しているだけだ。
たとえば、誰が書いたってうさぎはうさぎに見え、リンゴはリンゴに見える。
ニコちゃんマークに至っては‥

先人の叡智の上に自分なりの知恵をのせて、もっと良いものにする。
ライト兄弟が、自分が考えたんだからパクるな!!とどこまでもいい張っていたら、いまの飛行機は生まれていなかったかもしれない。←としても、違う飛行機は生まれていただろうけれど

学ぶとは、真似るが語源。
「学ぶ」と「真似る」のあいだにある「まねぶ」には2通りの感じがある。
まねぶ:真似ぶ 学ぶ
まねぶは真似るでもあり学ぶでもあるのだ。

また、守破離ということばもある。
茶道や華道などの日本文化で、まずはその流派の方やしきたりを守る。それらを習得し繰り返すうちに自分の発想が生まれる。それが元の型を破った時に流派を離れて自らの新しい流派をつくる。
それが守破離。

真似るまねぶ学ぶも守破離も同じ。
まずはよく真似て学ぶ、ある時「はっ」とする時が来る。そうしたら自分のオリジナルがひらめく。

全く違う全く同じものを生み出す必要はなくて、最初はちょっとだけ変えてみればいい。

改めて、「常識の1ミリ先を考える」を読んで確認できた。

*「常識の1ミリ先を考える」長倉顕太著 を読んでのビブリオエッセー

#読書感想文

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