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「2025年を制覇する破壊的企業」ビブリオエッセー

《「車にパソコンを乗せる」発想を捨て、「パソコンに車輪をつける」発想を持て》

たった5年後の2025年に実現しているであろう世界は、私にしてみれば生きているうちに体験できるはずがないものだった。

今でさえ、かなりの周回遅れの自分なのだ。
その事をより実感したのが、半年ぶりに娘宅に滞在した時の体験だ。
私の音楽プレーヤー歴はCDで止まったままだったのが、スマホを使うようになって一っ飛びしたと思っていた。
ところが、
「オッケーGoogle、音楽かけて!」
娘の一声で、好みの曲が始まる。

相方が得意のカルボナーラを調理中に
「5分測って!」
と娘に頼めば
「オッケーGoogle、5分測って」
で済むのだ。

「オッケーGoogle!」が頭の中で旋回するほどに繰り返される。

洗濯機を回せば、体調まで気遣ってくれるし(洗濯機が)、1人で留守番をしていると、どこかから工事の音がしだす。えっ、上の階で工事?いやいや一軒家、上の階には2匹のねこ'sがいるだけ。時間になったからルンバが掃除がはじめたのだ。

そうそう、玄関の鍵はカードキー。

朝マックまでウーバを使う。

日用品はヨドバシが紙袋にポンポン詰めた状態で届けてくれる。

食料品はもちろん宅配だ。徒歩5分の場所に大きなスーパーがあるのにだ。

買い物のほとんどはネットだ。

30分かからずに、銀座も新宿へも行けるところに住んでいながらだ。

そんな暮らしは特別な人だけのものだと思っていた。

トヨタ、日産、東芝、ソニー、松下、任天堂、ジブリ、AJINOMOTO‥‥
かつて(私的にはつい最近まで)世界に名を轟かせていた日本企業はたくさんあった。
ふと考えれば、それらが急成長してそうなったのは、昭和、しかも戦後の40年足らずの出来事だったんだ。
「失われた30年」と言われる平成の後の今、世界に名を轟かせられる企業はあるのか?

破天荒ではあったし、間違っていたのかもしれないが、あの時、ライブドアのホリエモンや村上ファンドの村上氏を、出た杭は打て的に見せしめのように潰さなければ違った今があったんじゃないか?
優位な立ち位置にいる方々に大きな余裕が有れば、「出た杭は打つ」事はなく、「育てる」事ができたんじゃないか。

それは、私が属する普通の暮らしの中にもある。
自分よりも上にいってもらったら困るのだ。
だから、出る杭は打つ。
それは、自分の立場を守るためで、社会のためにはマイナスでしかない。
家庭にもあったはずだ。父親が子供に抜かれるのが嫌で、押さえる。蛙の子は蛙以下が父親には心地よかったのか。

出る杭を育ててこなかったツケが今なんじゃないかな。

コロナが始まって、なんでなんで日本でいち早くワクチンを作れないわけ?
なんで海外からの供給の話しかニュースにならないわけ?
気づけば、日本にはそんな力が残ってなかったとか。

この本にある破壊的企業11社に日本企業はない。

私がAmazonよりも楽天を利用するわけは、日本企業だから。
再び、世界に打って出られる企業があって欲しい。

どんな小さな場面でも、出る杭は打っちゃダメです。出る杭の足元をしっかり支える事を考えたい。

①楽天もGoogleもAmazonも私の好みそうなものをあれこれ紹介してくる。私オリジナルの広告だ。
果たしてそれでいいのか?好み以外の物に触れる機会がなくていいのか?

②物作りは、アイディアは人間が、製造はAIがでいいのか?
歪なもの、ちょっとダサいもの、作る過程に物語があるものに、人は癒やされるのではないか?

③余計なものが一切ないホテルに滞在して、雑多な自宅に帰るとほっとしないか?

この①②③の中に、私ができる事があると、この本を読みながら思った。

なかなか買えないお菓子がある。そのお菓子が安価に買える場面に出くわした。
本家のお菓子は一つずつ手作りで、包装まで人の手でしている。
イベント用?量販用?の安価なものは、工場で作られている。もちろん自社工場ではない。
何だかなぁと思ってしまった。

まぁ、有名パティシエとコンビニとのコラボも同じ。
できれば本家のものが食べたい。
が、工場生産ものを食べて、本家のものを食べた気になる自分もいるのだけども。

近未来を作る側には到底なれない。
が、近未来に疲れ果てた人を癒す側にはなれるんじゃないか。

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