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泪橋~創作秘話①

ぼちぼち話も終盤ということで、少し裏話などをしてみたいと思います。

図書亮のその後


割と話の開始時から悩んでいたのが、図書亮の身の振り方でした。何度か書いているように、須賀川市史などの資料からは、為氏の須賀川平定後は家臣団の中にその名前がなく、戦国時代の二階堂家臣団の中にも、「一色氏」の名前がありません。
二階堂家臣団の名前には、為氏下向の際には「土岐氏」「佐々木氏」など有名どころの豪族の名前が見られるのですが、これらもしれっと消えているのですよね。
もちろん最初から誤記であった可能性もありますが、作中でも書いたように、為氏が下向して「3年」待ったとすると、その間に永享の乱で一旦滅ぼされた「鎌倉府」が復活しています(1447年説と1449年説あり)。

となると、鎌倉府と直接縁のある高名の武将らは、復活鎌倉府からスカウトされて、鎌倉に戻ったと考えられるのではないでしょうか。足利成氏しげうじは、永享の乱のときは子供で、ホントに命からがら生き延びていたくらいですから、新生鎌倉府に人材が揃っていたとは思えませんし。
名門の一色家は、その後江戸時代まで続いていることが確認できることから(喜連川藩などに仕えていたらしい)、宮内一色家が復活していたのは明らかです。

また、図書亮の父に定めた一色時家(持家)ですが、一説によると、実際には三河国に落ち延びて再起を図ったものの、結局は家臣に殺された説もあるようです。彼が鎌倉府に命じられて相模守護に任じられたのは間違いなく、その領地は相模国富田郷にあったと伝えられています。
(富田郷がどこにあったかは不明)
そんなわけで図書亮は明沢に頼んで、かつての家人である佐野を探し出してもらい、密かに鎌倉での新生活の準備を進めてもらったのでした。

一色家の概要については、こちらからどうぞ。

嫉妬されていた?図書亮

もう一つ、図書亮が二階堂家に留まらなかった理由として考えられるのが、同僚による「嫉妬」です。
須賀川二階堂家は元々鎌倉に住んでいましたが、永享の乱の影響&治部大輔の横暴を鎮めるために、須賀川に下向してきました。これも、最初は7騎しかいなかった→地元の有力豪族である須田氏の力を借りて再起した(藤葉栄衰記野川本)などの説もありますが、さすがに7騎では須賀川に来るまでに野伏などに殺されるだろうということで、通常の説に基づいて書いています。
で、伊藤左近太夫の伝手を頼って図書亮が為氏と三千代姫の婚姻を持ち込んだのは、作中にある通り。

ですが、そもそもが「二階堂家譜代の家臣もしくは直属の家来」でもない図書亮が、主の結婚に関わってくる事自体、不思議なんですよね。名門出身ということで、為氏や四天王らはその家柄を重視したかもしれませんが……。

だとすると、暮谷沢の悲劇で三千代姫が自害、治部大輔が倒された後は、結婚の話を持ち込んだ図書亮に対してあまりいい感情を持たない人たちもいたのではないでしょうか。彼らにとって図書亮は所詮、余所者ですし。
須賀川城攻防で活躍させた割に(一応、主人公なので)、恩賞が貧しい土地の取木村だったというのは、美濃守の遠謀でした。ですが、怨霊騒動のときに「心無い噂」を流した犯人は誰か。

これについては裏設定として、為氏の後添として娘を嫁がせた「二階堂山城守(保土原殿)」を設定しています。
保土原殿の家系は、時代が下って伊達政宗が須賀川を攻略した際に、敵である政宗方に内通した一人。
「和解」で為氏の叔父の民部大輔(浜尾民部)との和解を取り持ったやり口を見ても、なかなかの実力者&策略家なんですよね。
為氏が三千代姫を失った後に再婚したかは不明ですが、跡継ぎ(行光)がいたことから、やはり再婚したのではないかと思います。となると、自分の娘(芳姫)のためには「三千代姫との縁談」を持ってきた図書亮が、邪魔で仕方がない……というわけです。

余談ですが、現在の須賀川市立博物館のある場所は、「保土原館」があったと言われていて、一部石垣らしきものが残っています。

画像出典:https://akechi1582.com/12221/


いつの時代のものかは不明ですが、名前からして、この保土原殿の屋敷があったのは間違いないのでしょう。他に、守谷館も地名として残っており、領地が須賀川の街中から遠かった人は、現在の翠ケ丘公園の辺りに屋敷を持っていたと考えられます。そのため、やはり領地が遠い箭部やべ家(安房守も下野守も須賀川の街中から遠い)には、適当に愛宕山に屋敷を構えさせました。

三千代姫の怨霊

終盤のハイライトは、何と言っても「三千代姫の怨霊」でしょう。
書いている私自身も、「なぜ三千代姫が怨霊に……」と頭を悩ませた&びくびくしていた部分ですが、地元では有名なお話です。
夫と父の板挟みになって自害、までの流れはまだ分かるとしても、その後怨霊になったというのは、為氏がノイローゼになって見た幻影なのでしょうか。

ただ、武家の習いとして「夫に殉じる」のは割と普通のことですし、三千代姫が怨霊になる動機が理解できませんでした。そこで、考え出したのが「実は為氏の子を身籠っていた」という設定です。

図書亮と為氏の会話でも出てきましたが、結婚当初は子供だった為氏夫妻も、3年後であれば立派に大人。この時代はティーンエイジャーで親になるのも珍しくないですし、三千代姫も妊娠できただろうなあ……と、私は思うわけです。ただ、三千代姫が家臣団に追い詰められていく中で、妊娠を為氏に告げられたかどうか。
そして、自分の生まれ育った須賀川城が為氏の物となり、しれっと新しい妻とよろしくやっているのでは、そりゃあ怨霊にもなるわ……と思うのです。結構しつこくつきまとっていますから、恨みは相当深かったのでしょう。

さらに怨霊の歌の解釈ですが、仮に三千代姫が妊娠していたとすると、「虚貝うつせがい」は、子供を失ったとも解釈出来るわけです。これは私のオリジナル解釈ですが、「三千代姫物語」など従来の解釈よりも、こちらの方が姫の心情の解釈としては理解できるのではないでしょうか。

スーパーレディの三千代姫

「泪橋」の三千代姫は、今で言うならば歌道や古典に明るく、仏道への信心も深い「スーパーレディ」。伊勢物語が大好きという設定は、自害の場面で「定家正本(藤原定家が書き残したという意味)の古今集や伊勢物語」を叔母である千歳御前に、と遺言していることから、この設定が生まれました。
それだけでなく、家臣らの空気を読み、機転を利かせることの出来る非常に頭の良い姫君です。
従来の「三千代姫」は、為氏との結婚生活について詳しく語られることがなく、「3年間の結婚生活は夢のように過ぎた」の一言でまとめられていることが多いです。
拙作の「三千代姫」はこれらとは反対に、原作の藤葉栄衰記などよりも、かなりアクティブな姫君といったところでしょうか。

ただ、「男性優位」の和田衆の間で、そのような姫君は好かれたかどうか。男性顔負けの知識も備え、時には政治的意味合いを含む場(和田の金剛寺落成など)にもこっそり顔を出す。御台という高位の女性ですので、家臣もあまり強く言えないですし、彼女の意志とは関係なく、そんな姫君を自慢する須賀川衆との軋轢の一因にもなっていたかもしれません。

藤葉栄衰記などでは、為氏が「結婚生活に夢中になり、家中を顧みなかった」という流れで書かれることが多いですが、藤葉栄衰記とは別に、須賀川各所の寺院建立などの歴史を紐解いてみると、文安3年前後に為氏が寺院建立や保護に関わっているものも多く、決して新婚生活のみにうつつを抜かしていたわけではないと考えられます。

また、須賀川との和睦の象徴である三千代姫を簡単に離縁するというのも、筋の通らない話です。やはり、和田衆にとって三千代姫が邪魔になり、「嵌められた」というのが真相ではないでしょうか。
そのきっかけとして、「逢隈の出水」のエピソードが誕生しましたが、これも、和田を救おうと父に助けを求めた三千代姫からすれば、恨みたくなる出来事ですよね。

この手の裏話は結構長いので、前編・後編に分けます。

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