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観世寺談話(4)

「――鬼という呼び名は、様々な意味を含むものなのでしょうね」
 ぽつりと呟かれた志摩の言葉に、ようやく成渡の顔にも穏やかな色が浮かんだ。
「恐れ、暴虐。古来はそれだけでなく、畏敬の念や神仏に近い者としての意味も、持ち合わせていたと聞きます」
「鳴海殿が武勇の面ばかり評されて『鬼鳴海』と言われているとしたら、少々お気の毒ですよね。それ以外にも、尊敬できる部分が多くある御方なのに」
 成渡が、目を細めた。彼もまた、志摩と同意見なのだろう。
「志摩殿は、いずれの顔の鳴海殿を慕っておられるのですか?」
 興味深そうに尋ねる成渡は、生来の人の良さを感じさせた。
「全てです。幼い頃より、その背を追いかけてきた御方ですから」
 きっぱりと言い切る志摩に、成渡も深々と肯いた。
「拙者も同じく。武勇の誉れ高きお顔も、仁者としての御姿も、同じ御方に相違ございませぬ故」
 二人の武士は、顔を見合わせて静かに笑った。
 志摩の見るところ、確かに鳴海はこの二年で大きく変わった。番頭としての厳しさも見せるようになった反面、成渡の算術の能力や弟の観察眼に優れた能力を戦の局面で活用するなど、昔の猪突猛進の気性の鳴海ならば、考えられなかっただろう。父は、そうした柔軟さや思慮深さについては、志摩はまだ鳴海に及ばないと考えているのだ。悔しいが、志摩もそれは認めざるを得ない。
「そういえば、山野辺主水正様の降伏を受け入れられたのも、鳴海殿だったというのは、まことでございますか?」
 志摩の質問に、成渡はあっさりと肯いた。
「まことでございます。拙者も、山野辺家の菊桐の旗印をこの目で見ました。油縄子から太田までお送りする道中、鳴海様と主水正さまは、随分と親しく言葉を交わしていたようでございます」
「水戸家中の執政職であった御方とも、対等に渡り合えていた……と」
「元々豪胆な御方ではございますが、弘道館でも軍議に加わり、水戸藩の方々とも頻繁に顔を合わせねばならぬお立場でしたからな。豪胆かつ思慮深くあらねば、あの方々と渡り合えなかったということでございましょう。何せ、味方とはいえ、酒の病の者まで手懐けておられねばならなかったのですから」
 その言葉に、志摩はぎょっとした。鳴海は、常州でそのような者まで配下に置いていたのか。
 改めて第三者の口から鳴海に対する評価を聞くと、志摩の知るよく鳴海とは別の鳴海の姿が、浮かび上がってくる。時には二本松藩の要人として、一癖も二癖もある他藩の者と渡り合う政治家としての姿。また時には、民を守る藩是を第一として自藩の者にも厳しく当たる、厳粛な護民官としての姿。今回鳴海が任された数々の任務は、志摩が知る番頭としての職分を超えたものも多く含まれていた。
(ひょっとすると……)
 志摩の胸中に、一つの仮定が浮かんだ。
 座乗である丹波の思惑は別として、家老の一人である日野源太左衛門は、鳴海をいずれ家老職に推挙するつもりで、密かに期待を寄せているのではないか。鳴海は忘れているようだが、家格からすれば、彦十郎家の当主である鳴海も十分に家老就任の資格を備えている。長年の同僚である父は、源太左衛門のその思いを察知しているのかもしれない。
「拙者も、そう思います」
 成渡は、微かに笑った。が、すぐに肩を竦めた。
「ですが鳴海殿の御気性からすると、家老職を引き受けるようになるとすれば、まだまだ先の話でしょう。『そんな面倒なことを引き受けられるか』とか申されて」
「違いありませぬ。元々駆け引きなどは苦手なご性分ですし、彦十郎家の御当主になられた事自体も、未だ信じられていないような御方ですから」
 くすくすと笑いながらも、志摩は思った。
 いずれ、かつての自由奔放な鳴海の姿は身を潜めていくのだろう。その代わり、五番組番頭かつ藩の重鎮として、皆を守ることにますます力を注いでいくに違いない。それが出来るだけの実力も人格も、今回の常州遠征を経て備えつつある。
 それでも。
 先日、彦十郎家では鳴海の弟の衛守が分家して、須賀川に去っていった。かつては弟を相手に吐き出していたらしい弱音や本音も、番頭ともなれば、聞かせられる相手がますます限られてくるに違いない。
 せめて幼い頃から鳴海の姿を知り、その苦労も傍らで見てきた自分は、今までと同じように生身の男としての鳴海と接しよう。それで鳴海の息抜きになっているのならば、お安い御用だ。
 志摩は、大きく伸びをした。あまり親しいとは言えない成渡と長く話し込み、緊張していたのか、背筋が凝っている。それを見た成渡が、くすりと笑った。
「やはりご兄弟ですね。ふとした仕草が、右門殿とよく似ています」
 その言葉に、志摩も口角を上げた。
「右門は実の弟ですが、鳴海殿は、私にとって兄のような御方かもしれません」
 大谷本家の惣領である志摩だが、鳴海との関係を一言で表すならば、そういうことだ。それだけにせめて自分くらいには、番頭としてではなく素の顔で接してほしいと思う。
「組の枠を超えた惣領のような御方ということですね、鳴海殿は」
「至言です」
 二人は、再び笑い合った。 
 そこへ、寺の小坊主が何かを持ってきた。聞けば、檀家の者があんぽ柿を持ってきたのだという。寺の者だけで食べるには多いため、持っていかないかとしきりに勧めてきた。
「これ、鳴海殿に持っていきます。成渡殿、ご存知でしたか?鳴海殿はあれで、結構甘いものに目がないんですよ。御自宅では、奥方に甘い葛湯をねだっているくらいですから」
 鳴海の可愛らしい一面を聞かされ、成渡も白い歯を見せた。鬼鳴海と言われる番頭の思いがけない一面が、よほどおかしいのだろう。
「では我々も、鳴海殿から叱責されたときに備えて、甘いものを用意しておくよう回状を回すことに致しましょうか」
 その言葉を聞いた志摩も、つい笑い声を立てた。「笑い上戸の志摩」と言われることもあったが、この頃は、心から笑える機会も減ってしまっていた気がする。
 志摩は、改めて深々と頭を下げた。
「成渡殿。鳴海殿のお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました」
「いいえ。拙者も志摩殿と共に時を過ごせて、楽しゅうございました」
 成渡が教えてくれた鳴海の姿は、いずれ番頭の座が約束されている志摩にも、大切なことを教えてくれた。頭領たる者、情に流されてはならない。だが、突き放すだけではなく、皆をまとめあげるためには、さまざまな者を広い心で接して受け入れてもいかなければならない――。
 志摩は隣の成渡と共に、改めて楽翁公の扁額に目を向けつつ、あんぽ柿と共に、「鬼」の意味を噛み締めたのだった――。

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