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コンテストに思うこと
ここ1ヶ月あまり半ば強制的にネットからほぼ遮断されていたこともあり、このコンテストについてはノータッチの予定でした。
ただし、友人の一人から話題としてnote外のやりとりで情報が回ってきて、気になっていた次第です。
根本的には藤原さんの意見に賛成
送られてきたリンクを拝読して、まず感じたのは「きっついなあ^^;」という感想。ただし、書き方がきついというだけで、その文章の趣旨にはほぼ全面的に賛成なんです。
というのも、私自身も身に覚えがありますから。
あれはライターデビューしたときのサイトでした。無記名ですが、某教育系サイトで書いていたのです。
あの当時、サイトの案件を請け負っていた人は10人強くらいいたでしょうか。教育系と一口に言っても幼児系から大学受験まで幅広く、また、同じ母体で資格系のサイトも運営していました。
編集部の人は、比較的高学歴かつ若い人々だったと記憶しています。学歴では到底彼らには敵いませんが、社会人としての経験は、ワタシの方がキャリアを積んでいました。
で、教育系の案件にとどまらず、そのうち資格サイトの方も受注するようになったんです。そこまでは良かった。
ですが、雲行きが怪しくなってきたのは、受注するようになってから半年あまり経った頃でした。
そのサイトでは、構成自体は編集部が作成していました。参考サイトなども指示されていて、そのレギュレーションに沿ってライターが記事を書くわけです。ここまでは、割と一般的な流れでしょうね。
ですが、時々「うーん……」と感じたのが、タイトルがあまりにもセンセーショナルだったこと。
一例を挙げるならば、「◯◯の資格では食えないというのは、本当なのか」という感じ。
率直に言えば、これは受注して書く方もしんどかった。
想像してみてほしい。社会人になってから「資格に挑戦」ということは、何か自分の現状を変えたくて挑戦している人が多いと予想できます。ある程度までは資格にまつわる厳しさや現状を伝える必要があるにせよ、このタイトルで「よし、挑戦しよう」という意欲が掻き立てられるでしょうか?
要するに、ターゲットの読者心理を全く無視した記事作りが、平然と行われていたわけです。
それだけに起因するものではないですが、結局、契約外の「医療系の記事」まで担当させられそうになったこともあり、こちらから関係を絶ちました。
私は比較的リテイクも少なかったですし、多分サイトのメンバーで一番受注していた人だと思います。それでもしんどかった。
苦心しながらも書き上げ、その結果1ヶ月あまりも放置されていたのも、信頼関係破綻に繋がりました。
ライターとして仕事を受注する側だってそうなんです。根本的に「ネガティブな記事・レギュレーションは、いくら仕事でもモチベーションダウンにつながる」。藤原さんたちコンテストの運営側も、同じだったのではないでしょうか。
営利企業の論理
また、今回のコンテストに参加しなかったにも関わらず、あえて取り上げようと思い立ったのは、個人的に付き合いのあるディレクターさんと、似たような話題で何度かやり取りしていたことも関係しています。
ある小さなサイトのディレクターさんなのですが、昨年度、そのディレクターさんがある民事事件に巻き込まれたこともあり、法的なアドバイス(とは言っても、専門相談先の紹介と投げかけた方がいい質問の洗い出しなど)をさせて頂いたんです。
その兼ね合いでサイトのビュー数のスクショ(CMSはワードプレス)を送っていただき、そこから、「やはりネガティブな流れの記事は、読者に嫌われるよね」というやり取りをしていたのでした。
ライター側がいくら「自分がこんな記事を書きたい」と思っても、やはり数字の取れない記事は、任せられるわけがありません。また、個人のブログならいざしらず、なぜ営利企業が「読まれない記事」に人的・金銭的投資を行わなければならないのか。多少の余地はあるにせよ、あまりにも数字が取れないならば、企業としては切らざるを得ません。ボランティアではないんですから。
企業主催のコンテストもそうです。お題は色々ありますが、企業がわざわざコンテストを主催するということは、企業のブランディング戦略の一つでもあるわけです。そのときに、自社のブランドイメージのダウンに繋がりかねない、「どぎつい、レイプまがい」の記事を採用するでしょうか。
企業は慈善事業としてコンテストを開催しているわけではありません。その想像すらできないで、「自分の記事が読まれないのはおかしい」というのは、書き手の傲慢だとすら思います。
下心は見透かされる
各種コンテストで受賞、そしてプロデビュー。それが叶えば素晴らしいことです。私もたまに公募に出すこともありますし、「お題」に沿った投稿をすることもあります。
もっとも、ほぼ毎月出している「俳句ポスト」を除いて、入選直前までたどり着いたのは、第3回角川武蔵野文学賞くらいでしょうか。それも、小説というほぼ趣味のジャンルで(笑)。
ですが、これらの経験を踏まえて言えるのは、各種コンテストで文章力なども問われるものの、コンテストの傾向や審査員の好みも多少なりとも影響するということです。
実際、昨年各種コンテストに出していた「泪橋」は、かすりもしませんでした^^;
それでも、地元の図書館スタッフからは好評でしたし、ミニFMや図書館報でも紹介されました。そして、なぜか今年7月の売上として、一気に11冊も売れた(PODの価格は決して安くないです💧)ミラクル?がありました。
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おかげ様で、これで「直違の紋~」に続き、泪橋も国立国会図書館への納品基準を満たしたわけですが、泪橋に関しては、ほぼ「営業宣伝活動」をしていません。
そう思うと、やはり「書いてある内容が、地元史に詳しい人たちから評価された」というのが、作者としては一番しっくりきます。
元々歴史小説が好きではありますが、自分でも書くようになったのは、「地元の歴史を後世の人々にわかりやすく伝える」という目的がありました。そのような意味では、多少なりとも当初の意図は達成されているわけです。
こうなると、「コンテストがすべての評価基準なのか?」という疑問も湧いてきます。自分でPODなどを利用して少数から出版できるようになったことも大きいのですが、必ずしも「商用出版」にこだわる必要もなくなってくる。
ネット全盛期の現代であれば、「読んでもらうだけ」ならば、各種SNSや投稿サイトを利用する人も多いでしょう。
それだけに、「内容がスカスカなのに、あわよくば入選するかも」という下心は、審査する側に簡単に見透かされると思うのです。
まして、プロデビューを狙うのであれば、「レギュレーション=コンテストの要項すら読まないで勢いで投稿」なんてもってのほか。
たとえ仕事を任せたとしても、リテイクされるのは容易に予想できます。早い話が、筆力云々は別にして、仕事で最も大切な「コミュニケーション能力」の欠如が応募の段階で露呈しているわけですから。
応募する側の礼儀
昔、noteを始めて間もない頃に「ライターとブロガーの違い」というテーマで、記事を書いたことがあります。
今振り返れば、文章が稚拙だなあ……と手直ししたくなるところもありますが、根本的な考えは変わっていません。
この記事の中では、「ライターとは誰かのために書く人」と定義づけましたが、今でも通用する信念だと思います。
やはり赤の他人に読まれることを意識して書けるのが、プロたる条件の一つではないでしょうか。
「自分ファースト」ではなく、「読者ファースト」の記事が書ける。それを意識して書けば、間違っても「自分本位の自分語り」ばかりの記事にはならないですし、客観性を意識するようになるはずです。
どうしても「自分本位」の記事を書きたいならば、大勢の人の目に触れるコンテストではなく、自分のブログやnoteにおいて、100%自己責任でやるのが筋ではないでしょうか。
少なくとも、各種コンテストに応募する際には、それが最低限のマナーだと私は思うのですが……。
今回のコンテストにおいて、仮に「コンテスト」の看板がなかったとしても、あなたは同じテーマで書けたでしょうか。
きつい言い方を承知で言えば、「コンテストの看板がなければ別に……」というならば、所詮、その程度の応募動機だったのだと思います。
「万人受けする記事」はなかなか書けませんが、「多くの人に忌避されるであろう記事」は、確実にあります。
選ぶ側がそれらを避けるのは、読者としても企業の理論としても、当然ではないでしょうか。
最後に、今回の藤原さんたちと似たようなことを述べていた過去の拙作を貼って、〆たいと思います。
#エッセイ
#ライターの仕事
#私はなぜ書くのか
#コンテスト
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