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観世寺談話(1)

 常州から遠征組が帰ってきて、城下にはいつもの賑わいが戻ってきた。余程気苦労が多かったのか、帰藩後体調を崩して寝込んでいた父の与兵衛もようやく本調子を取り戻し、今ではいつものように登城している。
 だが、鳴海は明らかに雰囲気が変わった。与兵衛と同じく番頭として出陣していった鳴海だが、戦から帰ってきて以来、時折その横顔には、人を寄せ付けないような厳しさが垣間見えるようになった。子供の頃から懐いてまとわりついてきた志摩ですら、その表情には、刹那たじろぐ。もっとも、それに気づかないふりをしてこちらが何気ない風を装えば、鳴海も普通の表情に戻る。それでも志摩は、今まで知らなかった鳴海が生まれたようで、寂しかった。
 そんなある日、大島成渡がふらりと大谷本家にやってきた。成渡も五番組の人間として常州に出陣していたのだが、かつて、志摩の弟である右門の弓術の成績が散々なのを見かねた鳴海が、右門の弓術指南役として、同じ組の成渡に指導を頼んでいた経緯がある。今では右門の弓術の腕もまあまあ改善され、もう成渡の指導はいらないはずなのだが、すっかり懐いた右門が「算術も教わりたい」と頼み込み、以後、成渡はたまに右門を訪ねてくるのだった。
 元々右門は鯉の世話に嵌っている奇癖があったのだが、それに飽き足らず、武門の名家である大谷家の次男坊が算術にはまっているというのは、あまり体裁のいいものではないのではないか。志摩は父にそう苦言を呈したのだが、「神勢館の戦いの折には成渡殿の算術で皆が鼓舞され、右門の観察眼に助けられて無事に那珂川を渡れたのだから、あまり責めるな」と苦笑いされただけで終わった。鳴海と共に戦った父の言葉であれば、嘘ではないのだろう。が、さすがに戦場での出来事は志摩の感覚が及ぶところではなく、志摩はどうにも腑に落ちなかった。
 右門の部屋からは、楽しげに談笑する二人の声が聞こえてくる。どちらかといえば内向的な性格の右門が懐くというのは、成渡はよほど人好きのする性分なのだろう。志摩も、できることならば成渡と一度ゆっくりと話をしてみたいと、密かに願っていた。
 ようやく訪問の目的を果たしたのか、居間に成渡が顔を覗かせた。
「すみません、喧しかったでしょうか」
 年は成渡の方が上だが、身分は志摩の方が上である。そのため、気を使ってくれたらしい。もっとも当の志摩は、身分差に拘るほど狭量ではなかった。
「いえ、お気になさらず。こちらこそ、右門が世話になりっぱなしで申し訳ないです」
 惣領として挨拶を述べると、成渡が笑顔を見せて頭を下げた。そこで志摩は小首を傾げ、思い切って以前からの願いを口にしてみた。
「大島殿。よろしければ、このまま一緒に遠乗りに参りませんか?」
 できれば、鳴海と共に行動していたこの男から、鳴海の変貌の理由について聞いてみたかったのである。束の間、成渡は躊躇いを見せた。
「今日は徒歩で参ったのですが……」
 大島家は、一之町からは大分離れた下之町にあった。家禄が高くないため厩を持つ財政的なゆとりがなく、馬は藩で所有する厩舎に預けてあるのかもしれない。
「右門の馬をお貸しすればよろしいでしょう。右門、構わないだろう?」
「ええ?」
 弟は一応不満の色を見せたが、志摩の手前反抗してみせただけだというのは、分かっている。成渡には散々世話になっているからか、案の定、すぐに肯いた。
「鞍の大きさも、成渡殿と私ではそう変わらないはずです。どうぞ遠慮なさらずにお使い下さい」
 そう言うと、右門は「鞍をつけてきます」と、屋敷の一角にある馬小屋へ向かっていった。その後姿を見送る成渡の顔には、不思議そうな表情が浮かんでいた。
「弟君には、聞かせたくない話をしたいということでしょうか?」
 勘のいい男だ。やはり、鳴海の側で駆け回っていただけのことはある。
「ええ、まあ」
 志摩は、よそ行きの人当たりの良い微笑を浮かべてみせた。
「弟君への文句は、御免蒙りますよ?右門殿は、見どころがあるのですから」
 牽制するかのような成渡の言葉に、志摩は首を振ってみせた。右門の件は、今更である。
「いえ、鳴海殿のことです」
「鳴海殿……?」
 成渡にとっては、意外だったらしい。
「戦からお帰りになられてから、雰囲気が以前と変わってしまったような気が致しまして……。父からも、日頃より『番頭として我が家の名跡を継ぐ気ならば、鳴海殿を見倣え』と言われているものですから。右門はあの通りまだ頼りないですし、大島殿ならば何かご存知なのではないかと思いまして」
 志摩がそう弁明すると、ようやく成渡は警戒の色を解いた。
「左様でございますか」
 そう言うと、成渡は束の間黙り込んだ。その顔には、鳴海が時折見せる厳しさと似た色合いが浮かんでいる。志摩は不安を覚えたが、今更取り消せない。
「そういうことであれば、お付き合いいたしましょう」

観世寺談話(2)に続く

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