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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~野総騒乱(8)

 七月も中旬になると、いつもの年であれば連日蒸し暑い日が続く。にも関わらず、今年は例年になく雨の日が多い。そのせいか、一向に夏の気配が感じられなかった。だからなのか。りんは、少し前から風邪のような症状を呈し、ここ数日、寝込んでいた。
「不甲斐ない様をお見せいたしまして、申し訳ございませぬ」
 布団の中から、りんが小さな声で鳴海に詫びた。
「気に致すな。義母上も、無理することはないと申しておったではないか」
「ですが……」
 鳴海はそっと妻の頬に触れた。元々、りんはあまり体が丈夫ではない。一度風邪を引くと、他の者よりも完治するまでに時間がかかるのが常だが、今回は特に長引いているようだった。ほつれ毛を額から除けてやると、うっすらと汗ばんでいた。ここ数日どうにも微熱が引かず、顔色も悪い。
「城に行って参る。養生致せ」
 鳴海の言葉に微かに肯くと、りんは辛そうに目を閉じた。口を利くのも大儀なのだろう。首元まで布団を掛け直してやると、鳴海はそっとりんの部屋を出た。 
 登城すると、小書院はいつものように家老や番頭らが集っていた。このところ常総騒乱の動きを受けて小書院の空気は緊張感を伴っているのが常であったが、今日はとりわけぴりぴりとしていた。
「鳴海殿。遅かったですな」
 鳴海の登城は遅刻というほどではないが、与兵衛が非難めいた眼差しを寄越した。
「申し訳ございませぬ。家のことで取り込んでおりました」
 まさか、妻の様子が気になってとはこの場では言えない。が、与兵衛もすぐに真面目な顔を取り繕った。
「去る九日、下妻で幕軍が筑波勢に負けたそうでござる」
「まことでございますか?」
 確か、幕軍は高崎・笠間藩兵らを中心に二千は下らない兵力を有していたはずである。それだけでなく、水戸藩からは市川勢二五〇名あまりが幕軍に加わっていた。
 何でも七日に追討軍は小貝川を渡り、高道祖たかさいで小競り合いになったという。このときは小競り合いとはいえ、追討軍が勝利した。迎え撃つ筑波勢はその一〇分の一程の兵力しかなかったのだから、当然と言えば当然である。が、これが追討軍の油断を誘った。
 筑波勢らは、幕軍が高道祖での勝利に酔っているという情報を得ていた。一度筑波に引き上げていた藤田小四郎らは八日に軍議を開き、夜襲を決めた。翌九日、竹内百太郎及び藤田小四郎、飯田軍蔵は小貝川こかいがわを渡って下妻へ向かい、下妻に置かれていた幕府本営の多宝院たほういんを襲撃して火を放った。幕軍は武器を捨てて逃げ去り、その勢いを借りた藤田らは、真福寺にいた市川勢も襲った。不意を突かれた市川勢も敢え無く敗退し、総大将の市川も命からがら逃げたという。
 一方、筑波勢別働隊である三橋隊も、田町雲充寺うんじゅうじを襲撃して高崎藩兵らを敗走させた。結局、幕軍や市川勢は結城に後退した。筑波勢に襲われた下妻藩は、幕軍の軍監である永見等に対して、筑波勢への備えとして歩兵を留め置くよう懇願したが、永見らはこれを無視して「糧食・兵器も欠乏したのだから江戸に戻って軍容を立て直すべし」と主張した。結果的に下妻藩は自らも陣屋を焼き、江戸へ逃れたというのである。
「恐れ多いことながら、不意打ちを受け十倍もの兵を有しながら江戸へ逃げ帰ったとは……。幕府の方々はまことに筑波勢を討つ気がおありなのでしょうか」
 種橋が、憤懣やる方なしという体で吐き捨てた。
「滅多なことを申されるものではござらぬ、種橋殿。筑波勢とて、元を正せば藩校で兵法を学び訓練を受けた者も、少なくない。農民一揆の烏合の衆とは異なりまする」
「ですが……」
 種橋の憤懣も与兵衛の言い分も、鳴海は分かる気がした。諸藩に出兵を命じておきながら、少し負けたくらいで逃げ帰るとは、武士の風上にも置けぬ。だがそれを口にすれば、たちまち江戸から詮議の使者が飛んでくるだろう。
 ふと上座を見ると、いつものように源太左衛門が扇を口元に当てて、何やら考え込んでいた。まだ、他に気になることがあるのだろうか。
 鳴海の疑問を汲み取ったかのように、今度は三郎右衛門が口を開いた。
「失礼ながら、幕府は筑波勢討伐を諦めたわけではございますまい。若年寄である田沼意尊おきたか殿が、常野追討統括に任じられたという知らせも参っておりまする」
「それはいつのお話でしょうか?」
「八日でございまする」
 鳴海も、考え込んだ。下妻合戦で幕軍が負けたのが、九日。日付の前後からすれば、下妻の敗戦とは関係なく、田沼が統括に任じられたことになる。
「――白河藩の阿部殿が外国掛老中に任じられたことも、関係しておるかもしれませぬな」
 ぽつりと呟かれた源太左衛門の言葉に、浅尾が眉根を寄せた。
「先日、川越の松平大和守殿らが罷免されましたからな。その後任ということでございますか」
 それもでござるが、と源太左衛門は続けた。
「阿部殿は、生来開国派かつ押しが強い御仁でござる。また、朝廷に対し頑なな姿勢を貫かれてきた松前伊豆守殿も老中になられた。幕閣の方々は、最早朝廷の意向に関わらず、政を動かそうとされているのではあるまいか」
「それはつまり――」
 鳴海も息を呑んだ。源太左衛門が肯く。
「大樹公は朝廷と鎖港を約束されたが、幕閣の方々の御意向は逆に向かおうとしておる。あまりにも水戸藩を始めとする尊攘派の諸藩が攘夷攘夷と騒ぎ、それらに振り回されて幕府の権威が失墜した。幕閣の方々は、再度幕府の御威光を広く知らしめるために、虎視眈々とその機会を伺っておられたのではございますまいか」
 しん、と座が静まり返った。源太左衛門の読み通りだとすれば、幕府は一時の敗戦で筑波勢に屈したりはしない。むしろ、関東諸藩を総動員してでも、必ず筑波勢を潰しにかかる。筑波勢の主張に屈して鎖港を実現したと思われては、ますます幕府の権威が揺らぐからだ。
 この時――。
 源太左衛門の読みが正しかったことを証明するかのような出来事が、京で発生していた。それを鳴海らが知るのは、もう少し後のことであった。

野総騒乱(9)に続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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