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泪橋~和解(2)

 山城守は早速その日のうちに、塩松に向けて馬を走らせた。図書亮が須賀川に下向してきた頃に、散々民部大輔の有り様を聞かされたからだろうか。あのときに詳らかに状況を教えてくれたのは、やはり安房守と山城守だった。その時と比較して手のひらを返したような態度に、若干の不信感が拭えない。だが、為氏が受け入れると決めたからには、図書亮が口を挟めることではなかった。
 翌日、峯ヶ城の門前に山城守と民部の姿があった。この日は四天王らも須賀川の復興を一旦家臣らに任せ、和田にやってきていた。
 民部は、やはりどこか落ち着かない様子で視線を泳がせている。それを受け入れる和田の者らも、様々だ。嘉例であるという者、民部に胡乱な視線を投げかける者。
 図書亮はというと、どちらでも良かった。首魁の治部大輔を斃したのだから、後は正当な二階堂氏の惣領である為氏についていくのみだ。
 為氏が上座につくと、民部は深々と頭を下げた。
 民部は正月の挨拶も兼ねて、予め用意していたのだろう。三つ盛亀甲の花菱を染め抜いた老緑おいみどり素襖すおうを身に着けている。岩間館と結ぶ廊下を渡ってやってきた為氏は、やはり濃色こきいろに庵木瓜を染め抜いた素襖を着ていた。
「御屋形。この度は再びお目もじ叶い、恐悦至極に存じます」
 そして、その両眼からはぽたぽたと涙がこぼれ出ていた。傍目から見れば通常の甥と伯父の対面であるが、民部なりに感じ入るところがあったのだろう。
「伯父上。もう過ぎたことです。このめでたい席に、涙は不要。愉快に飲み明かそうではございませんか」
 にこりといなす為氏に、民部が顔を上げた。為氏が、美濃守の家老である安藤左馬助に目で合図を送ると、左馬助はすっと席を立って酒膳の用意をしに行った。
 しばし待っていると、正月らしく三宝に乗せて酒器が運ばれてきた。為氏が盃の一つを民部に手渡し、銚子から民部の杯に注ぐ。民部がそれを受けて一息に煽ると、その盃を為氏に渡し、同じ動作が繰り返された。仲直りの盃というわけである。
「これだけではつまりませぬな」
 為氏は、よほど機嫌がいいと見える。何を思ったか、着ていた濃色の素襖を脱ぐと、それを民部に差し出した。図書亮は、思わず感嘆の溜め息をついた。
「一色殿。あれはどのような意味で?」
 側にいた箭部紀伊守が、図書亮に尋ねた。須賀川では共に戦った、りくの従兄弟である。
「あれは、衣を交換することで縁を深めようという意味があるのです。古の物語などで、後朝の別れの場面でよく出てきますでしょう?」
「なるほど」
 図書亮の説明に、紀伊守も深々と頷いた。二人の眼の前では、民部が慌てて自分の着物を脱いでいる。為氏はそれを受け取ると、袖を通して改めて衣装を整えた。衣装がそっくり取り替えられ、為氏は老松、民部は濃色の着物に装いが改められた。
「過去の怨恨を越えて、二階堂一族としてまとまろうということか」
 図書亮がこの地に来たばかりの頃に聞かされた、東衆と西衆の怨恨。和田衆と須賀川衆の対立の背後には、その感情的な対立も複雑に絡んでいた。為氏と三千代姫の婚姻では叶わなかった怨恨の解消を、二階堂一族の惣領となった為氏は、家臣たちの眼の前で暗黙の内に宣言してみせたのだった。もはや子供ではなく、一端の政治家である。
「民部殿。これからのことであるが」
 主に代わり、美濃守が改まった口調で告げた。
「民部殿は一度は浜尾の地を離れられた。それ故、再度浜尾を治めてもらう、というわけには参りませぬ」
 美濃守の言葉に、民部はやや肩を落とした。一度浜尾を抜け出したものの、元々その土地を愛おしみ、鎌倉での居住地の名をつけていたくらいである。民部が落胆するのも無理はなかった。
「白方郷の明石田の西に、広い野の原がある。あの辺りは岩瀬と安積の搦手だ。浜尾の民らに慕われたその腕を、今度は明石田の地で振るってはもらえませぬか」
 その言葉に、はっと民部が顔を上げた。
 図書亮は、内心唸った。なるほど、上手い手を使うものである。隣の領地には安房守がおり、また、須田一族から信頼されている国人の明石田左馬助もいる。南に隣接するのは須田兄弟の三男、須田三郎兵衛が治める袋田。為氏らは民部に恩を売りつつ、二度と民部がふらふらしないように、人員が配置されたのだった。これならば、たとえ北から伊東の手が伸びてきたとしても、民部がやすやすとは寝返ることはないだろう。
「まことに、勿体ないお言葉でござる」
 本気で感動したらしい民部の様子に、安房守がひっそりと苦笑を浮かべているのを、図書亮は確かに見た。
「伯父上。浜尾の民は未だに伯父上のことを慕っておられるとの由。これも、伯父上が岩瀬の地に縁があったということでしょう。今後、民との縁の証として浜尾の姓を名乗られては如何か?」
 為氏の提案に、民部は相好を崩した。
「それはまことに有り難い。これからは、浜尾と名乗りましょう。御屋形の御恩、浜尾一族の末代まで伝えて参ります。正月には、今日の寿ぎの験として、御素襖引きを行わせましょうぞ」
 民部も、自分のした行為が格別咎められることなく、再度二階堂一族として迎えられたのが余程うれしかったのだろう。この言葉通り、浜尾家では正月十一日に、嘉例として「御素襖引き」が行われるようになったという。

©k.maru027.2023

>「和解(3)へ続く

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