【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~討伐(11)
夜が明けてから間もなく、貝の音があちこちから聞こえてきた。さながら、戦国絵巻のようだと思いながらも、鳴海は口元を引き締めた。
「放て!」
鳴海の隣で、大音声を発しているのは平助である。普段の学者然とした風貌はどこへやら、直違紋の入った鉢金を額に巻き、城の麓を通る街道筋から、何かの作業場らしき場所を目掛けて大砲を打ち掛けさせていた。
「あそこは、器具制作所でござった。天狗共の前に、山野辺家中の家臣らが三の丸や城内にある自宅に火を放ったとの由でござるから、最早あそこを守っても無意味でしょうな」
鳴海の側で自嘲気味に唇を歪めたのは、戸祭だった。石名坂から回ってきた戸祭もまた砲兵を連れてきており、鳴海や平助らの隊の砲兵と共に、城内に向かって絶えず砲を打ち掛けさせている。その轟音は、指揮を取っている鳴海ですら耳が痛くなってくるほどだった。散切隊の者が喚き声を上げながら、本丸への坂道を逃げ登っていく。
そのまま砲を放ちつつ、二本松の者らは散切隊を上へ上へと追い詰めていった。教練場と思しき建物跡の後ろ側には、空濠が掘られている。それに転げ落ちないように注意をはらいながら、一同は防塁のために積まれた石垣に沿って進んでいく。興奮に包まれた二本松兵は、眼の前の石垣も軽々と跨いでいった。助川城は鬱蒼とした小山に築かれた城だが、「海防城」の別名の通り、背後を振り返れば鈍色に変わりつつある常陸灘の海が見えた。
北東の側道から◯の肩章をつけた諸生党の一味が、やはり小砲を絶えず放ちながら登ってきた。その先頭で手槍を振っているのは、寺門だった。二〇〇名余りは率いているか。白い二本の旗を流しつつ山道を登ってくる様は、一端の武者のようである。
「大将、宮田より参りましたぞ」
意気揚々と合図を送ってみせる寺門に、戸祭が「ご苦労」と声を張り上げた。宮田村側の裏道から、寺門は手勢を率いて攻め登ってきたらしい。
「散切の奴らも、こうなっては形無しですな」
寺門は、またしても凄惨な笑みを浮かべてみせた。鳴海は黙っていたが、戸祭はさして気にしていないらしい。戸祭もまた、戦の興奮に酔っているのだ。
不意に、裏手の山上から轟音が響き始めた。反射的に、そちらに視線を向ける。葉を落とし始めた木々の隙間から見る限り、城裏手にある高鈴山の方からも、助川城に向けて砲撃が開始されたようだ。あちらには、相羽が回っていたはずである。鳴海らが散切隊を助川山頂に追い詰め始めたのを見て、援護してくれている。
さらに、南の道からも見覚えのある顔がやってきていた。
「鳴海殿、小川殿。ご無事でござるか?」
声を張り上げているのは、与兵衛だった。
「与兵衛様」
思わず、鳴海は笑顔をこぼした。見知った顔の援軍は、やはり心強い。
「与兵衛様。太田の後詰だったのでは?」
若干眉根を寄せた平助に、与兵衛は笑みを返した。
「また裏切り者が出たという風聞が太田に聞こえて参ってな。御家老の命により、加勢に馳せ参じた次第でござる」
与兵衛の背後には、やはり二〇〇は下らない兵がいた。鳴海の手勢が三〇〇、平助が二〇〇。それに加えて戸祭兵二〇〇、寺門勢二〇〇、与兵衛の兵も加えると、正面軍だけでも総勢千余りの大軍勢が、散切隊を追い詰めている計算になる。
二の丸まで来ると、不意に眼の前に平らな土地が広がった。ここも既に黒ぐろとした残骸と化しているが、立派だったであろう建物の跡が見えた。
「あれは、養生館ですよ。先代の山野辺殿が建てさせた、家中子弟のための学館でした」
やや感傷を帯びた声で、戸祭が解説した。だが、主の山野辺主水生は罪人として水戸へ送られた。もう、二度とあそこで子供らが学ぶことはないのだろう。
頭を振り、胸中にふと浮かびかけた感傷を消し去る。そして、鳴海は前方に目を向けた。その先には、立派な鐘楼と表門が見える。奥には助川城の本丸があり、田中愿蔵を始めとする散切隊の面々は、そこに立て籠もっているはずだった。
そこへ、植木らの兵も回ってきた。こちらも、どの兵も顔に興奮の色を浮かべている。
「ぼちぼち、火矢の支度をさせましょう」
平助が、鳴海に肯いた。時刻は既に夕刻に差し掛かっている。このまま本丸に向かって火矢を放ち、城を灰燼に帰させようというのだ。
>討伐(12)に続く
文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)