泪橋~怨霊(2)
「一応、知らせておこう。都で卯月二十九日、義成殿が将軍宣下を受けられた」
それは、図書亮も都の一色本家から知らせをもらっていた。丁度りくが木舟で出産を終え、娘と共に須賀川の家へ引っ越してきた頃のことである。
「それで、だ。建前上は持氏公の遺児である万寿王丸様が元服され、成氏公を名乗られた。それに伴い、鎌倉公方の役職も正式に復活した」
「ふむ……」
足利成氏は、図書亮の元の主筋である。鎌倉公方復活に伴い、宮内一色家の復興も認められるかもしれないという話を、以前にこの明沢が持ってきたのだった。
「成氏公は、お主の父御が最期まで忠誠を尽くされたことを覚えていらっしゃったらしい。上杉公も、それは認められておった」
明沢の言うところの「上杉公」というのは、上杉憲実のことだろう。図書亮にとっては仇敵だが、向こうは必ずしも一色家に敵意を抱いていない。それはそれで、複雑な思いだった。
「その上、一色殿が此度の戦でご活躍されたことが鎌倉府の耳にも入り、正式に一色家を関東に迎え入れたいという話が持ち上がっている」
「まことか」
気分が浮き立つのが自分でも分かった。鎌倉府筋から正式に迎え入れられるのと、地方の一豪族の配下として汲々としているのでは、待遇にも大きな差がある。また、新たに郎党を召し抱えるにしても、知己地縁の多い関東の方が、図書亮には好都合なのだった。
だが、須賀川との決戦で見た勇将らの最期の姿が、突如として脳裏に浮かんだ。あの者たちは、治部大輔が負けると分かっていても、今までの恩義に報いようと最期まで死力を尽くして戦った。その姿は、和田衆の間でも語り草になっている。今ここで図書亮が二階堂家を退去して鎌倉府に鞍替えすれば、人から後指を指されるのではないか。それを思うと、浮き立った気分もたちまち沈む。
しばし、沈黙が流れた。
「まあ、思い悩まれるのも良かろう。治部大輔との戦には勝たれ、娘御も生まれた。このままでも悪い暮らしではあるまい」
「このままでいいものか」
思わず、本音が漏れた。実はあの時以来、安房守とは微妙に感情の壁が出来始めている。今まで箭部の一族としての振る舞いを強調されてきたのに、突如として「一色殿」と他人行儀な呼び方をした一族の長に対する不信感が、どうにも拭えないのだ。図書亮にも、矜持というものがある。本来の家格で言えば、一色家は二階堂家と肩を並べる家柄であり、図書亮が宮内一色家の惣領として活動するならば、関東に戻る方が望ましい。
「では、関東に戻られるか」
明沢の言い方は、どこか突き放したような物言いだった。だが、図書亮は首を横に振った。
「……今は、まだその時ではないのだろう。時機が熟しておらぬ」
そう考えるしかない。だが、その時機はいつまで待ってくれるか。為氏に仕えることを決めたときもそうだったが、図書亮に興味を持っているという成氏も、まだ子供だ。こちらは元々の主筋ではあるが、情報が少なすぎる。焦って蹉跌を踏みたくはない。
「そう来たか」
苦笑する明沢を、図書亮は睨みつけた。
「そういうお主は、何のためにここに来た。治部との戦の決着はついただろう」
忍びの者であるには違いないが、何を企んでいるのか。既に治部との決着がついた今、この僧が姿を現したのも不自然だった。
「儂はあくまでも一介の僧だ。僧侶として祈祷に呼ばれたまで」
しゃあしゃあと述べる明沢だが、その言葉に引っかかるものがあった。
「祈祷?」
「お主、知らんのか。須賀川城内で、近頃怨霊が出るらしい」
©k.maru027.2023