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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~終焉(8)

 二本松兵らは、十一月八日から順に太田を出立した。その第一陣は、鳴海ら五番組である。八月に二本松を出てくるときは、前代未聞の出水に巻き込まれて難儀したが、今日は出立に相応しい、初冬の小春日和である。
 北の黒門には、大沼から戸祭と寺門もわざわざ見送りにやってきていた。背後には、内藤が背筋を正して立っている。
「もうこれで二本松の方々とお別れかと思うと、何やら名残惜しいものですな」
 戸祭は、そう言って笑った。この男とも幾度も共に戦った仲である。海岸方面も落ち着きつつあり、両派から焼き払われた家々への手当や見舞いなどで、これから当面きりきり舞いであろうと、彼は苦笑混じりに述べた。
「大将。万が一二本松が危ない時には、それがしを呼んでくだされ。たとえここから四十里の距離があろうとも、駆けつけまさあ」
 寺門が、にっと黄色い歯を見せて笑った。相変わらず、遠慮というものを知らない男である。一介の博徒から立身し、この地の英雄として扱われているこの男が、今後どうなるかはわからない。だが今は、その将来について思い悩んでやることは、野暮であろう。
「そなたの酒気が抜けていたら、な」
 鳴海も、負けずに笑顔で言い返した。その声に、寺門が情けなさそうにへにゃりと眉を下げる。
「あっしから酒を取り上げたら死んじまいますぜ、大将」
 背後で、笑い声が弾けた。権太左衛門が肩を揺すっている。今ではもう、包帯はすっかり取れていた。その隣で馬に跨った成渡も、身を震わせている。首を巡らせると、どの顔も笑顔だった。寺門には残忍な一面もあるが、この可愛げが、内に秘められた残忍さを中和している。戸祭がこの男を取り立てたのが、何となくわかるような気がした。
「今しばらく命を永らえたければ、もう少し酒を控えよ。寺門殿」
 鳴海の穏やかな声色に、寺門がやや目を見開いた。思い返せば、鳴海が寺門に直接労りの言葉をかけてやったことは、なかった。その両目が、わずかに潤んでいる。鳴海は再度、寺門に肯いてみせた。
「寺門殿。もし二本松に来られることがあったら、その時は一杯馳走しよう。二本松には、旨い酒がたんとあるぞ」
 成渡が、笑いを堪えながら寺門に告げた。しんみりとしょぼくれていた顔が、ぱっと弾ける。
「約束ですぜ、大島様」
 再び、背後から笑い声が湧いた。
「鳴海様。そろそろ」
 馬を寄せて出立を促す井上に、鳴海は軽く肯いてみせた。「白河辺の警固に当たるように」という市川からの命令があったため、この後は一旦棚倉街道を小中宿まで北上した後に、先日市川勢と天狗党と戦いになったという月居峠を通り、今日は大子で宿を取る予定だった。その後、大子から金沢村や黒羽藩にある須賀川村、大田原を通って伊王野、芦野と順次北上して白河を目指す。
「道中、どうぞお気をつけて参られよ」
 内藤の言葉に、鳴海は改めて頭を下げた。水藩の面々の中では、数少ない鳴海らの理解者でもあった。内藤とも二度と会うことはないと思うと、やはり一抹の寂しさを覚えた。
「参るぞ」
 鳴海は、馬首を北に向けた。鳴海の愛馬の軽やかな蹄音が、初冬の棚倉街道に響く。
「約束ですぜ、鳴海様。きっといつか、二本松で旨い酒を御馳走してくだされ」
 背後から聞こえてくる寺門の声に、鳴海は背を向けたまま右手を挙げて応えてやった――。

 ――それから四日後、鳴海は白河郊外にある白坂から再び棚倉街道への間道を通った。伊香宿いこうじゅくのすぐ近くにある塙陣屋には、幕府の代官所が置かれている。その一つ手前にある八槻やつきが、後から到着する予定の与兵衛や源太左衛門らとの待ち合わせの宿場町だった。
 白河城下手前にある白坂から再び南下して大畑村に入り、戸中峠を越える。この辺りは鬱蒼とした山道である。大の男である鳴海でも、その薄暗い細道には閉口させられた。釣瓶落としに日が短くなった今の時期は、できるだけ早く通り過ぎたい。辺りには人影一つ見当たらないほどの寂しい道だった。
 足早に馬を進めさせると、大梅村の集落が見えてきた。ようやく人家が見えてきたことにほっとする。ふと村入口のところを見ると、こんもりと土が盛り上げてあるのが見えた。その前で、大梅村の村人らしき男が手を合わせている。胸騒ぎがして、鳴海は馬から下りた。
「少しお尋ね申す」
「へえ」
 鳴海の声に手を合わせていた男が驚いたようにこちらを振り返り、頭を下げた。
「土がまだ新しいようだが……。ここで誰か死んだのか?」
 男が、ちらりと塚に目をやった。
「ここには、八溝山から逃げ下ってきた散切隊の者らが、埋められているのでございます」
 その言葉に、鳴海は顔を強張らせた。やはり、散切隊の者らはこの地にも来ていたのか。だが、田中愿蔵が捕縛されたのが十月四日だ。一月あまり前の話である。
「関東では悪行三昧だったという散切隊も、ああなっては憐れでした」
 農夫は、鼻を啜り上げた。田中隊が八溝山で解散したというのは太田で聞いていたが、農夫の話はそれ以上に悲惨だった。八溝山の社殿にはわずか籾三俵しかなく、多くの将兵は三日間も何も口にできなかった。さすがの田中愿蔵も、この事態に対して打つ手はなく、隊の解散を決め、八溝山中の渓流の水で水杯を交わした。
 その隊員らのうちの三十余名が、八溝山の北参道から戸中村に下りてきたのだった。が、当然水戸藩を通じてこの地にも棚倉藩の手が回っている。それを知らない首領格の男は、戸中村の庄屋である石井という男に、「山田直之丞という剣術師範を訪ねたい」と申し出た。石井は首領に、夕刻にでも山田宅へ送り届けようと約束をした。その言葉を信じた首領は、従者一人を連れて再び石井を訪ね、蟹内坂に差し掛かったところで不意打ちに遭い、棚倉藩士とそれに付き従ってきた農兵らに、惨殺されたという。
 首領の帰りを待っていた残りの散切隊の者らも、石井の手引によってたちまち捕縛され、近所の土蔵に監禁された。そして後日、塚の直ぐ側にある十数尺もある桜の大木に捕縄姿のまま引っ掛けられ、農兵らによって吊るし切りにされたという。二十四名の死骸は、見せしめのためか、しばらくその辺りに打ち捨てられていた。そこへ、腹を減らした野犬や狼が群がって死体を食い散らかしていくものだから、目を覆いたくなるような、酸鼻極める様相を呈していた。
 あまりにも凄惨な光景に耐えきれなくなった有志の手で、散切隊の遺体が丁寧に埋葬され直したのは、つい最近なのだという。かつ、誰が言い出したものか、最近ではこの辺りを「天狗平」と呼び習わしているらしい。
「そういえば……」
 農夫が、ちらっと原の方に視線を向けた。その先には、直違紋の旗印がある。
「あくまでも噂ですが……。首領の方は、『二本松藩士の者である』と名乗られたそうでございます」
 鳴海の足が震えた。詳細を聞かなくても、直感的に分かった。その首領の男は、藤田芳之助に違いない。背後で、どよめきの声が上がっている。
「鳴海殿……」
 耳元で囁いたのは、成渡だった。彼の顔も、真っ青である。その青い顔を一瞥し、鳴海は押し殺すように告げた。
「……八槻宿に着いたら、棚倉藩の御方に詳細を伺う」
 厳しい声色の鳴海の言葉に、成渡は黙って肯くのみだった。

終焉(9)に続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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