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観世寺談話(3)

 芳之助の脱藩には、鳴海も関わっていた。あの時、芳之助を引き止めていれば。或いは、芳之助が天狗党と関わりなく逐電していれば。さまざまな感情に振り回されそうな己を殺し、鳴海は番頭として切腹を命じた。が、結果的に芳之助は逃亡し、天狗党の一人として棚倉藩の手に掛かって絶命した。その折に、芳之助は二本松藩士を名乗ったという。鳴海は一連の出来事を、どのような思いで受け止めていたのか。
 芳之助の処分について特別二本松藩が咎められることはなかったが、やはり芳之助は生まれ故郷である二本松藩へ戻りたかったのだろうというのが、大方の見解だった。志摩は、それを与兵衛の口から聞いていた。
 鳴海は大方のことについては沈黙を守り続けたが、ただ一つ、芳之助の妻の処分については丹波に真っ向から異議を唱え、危うく彦十郎家の取り潰しを招きそうになった。
「――己の卑小さが、恥ずかしゅうございます」
 志摩は、小声で呟いた。詰番の座に就いたのは鳴海よりも志摩の方が余程早かったのだが、そこまで考えが至っていなかった。やはり器量では、鳴海には敵わない気がする。近頃、与兵衛が「鳴海殿を見倣え」と苦言を呈するのも、道理だと思い知らされた。
 右手を額に当てて肘をつき俯く志摩と並んで、成渡も再びため息をついた。
 あの後、鳴海も随分と良心の呵責に苦しんだに違いない。成渡の目から見ても、番頭となってからの鳴海は、本来の己を殺して無理を重ねて続けてきた。生来は政に興味がなかったにも関わらず、芳之助の脱藩騒動を契機として水戸藩との対峙に巻き込まれ、本来武官である番頭が担当することのない民政まで、学び続けている。もちろん、鳴海が執政職に就いたときにはそれらの知識や経験も大いに役立つのだろうが、尊皇攘夷運動を契機として、世の中は急激に物事が変わっていこうとしている。成渡は、鳴海が無理にその動きに背丈を合わせようとしているのが、不安だった。ある日突然、ぽきりと何かが折れやしないか、と。
「――右門には、この話は?」
 志摩は、ようやく顔を上げた。
「右門殿にはしておりません。鳴海殿から口止めされたこともありますが、右門殿は番入りされたとはいえまだお若いですし、ご次男ですから」
 その言葉に、志摩は再び口を噤んだ。成渡が自分にこの話をしたのは、志摩がいずれ与兵衛の跡を継ぎ、鳴海と同じように番頭となる可能性があるからなのか。 
 番頭の座、もしくはそれと匹敵する座に就いたとき、自分は藩の重鎮としてどのような決断を下すのか。成渡は、それを暗に志摩に問いかけてきたものだろう。
「国を守るためならば、鬼ともならん……ですか」 
 志摩が呟いたのは、白河藩主である松平定信公の言葉だった。寛政の改革で有名な人物だが、老中の座を退いた後になぜか二本松にあるこの寺に遊びに来て、そのような趣旨の歌を残していったのだった。成渡が遠乗りの目的地としてこの場所を選んだのは、その歌の謂れを知っていたからかもしれない。
「志摩殿が番頭の座に就かれるときには、どのような番頭となられるおつもりですか?」
 成渡の質問に、志摩は静かに答えた。
「まだ、決めかねております。第一、そのようなことを口の端に上らせれば、我が父が『年寄扱いするな』と臍を曲げましょう」
 ふっと、成渡が口元を緩めた。
「それは間違いないですな」
 帰藩後、一時は戦の疲れからか寝込んでいた与兵衛だったが、志摩としても、まだまだ父に現役でいてもらわねば困る。が、まずは鳴海の見ている世界に一刻も早く追いつきたい。成渡から鳴海の思いがけない姿を聞いて、畏怖を覚えた。だが、やはり志摩にとっては幼い頃から親しみ、憧れ続けてきた存在でもある。せめて、隣に立って支えてやれるだけの度量は身につけたい。そんな決意を秘めた横顔をちらりと見た成渡は、再び何か考えているようだった。
「――あの時鳴海殿は、芳之助から『妻の命だけは、守って欲しい』と懇願されておりました」
 再びの成渡の話に、志摩は顔を上げた。
「丹波様のことですから、激情にまかせて妻を処分するよう命じるかもしれない、と。それであれば、いっそ藤田芳之助という人物が二本松に生きた証を消してしまっても良いと、芳之助は申しておりました」
「それで……」
 藤田芳之助に関する記録がいつの間にか消されていたというのは、与兵衛の名代として出席した年末の御前会議で、聞かされていた。幕府の追求を躱すためというのが表向きの名目だったのだが、その真意は別のところにあったのか。
「鳴海殿の御指示、でしたな……」
「地方は随分と抵抗したようですが」
 微かに苦笑を浮かべる成渡の言葉に、志摩は鳴海の別の顔も見た思いがした。だが、むしろこちらの方が、幼い頃からよく知っている鳴海の顔のような気もする。
「肝心の芳之助が死んでしまっていますから。あまり褒められたことではないのでしょうが、芳之助の縁者は領内から放逐、以後お構いなしとの処分が下されたのは、鳴海殿のお力によるものです。芳之助が二年も所在不明だったというのも、大きかったのでしょう」
 志摩は、ひっそりと笑った。部下の様子には目配りを怠らないにも関わらず、なぜか女性のことについては鈍い鳴海である。案の定、妻であるりんの懐妊を知ったのは、常州から戻ってきてからだった。そんな鳴海も、間もなく父になる。それも相まって、色々と思うところがあったのかもしれない。或いは、最期に己の生きた痕跡を消してまで妻を守ろうとした、芳之助の思いに答えようとしているのか。いずれにせよ、鳴海はまだ人としての心も、残しているということだ。

観世寺談話(4)に続く

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