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【鬼と天狗】第三章 常州騒乱~終焉(4)

 十六日は鉄砲の打ち合いばかりだったが、十七日、二本松軍に対して、幕軍歩兵方の北条新太郎と共に、湊原に出撃するようにとの伝令が市川から来た。
 十六日の夕刻、諸将は中根において軍議を行い、攻撃方法についてあれこれと協議を重ねた。
「湊には、未だ亡き大炊頭様に付き従ってきた兵らがおりまする。もう糧食が残り少ないとはいえ、それらを死守せんとしておりましょう」
 北条は、忌々しそうに舌打ちした。こちらの戦局についてあまり通じていない鳴海は、黙ってその言葉に耳を傾けていた。
「さすれば、その糧食の補給を絶たねばなりませぬな」
 源太左衛門の脇から、平助が飄々と述べた。軍師である平助の頭の中には、既に計略の図が浮かんでいるらしい。
「湊原の舟蔵にも、まだ幾ばくかの糧食が積み上げられておりましょう。それらを焼き払い、天狗勢が湊に留まる理由を失わせるべきでございます」
 淡々と告げているが、那珂湊を焼いてしまおうというのだ。続けて、こちら側だと風上に立つことになるので、できれば風下側、すなわち那珂川の側から火攻めを行うのが良い、と平助は計略を示していった。そのためには那珂川に舟を浮かべ、その中から火矢を射掛けるのが効果的である。
「承知致した。那珂川は水戸藩の要路。舟の手配はいくらでもつきまする」
 得意気に胸を張った北条から、鳴海は視線を逸らせた。幕軍の歩兵頭である北条には、その先が見えていないらしい。那珂湊は水運に恵まれ、ここには反射炉など国内最新の設備もある。いわば、水戸藩の叡智の象徴とも言うべき場所だった。それだけに徹底的に潰す必要があるのだが、これで水戸藩そのものも、もう再起を図ることは不可能になるだろう。それこそが、幕閣らの描いている狙いだとしたら、これ程恐ろしい話はなかった。
 だが、戦を眼の前にした今の諸生党らには、それが見えていない。ひたすら「天狗党憎し」の感情に突き動かされている。
「――というわけで、五番組からも砲兵や弓矢の術に長けた者を、お遣わし願いませぬか」
 平助の言葉に、鳴海ははっと物思いから醒めた。
「もちろん、よろしゅうございます。先の助川城攻撃でも、火矢は効果的でしたからな」
 無理に笑みを浮かべる鳴海を、平助が不思議そうに見つめた。が、すぐに打ち合わせに集中する。鳴海も、再び意識を眼の前の図面に戻した。

 攻撃は、早暁七ツ(午前三時)から始まった。幕府軍は夜半に南下して柳沢村を通り、小川近くのところから幾艘もの小舟に二本松兵や水戸藩兵が乗り込んだ。北条らは平磯口へと周り、そこから順次南下して火を掛けていく手筈となっている。
 各組の選抜兵らは、原兵太夫の指揮の下で次々と舟の中から火矢を放っていった。残った者らは陸上からその舟と並行するように、館山を目指す。ここは、武田伊賀守らの本拠地だった。松林が広がっているため、身を潜めるには格好の場所である。案の定、松林を抜けようとしたところで、俄かに天狗勢が現れた。
「退くな!」
 鳴海の怒声も虚しく、じりじりと押されているのがわかる。新たに自軍を叱咤しようとした時、幕軍からの伝令が馬を飛ばしてきた。
「戸田五介様よりご伝言でござる。林の右手前、小松原と言われる場所に我が方の人数を固めておる故、そちらへ参られよ」 
「承知仕った」
 鳴海は一つ肯くと、傍らに控えている井上に「皆にこの旨を伝えよ」と告げた。井上が、馬を駆けさせていく。
 逃げてくる天狗勢と斬り結んでいる部下も次第にまとまり始め、伝令が伝えてきた小松原を目指して動き始めた。館山に籠もっていた武田勢も必死なのか、弾丸が雨の如く頭上を飛び交う。
 突如、ごおっという音に続き、凄まじい爆発音が響いた。反射的にそちらを振り返る。水戸藩の自慢だった反射炉が爆破されたのだ。反射炉から数丁離れた場所にいた鳴海の目にも、もうもうと砂塵とも黒煙ともつかぬものが見えた。
「――これでもう、終いだな」
 不意に、傍らでぼそりと呟く声があった。いつの間にか、十右衛門が鳴海の側に来ていたのだ。
「惜しいことをするものだ。反射炉を潰してしまっては、これからどうやって大砲を作るというのだ」
 砲術家らしい彼の言葉に、鳴海はふっと息を吐き出した。口には出せないが、鳴海も同じ思いだった。手製の小銃を細々と作るのとはわけが違い、大口径の鋼鉄の強靭な大砲を作るには、反射炉が不可欠である。反射炉の破壊は、この先の国防を考えれば決して褒められたものではない。砲術家である十右衛門は、それを嘆いているのだ。
「滅多なことを口にするな。我々とて、御公辺に逆らえば簡単に腹を切らされるぞ」
「お主らしくないことを言う」
 鳴海の言葉を受けて、十右衛門も小さく笑った。先日の助川城総攻撃の後、彼は再び家老付きとして太田に戻っていた。その十右衛門の耳にも、市川らの残虐非道の処置は聞こえていたに違いない。
「義彰がこの有り様を見たら、さぞ嘆くであろうな」
 三浦権太夫義彰は、二本松藩きっての尊攘派の志士である。十右衛門の甥でもあるのだが、鳴海が見る限り、十右衛門は権太夫にむしろ反発を覚えていたはずだった。思いがけない名前に動揺し、十右衛門をまじまじと見つめる。今更、尊攘派に肩入れしようというのか。
 鳴海の動揺を見抜いたように、十右衛門は首を振った。
「義彰の言い分が正しかったとは思わぬ。だが、尊攘派への取り締まりの結果が、これだったかと思うとな……。あれが国元で謹慎処分を受けていたことは、却って幸甚だったやもしれぬ」
「……何か、存じておるのか」
 鳴海は、鋭い眼差しを向けた。先月十四日の芳之助との対峙は、成渡以外に知る者はいないはずだった。
「何も。ただな……」
 十右衛門が、鳴海から視線を逸らせた。が、何かを言い淀んでいる。
「芳之助のように、あれが国元を出て水府浪士と交わっていたら、到底助命は叶わなかったであろう。そして、それが引き金となり、藩の尊攘派の感情を焚き付けて藩論を割ることになったかもしれぬ……と思うとな」
 鳴海も黙った。眼の前に、ごうごうと炎が燃え盛っているのが見える。あたかも、水戸藩が上げる断末魔のようだった。
「拙者も助川の城が落ちた夜に、お主と似たようなことを思った」
 鳴海の小声に、十右衛門が鳴海に顔を向けた。その視線は、柔らかい。
「やはり、そなたは非道の鬼にはなれぬ男であるな」
 どこか揶揄を含んでいるようでもある。「鬼鳴海」は、藩内での鳴海の二ツ名として、密かに囁かれてきたものだった。今回の常州遠征では、実際に幾度も戦いに臨んでもきた。それもあり、これからは公然とその名を言われるようになるのではないか。鳴海の憂鬱をよそに、十右衛門がぼそぼそと言葉を続けている。
「だが、儂は同じ鬼の名を持つ者であるならば、お主のように、人の心を備えている鬼が良い。五番組の者らも、お主が人の心を持っているのを知っているからこそ、慕ってくるのであろう」
 鳴海は、ふと口元を緩めた。この男と気の置けない会話をしたのも、久しぶりである。思えば出陣以来、ずっと番頭として気を張り詰めさせ、とりわけ水府の人間には侮られまいとして、虚勢を張ってもきた。成渡もそうだが、眼の前にいる十右衛門は、鳴海が番頭となる前――鳴海がまだ一介の兵士であった頃からの知己である。それら知己からの心遣いは、今の鳴海にとって大いに慰めとなった。
「申し上げます!」
 不意に、人垣が崩れてざわめきが起こった。片膝をついているのは、源太左衛門の組の兵だった。
「何事か」
「朝河安十郎殿が狙撃されました。ご重篤でございます」
 鳴海の顔から、血の気が引いた。隣に立つ十右衛門の顔色も、変わっている。朝河安十郎は、江戸詰の砲術師範である。父の八太夫と共に、丹波の命令に応じて此度の陣に加わっていたのだった。
 ここはまだ戦場なのだと、鳴海は唇を引き結んだ。
 鳴海らが元の陣地へ戻るように幕軍からの伝達を受けたのは、それから間もなくのことだった。

終焉(5)に続く

文/©k.maru027.2023.2024
イラスト/©紫乃森統子.2023.2024(敬称略)

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