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もやもやしてたのしくない君たちへ

君たちは、たぶん今もやもやとした。なんだか楽しくない、何を食べてもおいしくない、友だちといっしょにいてもたのしくない。そんなこころのなかにもやもやをもっているんじゃないかな?
そのもやもやはどこからくるのだろうか?

友だちとケンカしたからだろうか?

テストでいい点がとれなかったからだろうか?

お父さんお母さんにおこられたからでしょうか?

いいえ、ちがいます。
そのこころのもやもやは君たちが君たちの自分のこころが作っています。なぜこころはそんなもやもやを作るんでしょうね?それは君たちが生きてるいまよりずーっとむかしのおじいちゃんやおばあちゃんやそれよりもずっとむかしの人たちがどうやって生きていたんだろうか?ということに「こたえ」があるんだ。
ずーっとむかしの人たちはいまのぼくたちやわたしたちよりずっと何もない生きかたをしていました。どうぶつの皮をきて、石をじかんをかけてけずったぶきをもってどうぶつをつかまえたり、しぜんにあるくだものをとったり、かれた草でおうちを作ったり、どうくつにいえを作ったりしていました。
じゃあその人たちは何もないのだから今のぼくたちやわたしたちよりもたのしくない、おもしろくない、そんなふうに思ってたんでしょうかね?ちがいますよ。ぼくたちやわたしたちよりずっとたのしく生きていました。
どうしてなにもないのにたのしく生きられるんだろうね?それはむかしの人たちは友だちやかぞくといっしょに生きていてたすけあってくらしていたからです。どうぶつをとった人はそれをみんなと分けて食べたし、くだものをとった人もそれをみんなで分けて食べた。たのしいことがあるとあっはっはとわらっておどったり、とてもかなしいことがあるとみんなでえんえんなきました。
今のぼくたちわたしたちとずいぶんちがうようにおもえるね。ぼくたちやわたしたちにはたべるものもあまいおかしもテレビもスマホもゲームもなんでもあるね。でもそれはそのときはたのしかったりおいしかったと思えてもすぐにわすれてしまうね。そしてすぐにたのしくないことをおもいだして、くよくよとしてしまう。そうじゃないかな?
ぼくたちわたしたちはもともとはずっとみんなとくらすのがあたりまえでそれが「ふつう」だったんだ。でも今のぼくたち私たちはそうじゃない。ひとりでいるのがおおくて、友だちといてもお父さんお母さんといてもたのしくない。さびしかったり、いやなことをかんがえたり、つらくなったりするとおもう。
人はひとりではたのしくなれないのです。でもぼくたち私たちはだれかといてもたのしくなれないんだよね?それは君たちがだれかといることで君がいっしょにいる友だちよりもべんきょうができないとかうんどうができないとかゲームをもってないとか友だちがすくないとかそういうことをかんがえてしまう。なんだかとてもいやなもやもやができてしまうからなんだ。

どうしたら?このもやもやしたきもちをなくせるのだろうか?

そのもやもやは君たちにこれからもずっと、たぶんおとなになってもついてくるとおもう。おとなになってもみんなもやもやして生きているんだ。でもだからもうダメだとおもわないでほしい、君たちもそうであるようにたまにもやもやしないときがある。たのしかったりワクワクしたりあんしんできたり何かをずっとやっていたりそういうこともあるんじゃないかな?
そういうことはとてもたいせつなこと、今は何かをずっとしているとおこられたり、もうやめなさいといわれるときがあるよね?でもおとなになればそういうことをもっとながいあいだしていてもおこられないし、お父さんお母さんにべんきょうしなさいと言われたり、がっこうで友だちとしかたなくいっしょにいなくてもよくなるんだ。
そして何よりも今いっしょにいてたのしくない友だちではなく、もっとひろいせかいで君と同じことをたのしいとおもえるまだ君とあってない友だちがたくさんいる。きみたちにはまだまだたのしいことやワクワクすることやおもしろいことがたくさんこのせかいにはあふれているんだ。
このせかいをたのしくするのもつまらないおもしろくないたのしくないせかいにするのも君たちのこころなんだよ。だから君たちがたのしく生きようとすればたのしく生きることはできるはずなんだ。でもそれはすぐになかなかうまくいかない。でもあきらめないで生きているなかでおとなになるなかでたのしいせかいはかならずある。
きみたちの「いきるいみ」をみつけてほしい。それをみつけることがわたしたちがうまれてきた「りゆう」だからです。


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