教養は自由を得るための手段
●桜の季節、新しい世界へ
我が家の元気印、お姉ちゃんが小学校へ入学しました。
入学式からお話できるようなお友達を見つけて、何やらワクワクしています。
意気揚々と楽しみながら登校すること数日、早速、第一の壁にぶつかりました。
確かに、普段から食べることが遅い自分をいつも気にしてる彼女。保育園時代に何やらトラウマのような苦手意識を得てしまったようです。さらに牛乳もあんまり好きじゃない。
だから小学校の給食テンプレートである(と勝手に思っている)、牛乳!パン!早く食べて!片付けて!
…みたいな流れを想像していてビビっていたのかも。
登校開始から数日経って、給食の実態を知るとさほど怖れることも少なくなりました。
今は、
が彼女のトレンドのようです。笑
●"知らないことがたくさん"は嬉しい
大人でもとても良く理解できる内容です。
・やったことないこと
・ちょいとやってみても楽しいと感じないこと
・自分がコントロールできないこと
・自分以外の知らない誰かと何かしら関わること
・その他もろもろ
新しい何かに意図せずともチャレンジしなければならないのは大人も同じ。子どもたちはいわずもがな、大人も就職や人事異動、転職などで新しい環境に身を置いている方がたくさんいらっしゃると思います。
自身の経験にないことに触れる…不安になるのは当然でしょう。ましてやウチの子を例に挙げると生まれて6年強、そんなに挫折したこともなければ世の中のことも知らない。そりゃ不安だぜ。
ただ、私は"知らないこと"に出会うことはポジティブだと捉えています。
大人になって中途半端に歳を重ねると、たとえ新しい可能性があったとしても「たぶんやったことある」「昔、聞いたことあるから知ってる」「これって○○だよね」と、変な経験則から心を動かすチャンスを逸している気がします。白紙のキャンバスに絵を描き出す時の楽しくフレッシュな気持ちはそこにはありません。
第三者からの意見や周囲の目線を気にして失敗を怖れることによって、安定感があり経験のあることばかりを選べば成長はなさそうです。
だからこそ、知らないことがたくさんある状態というのは言わずもがな成長チャンスを含んだ乾いたスポンジ状態です。これは間違いなくポジティブなことでしょう。今からそんな機会に恵まれる方々は羨ましいこと限りなし。知らないことを存分に楽しんでいただきたい。
●感性=知識×経験
とはいえ、新しい環境に身を置くその瞬間から全てがチャンスだと捉えることは至難の業です。人生を何周か繰り返せばそれも可能かもしれませんが、そんな達観した視座を持ち合わせている方は少ないでしょう。
なので、目の前の環境の中からチャンスと捉えることができることを探し出す感性が必要だと思っています。
「今こそが成長の機会だ」「今こそ頑張り時だ」と自身を鼓舞して前に進むために必要なのは、フィジカルなパワーではなく感性が生み出すメンタルなパワーです。この力さえ身につけば何が起きても大丈夫。心・技・体とよく聞きますが、心を鍛えるとその他の2つも効率よく鍛えることができそうです。
では、そんな感性を鍛えるには何が必要か。
私はそもそも感性とは知識と経験の積み重ねであると考えています。いわゆる【センス】として日本では意訳されていることもある感性という言葉ですが、まさにその通り。
代表的なモノにファッションセンスがありますが、これはどんな表現がしたいのか、どう思われたいのか、自身がどうなりたいのかという無意識な情緒を具現化したものです。
色や素材の使い方やシルエット、組み合わせの妙など表現において正解がないゆえに誰しもが戸惑い、時には自尊心に影響を与えるほどの世界観です。
何をどう扱えばどのような効果が生まれるのかは、たくさんのモノを見て、たくさんのコトを感じて、人生の経験値を重ねることで醸成されていきます。とはいえ、ただ無作為に経験を重ねてもバラバラしてまとまりが生まれません。だからこそ知識として何があって、どんな組み合わせがあって、どんな素材や色があって…云々、自身の"なりたい像"に適う要素を知ることが大切です。
対人的なコミュニケーションのセンスも同じです。
何を言えばどう思われるか、相手はどうして欲しいのか、その場の空気を読むことで自身の言動の方向性を掴むことができます。
これも人と話す、様々なモノやコトを介して他者と繋がる、時にはぶつかり、喧嘩をしたり悩んだりした経験から育まれる能力です。
と同時に、感情の種類や扱う言葉の意味、表現方法、伝えたい想いを具現化する文脈構築など、知識として蓄えた情報を整えることで、全体的なコミュニケーションのセンスは磨かれていきます。
一般的に「あの人はセンスがイイ」なんて言われている人は、知識と経験が豊富なんだと思います。本人はいたって普通、特にセンスを磨こうとしているわけではなくとも第三者からこのように評価される方がいます。
きっとその方が生きてきた軌跡において、下意識の中で繰り返されてきた経験、自己問答がそうさせているのでしょう。
手段がわかれば実践のみ。
▶︎知識を得て経験を積む
ただそれだけで感性は磨かれて自身の力になってくれるはず。であるからこそ、新しい環境とは自身の感性を磨く最大のチャンスなのではないでしょうか。
●教養=感性×社会性
…きっと子どもたちなら、こんな感じで全ての理論ボードを感情の力で暴力的にひっくり返されそう。そりゃそうだ。生きる上で絶対不可欠かといえばそうでもないでしょう。しかしながら、私は感性こそが人生を豊かに過ごすために必要な能力だと思います。
とはいえ、人は物理的に1人で生きていけるわけではありませんので、正確に表現すれば感性はあくまで豊かさを獲得するための入口に過ぎません。
私たちが活動しているこの社会は、生き物のように日々進化し続けています。過去の通例は現代では異質。そこで生活する人々の価値観の積み重ねが社会に空気という大きなうねりを生み出しています。
そして、その生み出された空気が人々の生きる世界に蔓延していきます。人間は集団を作ることでリスク回避をする生き物だからこそ、その社会に流れる空気を乗りこなすための課題がそれぞれの人生フェーズで顕在化してきます。
進学したら新しい先生や友人と出会い、就職したら社会人としてのマナーにぶつかり、転職や人事異動をしたらこれまで息をしてきた世界とはまた別の空気を吸う…などなど、その場に流れる空気というモノはやっかいで難解、慣れるまでに時間がかかります。
社会生活を営む以上、他者との関わりを避けては通れません。いわゆる社会性というものが問われる瞬間です。一般的に社会性とは集団の中でうまいこと機能する性能を指すことが多いです。転じて、属する集団の中に通用する一般論とも捉えられます。
磨かれた感性を発揮する機会はまさにココ。
新しい環境に身を置く方々なら痛いほど思い知る前述したそれとなくそこに流れる空気、これこそがいわゆる見えない壁であり誰もが苦戦する課題です。
見えない社会という大きな壁にぶつかりながら感性を研ぎ澄ませていくことで、その人の人間性が形作られていくと思っています。良いことも悪いことも楽しいことも辛いことも、その全てが自身の心を磨く良き機会となり得るでしょう。
感性と社会性を積み上げていくと、初めて教養という豊かさに直結した価値観を獲得することができます。
教養とはただの知識ではありません。頭がいい人のことを教養がある人と言うのではありません。教養とはズバリ、自身の経験値から生まれる心の豊かさそのものを指します。
教養をたくさん蓄えると人生が激変して、どんな壁や課題にぶちあたろうとも自由に物事を捉えることができて、豊かな発想で前向きに取り組むことができるでしょう。
●思想的な自由がもたらす心地良い世界
思想的な自由というのは、何にも縛られないということを指します。
TVやWEB上に流れているメディアを見ていると、稀に怪しい(というよりも根拠に欠ける)内容の報道やニュース、コメントなどに出会います。
友人同士で会話をしていてもいわゆる噂話に翻弄されることもあるでしょう。
社会に出ても同じように、真偽はわからないけれど感情で判断されている局面に陥ることもしばしば。
収益だけを目的としたインフルエンサーがSNS上でたくさん生まれていることも、現代のカオスな状況を示唆されているかのようです。
いずれも【紛れもない事実】なのか【個人的な感想】なのか、線を引くことが難しいことがたくさんあります。
そんな時に教養が欠けていれば目の前の情報を鵜呑みにしてしまい、自身の思想がその浮いた情報に引っ張られて、歪んだ感情で物事を判断しがちです。
「自分の人生なんだから別にいいじゃん」となりそうですが、誰かの何かしらの価値観に縛られる人生は果たして自分の人生なんだろうか、なんて思ったりすることがあります。
自分で考えて自分で行動するためには考え方のメンター(師匠)は必要です。私自身もそうですし、誰しもが影響を受けた人やモノ、コトはあるでしょう。それらを否定しているのではありません。
現代は情報過多で、真偽不明な有象無象のささやきで埋め尽くされています。そんな中で自身の価値観にフィットするモノだけを抜き出すのは簡単なようで困難です。
だからこそ、教養を蓄えて豊かな心で物事を測れる人間になりたいと思っています。そうすれば謎の情報に躍らされず、明確な【自分】を持って社会で立つことができるような気がしています。
やや思想的な流れに逸れてしまいましたが、知識と経験を積み上げて感性を磨き、社会に出てあれやこれやと苦悩の日々を乗り越えて教養を蓄えていけば、新しい環境でも随分と楽チンに適応できそうです。
教養を得るために刺激をポジティブに捉える。刺激は時には痛いけれど、間違いなく自身の人生を豊かにしてくれる。だから前を向いて、辛い時はサボって、楽しい時は堂々と笑って、誰かの感想は気にせず自身の考えを真っ直ぐにぶつけていくんだぜ。そうやってトゲトゲした感情すら糧にして感性を磨き、人生を自由に謳歌してください。
春、これまで生きていた社会が一変した私の子どもたちに伝えたいメッセージでした。
辛くても怖くても面倒くさくても、毎日、文句を言いながらもテクテクと学校に向かう小学生たち。
先輩たちが卒園して寂しいはずだけど、むしろチャンスのように捉えて自由に過ごす保育園児たち。
新しい環境に戸惑いながらも、難しい仕事にもがいて前に進もうとする社会人のみなさま。
特に環境は変わらないけど、成長を目指して邁進する全ての人たちを尊敬しています。
ボクも頑張ろうっと。