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雪降る前に撒く雪みたいなつぶつぶ

一人暮らしをしていたころの街で、
行きつけだった喫茶店に行ってきた。

いつも頼んでいたオレグラッセと、
食い意地で頼んだガトーショコラ。

店の徹底した拘りなのか、
クリームとアイスコーヒーが
完全に分離しているにもかかわらず
ストローではなく直飲みで、と、
妙な割合で飲むことを正義としていたはずの
あの店のオレグラッセは、
久しぶりに会うと
いつのまにか"不自由さ"はなくなり、

完璧だった分離は曖昧に、
拘りだった飲み方はストローになっていた。

キリッとした苦いコーヒーから、
最後に甘ったるい余韻が残る
あれが恋しかったのに、
尖っていたあの店も
丸くなってしまったようで少し寂しい。

悔しいけれど今の方が確実に飲みやすい。

通い慣れた店だけど、
「貴方常連ですよね」感を
一切出してこないあの店。

でも「あの常連さんも
結局オレグラッセは
ストローで飲みたかったのね」
と思われるのは癪だから、
上のコーヒーが半分になるくらいまでは
ストロー無しで飲んだ。

くどうれいんさんのエッセイを読みながら、
フワフワとした気持ちで外に出る。

結婚したって
やっぱり1人は1人で心地良い。

懐かしの商店街を歩いていたら、
少し気になっていた鰻屋の前に
白いつぶつぶが撒かれていた。

雪が降った時に何かに役立つのであろう
あのつぶつぶの正体は、
小学生のときから今に至るまで
ずっと分かっていない。

なんなら小さい頃は、
あのつぶつぶすらも
雪だと思っていた時期すらある。

なんとなく懐かしくなって、
「ぎゅ」とつぶつぶを踏んでみた。

足の裏がぼこぼこして、少しうれしい。

つぶつぶエリアを抜けると、
さっきまでと靴の踏み具合が違っていた。

つぶつぶが靴の溝に入り込んで、
きゅむきゅむ言っているんだ。

普通に不快である。

私のホカオネオネに
悪いことしてしまったなという申し訳なさ。
でもこの感覚はなぜか懐かしい。

あれだ、
小学校の時に通っていたポートボールで、
ワックス塗り立ての体育館の床で
練習する時の感覚だ。

歩くたびに
きゅむきゅむぎゅむぎゅむいうこの感覚。

懐かしいなポートボール。
本当に上手くならなかったな。

球技の才能がないことを知る
いい機会だったのかもしれない。

懐かしみはするものの、
ポートボールにはあまりいい思い出がない。

私がやりたくて始めさせてもらったけれど、
私の地域の球技を習う女は
もれなくいじめが得意だった。

真面目キャラだった私も、
いじめ対象の一員だった。

エリちゃんやユイちゃん、
1つ上の先輩たちに
遊び半分にいじめられたことを、
きゅむきゅむの感覚から不意に思い出す。

鬼ごっこで私が鬼だからと言う理由で
体育館倉庫に閉じ込めてたことを
正当化したり、

ただただ誰とも話さないで
1人でずっと練習をする日があったり。

いじめというほどのものでもないけれど、
あのときの不快感や恐怖心が、
中学生の私を陸上部にさせたのかもしれない。

小中学生のいじめのなんてものは、
決まってローテーション式なもので、
私へのいじめは1.2ヶ月で飽きられ、
次はアイちゃんへと対象が移った。

私は知ったこっちゃないので
いじめを止めることもなければ、
アイちゃんといるわけでもなかった。

今でも私はあまりバスケをしたくない。

そんな記憶を反芻して歩いていたけれど、
なんだか思った以上に寒くて我に返る。

そうだ、明日は雪が降るんだった。
そりゃあのつぶつぶも撒くよな。
明日降るらしいよって夫も言ってたな。

結局夫と旦那って、
呼び方としてはどちらがいいんだろう。

どちらがフェミくないんだろう。

そう考えると、
彼氏って言葉は便利だったんだな。

それにしても寒い。
寒くなるのは明日からのはずなのに。

ぐるぐると考える価値もないようなことに
気を取られながら歩いていたら、
新社会人くらいの男性2人とすれ違った。

「もう俺なんのために生きてるか
わかんないよね」
内容の割には人生楽しそうな顔をしていて
良かったねと思った。
まあそう思う日ってあるよねと共感した。

年を取ればとるほど、
なんのために生きているのか
分からなくなるし、

解る必要もないのかもな、
と思う気持ちも肥大する。

結局私は今日も、
1人の時間に金を浪費することで
充実した気になって、

なんてことない1日を満たそうとしている
何者でもない社会人である。

でもやっぱり私はずっと、
何者かになりたい。

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