理想を語らなくなったらそいつはただの奴隷だ
火星の歌姫たち
少し前まで深夜にテレビ放送されていたアニメ「キャロル&チューズデイ」。主人公は駆け出しミュージシャンの二人組が、近未来の火星居住環境で躍進していくといったストーリー。
ふと夜中にテレビをつけて聞こえてきた音楽がすごい素敵で、録画してたまにゆっくりとみている。24か25話くらいあって、休日に1話、2話みて過ごしていた。
もともと音楽をやっていたので、業界の裏側も見せつつ、オーディションを突破していく主人公たちに感情移入してしまう。
主題歌の「Kiss Me」は、私の好きなバンド「Nulbarich」が楽曲を提供しており、R&B調のミドルナンバー。
理想に折り合いをつけた大人たち
そろそろ終盤の物語に差し掛かった時に、登場人物のひとりがこう言った。
「理想を語らなくなったら、そいつはただの奴隷だ」
物語は主人公たちが企画した無謀なビッグイベント開催にアーティストたちが果たして乗ってくれるか。
新人アーティストの大それた夢のような提案に、音楽プロデューサーのその人物(名をアーティガン)は、その言葉をもって工程の態度を示し、イベントは実現に向けて走り出す・・・
たかがフィクションとは言えない心理がこの言葉には詰まっている。
現実を見てみると、日常をルーチンワークで過ごす多くの大人たちは、どこかで子供のころに抱いた夢を諦め、現実に折り合いをつけて生きている。
そんな彼らの多くは、真面目に折り合いをつけて無難な生活を手に入れた。
若手の意識の高い人物の語る理想論には、否定の言葉を投げかける。彼らが折り合いをつけて諦めた「夢」や「理想」を、年端も行かぬ若者が本気で取り組んでしまったらどうなるか。
今の時代、テクノロジーの進化と、好きなことを仕事にできる文化形成の風潮の中で、悠々とその理想の生活を叶えてしまうだろう。若者にはそこまでのポテンシャルがあることも、時代がそれを許すことも薄らと彼らは気づいている。
折り合いをつけた昔の自分が、若者の生き生きと人生を泳ぐ姿によって、どこかそれまでの選択を否定されるような心境に陥ることに恐れているからだ。
そんな大人が周りに嫌というほど存在している。
夢や理想を語らない。言われた仕事をするだけ。
嫌であるのに満員電車に乗り込み、好きでもない上司の顔色を見て、言いたいことも言わない。
新しい考え方には文句を言い、自分自身の考えを変えてアップデートしようとは微塵も思わない。
SNSの投稿には、自分と関連のない芸能人のスキャンダルを評論家ぶって批判し、ちょっと世の中を知っている気分に浸る。自己優越が趣味になっていることに気づいていない。
そんな大人たちが嫌というほど憧れているのが、理想だけを追い求めるアーティストだ。
国民総アーティスト時代
感情を作品で表現することがアーティスト、芸術家の生業だ。
アーティストは感情を表現しなければ始まらない。共感を得られなければ、作品を評価されない。人の感情をエンターテイメントに変化させて人々に届けることが仕事だ。
理想に折り合いをつけた社会人たちは、感情表現とは真逆にいる。感情を殺して、社会のために何かを生産し続ける。
通勤中に彼らの作品をイヤホンを通して聴き、Youtubeでミュージックビデオを見てその一端に触れることで、昔抱いていた夢や理想の残り香に酔うことで、自分の心を誤魔化しながら平静を保っている。
人間とは、地球上でもっとも感情表現が豊かな生き物である。その感情が社会を発展させて文明を培ってきた。
その社会は多くの折り合いをつけた大人たちに溢れてしまった。まるで「奴隷」のように生きている。
時代はVUCAだと言われて久しい。Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ) 、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)の接頭辞だ。
これらが密接に関連し、人々を取り巻くことで先の分からない時代となった。そんな時代において普遍的な「感情」こそ、間違いのない現実なのだ。
子供たちのなりたい職業上位にYouTuberがランキングされるが、その理由はYouTuberが感情を動画の中で丸出しにして楽しんでいる姿に子供たちが共感しているからだ。真逆は感情を殺した大人たちということになり、そんな大人になりたくない表れが統計として示されている。
自分の心にウソをついて、ストレスをかけ続けて生きることはやめよう。人は誰もが感情を表現するアーティストになれる。作品を作っていなくたって構わない。
今日から一人のアーティストとして、たった一度の人生を感情で彩ってみてはいかがだろうか。
子供のころの自分は、そんな大人に憧れていたのではないだろうか。