100日後にデビューする小説家【71日目】
『一億三千万人のための 小説教室』高橋源一郎著 岩波新書
小説を書こうと思った時、思い出す言葉がある。恩師、相川宏氏の「お前は小説家に向いていない」という言葉である。これはちょうど所沢の校舎で学友と(私にも、学友の一人くらいいるのだ)蝉の鳴き声が意識にのぼっているかどうかという話をしていた時だった。氏曰く、私には小説家になるための感性が足りていないのだと言う。それは、明白だった。そんなことは分かり切っていた。分かった上で、私は小説を書いた。出来上がった小説は、小説と呼ぶにはあまりにもお粗末で、それでいて詰まらなかった。作者がつまらないと思っているのだから、読者が面白い筈がない。それから、私は小説について考えるのを辞めて、社会という輪の中に溶け込もうと努力をした。努力をした結果、精神を擦り減らして、新卒で入った会社を辞めた。十分に綺麗な家も借りていた。車も持っていた。友人もいた。恋人も。仕事だって実は順調と言えば順調だったのだ。私が消極的に選んだその仕事は、誰かにとっては最もやりがいのある仕事だったかもしれないのだ。そして、私がその椅子に腰を下ろしてしまったせいで、その誰かの可能性を奪ってしまった。幸いなことに、今そこには私の可愛い(けど、少しだけ憎らしい)後輩が座っている。きっと、彼にとってその場所は居心地が良かったのだろう。彼の仕事の成功を願っている。
あ、違う違う。そんな話をしたいわけではなかったのだ。小説だ。私は小説を書いている。今回はきちんと書いているという話が出来る。小説を書いている。そう、小説を。今回、私は学生時代を思い出して、ゼミの講師であった髙橋至氏の言葉を思い出していた。集英社で井上ひさし氏のご担当をされていた編集者で、今は何をされているのか分からないが、訃報を受けていないので、きっとご存命のことと思われる。その髙橋先生がよくゼミで話題に挙げていたのが高橋源一郎氏であった。そういえば、ゼミで「高橋源一郎の書いた創作論は、きっと君たちの創作の役に立つだろう」と話していた。そして、試しにGoogleで「高橋源一郎 小説 書き方」と検索した時にヒットしたものが、この『一億三千万人のための 小説教室』である。安心と信頼の岩波新書である。岩波は、そこら辺の読書論や創作論などを相手にはしない。これだけ多くの小説を世に排出してきた高橋源一郎氏だからこそ、出版社の威信をかけて、こういった形で出版となったのだろう。それを証拠に、私の手元にある本書は2023年10月5日の第22刷版である。22回も刷られた小説論というものを、私は読んだことが無い。さて、読後の感想を語ろう。先ず、小説家になりたいと思っている人は、すべからくこの本を読んだ方がいい。ジャンルを問わない。これは小説の、もっと細かくかくと言葉の感性を磨くための本だ。本書の中では、グラウンドに飛んできたボールを捕まえるという表現をしている。そのため、小説の書き方ではないことを先に書いておこう。この本は小説を書くに至る思考のプロセスを辿っていく本である。そのため、伏線回収やオチの考え方のような小手先のハウツーなどは載っていない。これは小説の原体験を追体験するための本である。そうだ、小説は自由でとても面白くて、それでいて最高の友達だったのだと再確認するための本。そういう純粋な気持ちを持ち、再び机に向かうことの出来る本である。興味を持った方は、購入してみることをお勧めする。