散らかった部屋で何思ふ・第43回 “思考する、そして今は…”
結局のところ、私は多分同じようなことを考え、思い悩み、答えを出そうとしても仕方のない自問自答を繰り返しているのだろう。
生きる意味とかを考えた時に、陥りがちな思考である。人間は意味を重視したがる生き物だから、しょうがないことではあるが。意味の無いものがあってもいいのだということに気が付いたとしても、すぐに忘れて、意味を見出そうとして苦しむのだ。同じことを考え、また振り出しに戻るのである。
自分自身に言い聞かせるために、自分にとって都合のいい解釈を並べては壊し、何度も何度もぐるぐると同じことを繰り返す。そんな日々だ。
でも今は、そんな自分を、そんな弱い自分を、少しだけ受け入れられている気がしている。心の空白は依然として私を苦しめているけれど、少しずつ前へ進もうと思えている私に気が付いた。やれることはやっているではないか。そう思えてきたのだ。
感情は波のように移り変わるものだが、無益な意味付けをしたがる自分を、まずはどうにかしたい。それが出来るようになった時に、自ずと生きる意味が見えてくるのかもしれない。
全てを、受け入れる。自分の良いところも悪いところも、全て。そのために今すべきことは何かと考えた時、今この瞬間の感情を、ひたすらにノートとペンで綴ることだと思った。なぜなら、拙いながらも、ノートを文字で埋めることで、新たな発見があったりもするからである。