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「中国の人的資本と経済成長」から「なんで学校は世界中で『学校』なのか」まで

スタンフォードの特徴を前回1つ書いたので、次は「教育大学院の学びとは」を1つ。特に「教育×経済」と聞いて、ポジティブにせよネガティブにせよ、感じるところある方に読んでいただければ嬉しいです。

【目次(というほどの長さもないですが。)】
1.ざっくり言うと何を学ぶか?
2.人的資本論(Human Capital Theory)とは?
3.中国の教育政策
4.「国際比較教育学」の役割とトレンド
の4つについてお届けします。

1.ざっくり言うと何を学ぶか?

国際比較教育学の学びは、以下の3点に集約できると思います。
 ①社会学、経済学、統計学の理論
 ②色んな国の政策、文化データ
 ③現場のケーススタディ

自分はアメリカのことを中心に学んでいますが、インドや欧州等々の知識も授業の中である程度得られますし、ブラジルに特別詳しい教授がいたり、バラエティ豊かです。

必修は他のプログラムより多めですが、スタンフォードでは他学部の授業もかなり自由に取れるので、卒業後に備えてPythonを学んだり、d.schoolの花形授業を履修したり、スタイルは人それぞれですね。

【補足①:アメリカの大学のスケジュール】
多くの大学は冬学期(9月~12月)と春学期(1~5月)の「セメスター制」なのですが、スタンフォードは全学部「クォーター制」(4学期制)です。秋(9~12月)、冬(1~3月)、春(4~6月)でおおむね終了、そしてプログラムによっては夏(7、8月)に適宜授業…というイメージです。

修士課程は日本と同様2年制が標準ですが、自分のプログラムのように、1年制を用意している大学も割とあります。


自分は、せっかくIT企業の勤務経験もあるので、テクノロジー×教育の授業を秋、冬と1つずつ取っています。Learning, Design and Technologyというこれまた1年制の修士プログラムの人が多く履修していますね。

テックの話もアツいんですが、今回は、秋学期に授業で扱った論文を通じて、①理論、②政策、文化、データの例をご紹介します。

スタンフォードには23の図書館があります。東アジア図書館にはワンピースから手塚治虫まで、たくさんの日本のマンガが置いてあり、休日にはお世話になっています。笑

2.人的資本論(Human Capital Theory)とは?

人的資本と中国の将来的成長(Li et al. 2017)

これ、秋学期の宿題の読み物の1つです(仮訳)。あんまり「教育学」って感じ、しないですかね?どうお感じになるでしょうか。

「人的資本」という言葉、日本語でも検索すればたくさん出てきますが、発祥は1950年代のアメリカで、1960年代にはシカゴ大学の教授陣によって人的資本論(Human Capital Theory)なる理論へと体系化されました。ご存知の方も多いかもですが、シカゴ大学は経済学の聖地みたいなとこで、1960年代は特に、「モノの売り買い」以外の人間の行動にも、経済学の考え方は適用・応用できるんじゃないか?というチャレンジがブームだったみたいです。

教育もその例外ではなく、彼らの興味関心は
「そもそも、人はなぜ学校に行くのか。」
1965年時点でアメリカの高校卒業率(25歳人口の中で学位を持っている人)は55%、大学は11%です。大学まで行く方が珍しいし、かといって大学生がみんなアカデミアを目指しているわけではない。逆に、働いた方が家計は助かる。四則演算、読み書きは初等段階で終えている。

なぜ学校に行くんでしょうね?特に大学。4年分の年収を捨てるってことだよね??と。

この問に対し、ものすごくざっくり言うと、シカゴの人たちは、
 ①学校はスキルを授ける。
 ②スキルは仕事を助ける。
 ③だから生涯賃金が増す。
 ④なので人は学校を目指す。
という「仮説」を置いて、では
 ・スキルとは何ぞや
 ・どういう時に人は「この授業料じゃ生涯賃金に見合わない」と判断するのか
などを、高卒大卒の賃金と進学率のデータ等を見ながら検証していく…ということをやりました。

最も単純なモデルは、

大卒で働き始めた場合の生涯年収 ー 高卒で働き始めた場合の生涯年収 ー 大学の授業料 >0

なら大学を目指すんだろう、というものです。めっちゃシンプルですよね笑。

もちろんこれに、
 学部・職種別の賃金だの、
 国全体の経済成長だの、
 「現在価値」だの、
 大卒者が増えすぎた場合の賃金の変動だの、
と色んな視点を加えていくと、どんどん複雑怪奇になっていきます。教育年数だけでなく、いわゆる成績なども賃金には関係してくるよね、という論文ももちろんあります。

この理論の良いところは、比較的データで検証しやすいことですね。賃金がいくらで、大学が○○のスキルを開発すると仮定すれば、人はXX%くらい大学にいくはずだ!よし実態と比べてみよう!と計算できる可能性があるわけです。この理論を打ち立てた中心人物の一人は、後にノーベル経済学賞を受賞します。

【補足2:経済と教育】
「いやいや学校はただのスキル訓練機関じゃないでしょう」
「生涯賃金だけが学校に行く決め手じゃないでしょう」

と思った方!その通りです!!この理論だけでは説明できないものがある、という指摘はほうぼうからあったようで、1970年代から、別の理論が登場してきます。検証しやすいということは同時に、反論もできる、ということです(「良き理論は反証可能である」てのは名言ですね)。また、スキルで稼ぐため「だけ」が目的ではなく、学び自体を楽しむために学校に行く面なども当然あるよね、というのは共通了解だったようです。

なお、経済学者もべつに一枚岩ではなくて、
 ・経済学的に分析すること
 ・民営化の影響を考えること
 ・競争原理、動機付けに目を向けること
 ・お金の面を考慮すること
は、全部違う話です。スタンフォードで80代になっても授業を持ってる生粋の教育経済学者は、アメリカでの公私立間競争の促進政策に反対してます。色々です。

最も有力な別の理論を提唱して議論をリードしたのは、スタンフォードの社会学者だったそうなんですが、その話はまた別の機会に…。


3.中国の教育政策

Human Capital Theoryを少し拡張すると、

「政府は何のために学校を提供するのか。」

という議論も可能になりますね。これまたスーパーざっくり言うと、「国・地域の発展に資するから、政府が人的資本に投資してる」と仮定したら、何が言えるのだろう、という視点です。

では、そんなレンズを片手に中国の教育政策を眺めるとどうなるか?(やっと 「②色んな国の政策、文化、データ」まで来ました!)

論文内では、高校以下・大学段階それぞれに分けて、課題が分析されていますが、ぶっちゃけ長いので、高校以下の中身だけご紹介します。( )以外は全部論文からの情報です。

①劇的な経済成長に伴って、高卒率、大卒率とも上昇した中国。
 1980年 → 高卒6.1%、大卒1.1%
 2015年 → 高卒28.8%、大卒12.5%

②しかし、都市と地方の格差が深刻。しかも1990年代の海外資本参入などにより、国全体で見てハイスキル人材の需要が高まっている可能性がある。
 ・高卒以上が労働人口に占める割合…地方11.3%、都市44.1%。
 ・地方における統一入試の合格率…高校40%、大学10%。(これ、なぜか都市との比較は見当たりませんでした。高校、大学それぞれ統一の入試があるみたいですね。)

③この一因は、
 ・高校、大学の授業料が高く、奨学金も不足している
 ・労働人口不足で、高度なスキルが必要ない仕事の賃金も上がっている
 ので、中学すらドロップアウトして働き始める人がいるためだろう。(ここ、まさにHuman Capital Theoryが使われてますね)

④さらにこんな要因も考えられる。
 ・学校施設、プログラム、教員のクオリティの差
 ・健康問題(視力、栄養など)
 ・親が都市で働いている+シッターの2/3は子供と一緒に遊んだり歌ったりしないので、幼少期の発達が遅れる。(「幼児教育の経済学」で有名なヘックマン教授の論文がちらりと引用されてます。)

⑤加えて、地方出身世帯で都市部に暮らす子は、私立の学校に集中していて、良い教育を受けられていないのも深刻な問題。
※中国では「户口(ふこう)」という戸籍制度で明確に「地方」「都市」が分けられて、教育に限らず、受けられる公的サービスに差がある。

⑥…では、なぜ政府はこれらの問題を解決できていないのか?
 ・1つには、地方政府の人事評価において、その地域の短期の経済成長率を用いているため、地方政府は、学校に支出するインセンティブがないのだろう。(人的資本への投資は短期では回収できない、という視点ですね。)
 ・しかも、大学に行った人は地元に帰ってこないと地方政府は考えているので、ますます投資する理由が薄れる。
 ・加えて、教育やヘルスケアにお金を使えるのは、工場などを建てて事業税収入が十分得られている地域だけ。

⑦結論、中国の中央政府はお金もあるので、地方の教育改善に予算を投じるべきではないか。また、都市政府に、移住民の子への教育を充実させるインセンティブを与えるべきではないか。ハイスキル人材は不足しているから、将来の経済成長にも資するはず。

シンプルな論旨だと思うのですが、それでもこの論文が引用している文献は43本。いいものを書くには、まず読むこと!と入学当初言われたのを思い出します。大学段階は図表も多くて見やすく、結論自体は短いので、興味がある方はぜひ原文をご覧になってみてください。

こういったトピックを皮切りに、授業では
他の国ではどんな『教育格差』が存在するか?
『スキルを授けて自立させる』以外の教育の効果をいくつ挙げられるか?
という質問をみんなで考えたりしました。

また、どうやってそれを測ろう?という話も。例えば以下のような感じ。

(1)「○○大学に入ると、年収が高くなる」というデータがある。
(2)しかし、「もともと高い年収の職に就きそうな人」を入試で選抜しているだけなのか、大学での教育・経験が評価されて年収が上がっているのか、定かでない。
(3)この時、「大学での教育・経験が年収に与える効果」を測るには、どんな手法を用いるのが妥当でしょうか?

秋学期はこうした基礎的な理論+わかりやすい論文・論点を毎週いくつか扱って、「ものの見方」を身につけつつ、自分の興味関心を探ることに主眼が置かれていました。単純に情報量が多い上に、視点は毎週がらりと変わり、かつ、教育上のトピック論と調査研究デザインの方法論を行ったり来たりするので、大変でしたが、鳥の目虫の目が鍛えられた感じはしています。

さらにさらに、これらの勉強を通じて、「まだ解明されていないことを探す」のも、秋学期のミッションの1つです。宿題でもそれ以外でも次から次へと論文や本を読んで、①自分の興味関心②社会的意義③研究が進んでいない領域の3つが重なる部分を探していくイメージですね。学問も「ポジション決め」が重要です。
 ここってほんとにこう言えるの?
 もっとアレ調べたほうがいいんじゃないの?
というのが論文を読んですぐ見つかった方は、ぜひスタンフォード受けてください。向いてらっしゃると思います。笑。

冬学期は、基礎的な知見をもう少し発展させて、教育の「リターン」を数字で計算してみたり、統計ソフトを動かす練習をしてみたり、はたまた「教師と雇用市場」などさらに新たな視点が導入されたり…と、一歩ずつ学んでいる真っ最中です。

【余談:日米のネット情報】
Wikipediaにも「ヒューマン・キャピタル」は載ってるものの、せいぜいパソコン2画面分くらいしか情報がありません。英語版 "Human Capital" は5倍くらいの長さです。

基本、日本語のHPの充実度合いというのはすさまじいものがあって、以前、ロサンゼルスからラスベガスへの夜行バスを「night bus LA Las Vegas」とかなんとか試行錯誤して検索しても全然ヒットしなかったんですが、最後にふと「ロサンゼルス ラスベガス 夜行バス」日本語でググったら、すぐにリンクが見つかった……(時間返して)…ということがありました。

そんなわけで、日常生活や旅行のレベルで、日米のネット情報格差はほとんど感じないんですが、Human Capitalの例からすれば、偏りのあるトピック、ないトピックに自覚的になっておく必要があるだろうな、と思います。


4.「国際比較教育学」の役割とトレンド

さて、ここまでお読みになって、「この学問、実際の教育活動の中身の良し悪しは論じないの??」と思った方もいらっしゃるかもしれません。高卒大卒も大事かもしれないけど、現場で何が行われているか、興味はないのだろうか?と。その答えはYesでもあり、Noでもあります。

Human Capital Theoryは「全体的な流れを把握・モデル化しよう!」という理論としてスタートしたので、教育を受けた一人ひとりの精神・頭脳・肉体の中に何が宿っているのか?というところには答えを出せません。また、学びを楽しむため、社会貢献のため、はたまたキャンパスライフに憧れてるため、といったモチベーションの影響についても、基本はノーアンサーです。

しかし、ノーアンサー=重要でないということではなく、むしろ、教育現場は「学び」「学生生活」の質を高めようと当然にトライしているし、その中身は他の学問によって分析されるはずだよね、という性善説的なスタンスです。(「学校は教えることに集中してるはずだよね」というのは、楽観的すぎるんじゃないの、という見方もできるでしょうが。)

今回の例で「③現場のケーススタディ」が出てこないのも、このあたりの役割分担によるところが大きくて、「公教育のアントレプレナーシップ」を扱った別の授業では経営論+ケーススタディが中心でした。この授業のケーススタディはデリケートな情報も含むので、学外に内容をシェアすることは禁止されているんですが。

もちろん、公開されている論文で、具体的なケースを扱ったものもたくさんあります。もしかしたら、自分が広域的な話を中心に学んでいるというだけで、クラスメイトに「国際比較教育学とは?」と聞いたら、全然違う答えが返ってくるかもしれません。それくらい幅広い学問であり、かつ、この大学は、学生がやりたいことに合わせてどんなことでも提供してくれるところです。

また、ご紹介した論文では「都市・地方の格差」に着目していますが、
 「家庭・地域の経済格差」
 「クラスサイズの違い」
 「非行少年に刑務所の過酷な実態を見学させて、再犯を予防するプログラム(スケアード・ストレート)を受けた人と受けなかった人の差」
などなど、学校・家庭・地域の状況から個別のプログラムまで、どんな観点もこの学問の対象になりえます。その意味では、この理論は、少なくとも現場に「近づこうとしている」と言えるのかもしれません。

ちなみに、「スケアード・ストレート」は1970年代終盤からアメリカ国内で大流行した後、その後の検証によって、再犯率を「上げてしまう」ことが明らかになっています。「一見もっともな話に待ったをかける」というのは、最も実益的な価値の一つなのでしょう。


国際比較教育学の原点は、

なんで学校は世界中で「学校」なのか

を追求することなのだろうと理解しています。

日本でも 教育 = 学校 っていうイメージは広く定着していますが、別に「教育」の定義は法律にも、国連や文部科学省、アメリカ連邦政府のホームページにも見当たりません。学校だけでやるものとも書いていません。

教育の「目的」は教育基本法に書いてますし、「人権教育」とか個別の定義はありますけどね。他の国・地域は探してないので、もし見つけた方いたら教えてください。

にもかかわらず、世界規模の傾向として、教育といえば
 ・「学校」を介して提供され
 ・初等、中等、高等段階があり
 ・「クラス」で「先生」が「国語」「算数」などを教える
というシステムになっていると。

これってそんなに当たり前のことではなくて、電球ならエジソンが「発明した」し、iPhoneならアップルが世界に「広めた」けれども、学校の発明者が誰かぼくらは知らないし、誰かが広めたというよりは「広まった」という方が適切なように思えます。

 ではなぜ「広まった」のか?
 「食事」や「言語」「風習」はバラバラなのに、なぜ「学校」は、少なくとも外形的には似ているのか?
 逆に違いは何なのか?

というテーマが根本にあると感じます。(個人的には、そもそも結構違うじゃん、という感想も持っていますが笑、それは「同じ」の事例の勉強がまだ足りないからだと思います。)

なお、学校によらない教育って、世界ではどんなのがあるんだろう…(日本だと「自然体験活動」とか「食育」とか学校内外で行われてますよね。)というのも留学で知りたいことの1つだったのですが、教育学の世界では、やっぱり主眼は学校にありました笑。むしろ、「日本は Shadow Education(塾)が盛んなんだろ?どんな感じなの?」って聞かれる側です。


そんなところからスタートした学問ですが、上の方で触れたとおり、「どうすればいいのか」という議論も今は盛んです。ある推計によれば、国際比較教育学で Impact Evaluation (教育活動・政策の効果測定)を扱った論文は、ここ10年で3倍、15年で9倍に増えたとか。そもそも効果とは何か、ということも含めて、こういう流れは加速していくのかもしれません。

自分の修士論文も、アメリカのスクール・ファンディングの政策的な効果を測るものになる予定で、noteで紹介できるような分かりやすい成果が出るといいなあ…などと思いながら研究を進めています。

「現場の先生たちにバリバリインタビューをして、バイリンガルの生徒への新たな教育法のポイントと課題を探る!!」…とかやってるクラスメイトを見ると、いかにも「教育を学んでいる」という感じでうらやましくもあるのですが、そこは役割分担!と毎日自分に言い聞かせています。笑。

スタンフォード vs USC のバスケットボール。アメフト同様、学生は無料で観戦できます。

 ・どうすれば素晴らしいスポーツイベントが企画できるのか?
 ・どうすればあるスポーツが普及するのか?
が、全然違うけれども繋がってそうなのと同様、国際比較教育学も、色んな視点から、いつか繋がりそうなことが研究されています。


というわけで、長文にお付き合いいただきありがとうございました。
ハウツーに昇華する前段階の学びを書き留めているので、これといった結論はないのですが、少しでも国際比較教育学とスタンフォード教育大学院の「役割」とは何か…というところが伝われば、大変幸いです!

次回は「スタンフォードのイメージと言えば!!!」ということで教育×テクノロジー関係の授業のことか、「日本人の留学の壁と言えば、、、」ということで英語の勉強に関することか、どちらかをお届けしたいと思います。先に聞きたい方などあれば、教えていただけると嬉しいです!ではでは。

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