
女を「産む性」たらしめている主体
いにしえに曰く、
これがもし男女逆なら
まず離婚を奨められるし
そもそも結婚できてない
離婚されない理由は明白
子どもを産んでくれたから
離婚したら連れ去られるから
子どもが産めてよかったね
女に生まれてよかったね
昨年、上川陽子外務大臣(当時)の「生まずして」という発言をマスメディアが「恣意的に歪曲」し、「産まずして」と解釈したうえで「女の出産を想起させる発言」としてバッシングした一件がありました。私はその一件について、少し語っておきたいことがあります。
マスメディアが叩いた本当の対象は、「上川陽子」でも「自民党政権」でもなく…
まずはっきりと言っておきたいのは、こうしたマスメディアの「恣意的な歪曲」は、全く筋が通っているということです…彼らが叩こうとした本当の対象は「上川陽子という政治家(の発言)」ではないと仮定するならば。ではマスメディアは誰を「叩きたかった」のでしょうか?
…とその前に、「性犯罪が高裁で逆転無罪になったこと」に抗議する、この署名について。実は上の答えも、この署名が大きな賛同を得たことと、かなりの類似性があります(もっとも後述するように、このような「草の根の運動」とは方向性が真逆になるのですが)。
この署名、実際にはかなり超法規的な要求になっており、「うっかり署名してしまった」・「やり場のない怒りを示せればそれでよかった」といった例も多数あったようですが、仮にそれがなかったとしても、10万の署名が即座に集まることについて、私にとっては全く驚くことではありません。
なぜなら、彼女らの怒りの背景にあるのは「自らが内面化してしまった純潔貞節規範」に起因する「『性に奔放な風潮』への反感」そのものだからです。署名を擁護・賛同する立場から出された「女が性欲なんて持つはずがない」、「女がそんなマゾヒスティックな願望を持つはずがない」などといった意見は、まさにそれを裏付けています。こうした背景の存在については私の記事でも強く言ってきたはずです。
さらにそれは、統一教会を含めた「アブラハムの宗教」の教義として普遍的なものでしたから、このページにある統計のクリスチャン人口190万人、統一教会人口60万人、ムスリム人口20万人の合計270万人、女性だけとしても130万人を上限とした署名数が集まっていておかしくないのです。ましてこれらの宗教は「日本ではマイノリティ」であるために信者の結束も強く、なおさら「組織票」になりやすいものです。
ここで話を上川発言報道に戻しますが、
こうした「少し突っ込んだ報道」をみるに、マスメディアが本当に「叩きたかった」のもやはり「女を『産む性』(または『産む機械』)たらしめている社会風潮」そのものでしょう。それは上川氏、ひいては自民党政権だけに責を問えるものではありません。
後述するようにこれは「署名運動の文脈」とは視点が真逆になるのですが、それでも本当の批判の矛先が「社会風潮」であることは一致しています。
さて、私はミソジニストながらこうしたマスメディアの「歪曲報道」を、大いに評価したいと思います。というのも、あえてこの社会風潮を咎めているということは、「女が産む性であること」(正確に言えば、それを自明なものとする価値観)が未だにフェミニズムの重要課題であるという認識を、マスメディアは捨てていないということを示唆しているからです。
これがなぜ「ミソジニーアンチフェミニストの私から見ても」重要なことなのか。今回はそれを解説していきます。
女を「産む性」たらしめている主体は、「男(クソデカ主語)」と言えるものなのか?
「女が産む性であること」
いやこれ生物的に当然だろ、という声も聞こえてきそうですが、ここで言っているのは、「そうでないと困る人たちがいて、彼らないし彼女らこそがその『社会風潮』の元凶、すなわちマスメディアが『歪曲報道してまで叩こうとした』対象その人である」ということです。
言い換えると、もし「女が産む性でなくなった」(もちろん非婚少子化や晩婚化は長期的にそのトレンドを進めている訳ですが)としたら困るのは誰か、その答えこそが「女を『産む性』たらしめている主体」と言えます。
では、その主体は「男」であると言えるものなのでしょうか?実は小山狂人がはっきりと回答を出しています。
ついでに言っておくと、少子化が進行しても男性はあまり困りません。狭い範囲の社会保障制度の持続可能性という話においても、平均寿命が女性よりも圧倒的に短い男性は制度崩壊におけるクリティカルな利益棄損者とは言えないでしょう。せいぜい現役時代に社会保障費の積み立てで頭を悩ます程度です。社会福祉に対する依存度が高いのは男性よりも圧倒的に女性ですから、福祉制度の崩壊がもたらす男性のデメリットは比較的軽微です。
これは有料部分の記述であり、更に「それで女の権利制限を是とするコミュニティの人口が相対的に増えることになれば男にとってメリットですらある」という趣旨の内容が続くのですが、ここまではさすがに私も共感できません。しかし、実は「女が産まなくなり、少子化が進んで社会が滅ぶ」ということへの「個々の男性」に対するダメージは意外に軽微なほうなのです。
むしろ重要なのは以下の部分(原文ではこちらのほうが先に述べられていますが)です。
子の数が減ってるのはリベラルで近代的な価値観を大事にしている集団だけです。そうじゃない集団はどんどん人口を増やしてる。そのまま先進国における少子化を放置し続ければ、必然的に地球社会は前近代的な価値観が復旧するような社会になっていくんです。間違いなくそうなる。
イスラエルみたいな小さな地域国家レベルでは既にそれが起こっていて、現実政治に影響を与えています。だから少子化はやばいんです。経済が衰退するとか地方のインフラが維持できなくなるとかそういうレベルの話ではなく、市民革命以来、我々が200年余りに渡って積み重ねてきた近代的諸価値が失われるか失われないかという瀬戸際だから少子化はヤバいんですよ。
つまり、少子化問題とは端的には「(価値観)共同体の問題」なのです。そういう意味で言うと、女を「産む性」たらしめている主体は、「共同体主義」そのものであると言えるでしょう。
ここでもう一つ、「或る作家の発言」を取り上げたいと思います。
そう、百田尚樹氏の「30歳で女の子宮は摘出すべきだ」発言です。
これもマスメディアからツイフェミまで散々叩かれた発言ですが、この発言の趣旨も「女の産める年齢には限りがあるのだから、そういうふうに社会構造を変えないと日本の少子化問題はどうしようもない」というものでした。結局それも、「女の妊孕性」を重視しているわけですから「歪曲してまで叩いた文脈」の見据えている範疇でしょう。
またこうした言論に共通する価値観として、「なんだかんだ言っても、一夫一婦制の異性婚を普及(ないし徹底)させることこそが次世代再生産に最も効率が良い」というものがあります。今もそうですが、一昔前ではオピニオンリーダー(SNSに限らず、本などを出している人なども含む)に近いほど「非モテ男こそ結婚するべきだ」と主張されており、「女をあてがえ論」もそれ故に煽られていた所があります。
しかし今の未婚男性や若い男性にとっては、そのような「一夫一婦制の異性婚」の問題点、あるいはそれが社会全体にどのような弊害をもたらしてきたかも広く知れ渡るようになりました。私が先ほど「『男にとってメリットですらある』に共感できない」と言ったのもこのためです。そうして「男」のほうからそれを拒否するという、いわゆる「避婚化」という流れが出来てきたわけです。
そうして近年では、もはや「独身○歳狂う説」のように脅迫するか、あえてフェミ側の「飲食店では男は女に奢るべきだ、それを差別だセクハラだと言うのは非モテインセルチー牛の僻みでしかない」に乗っかることでしかその「一夫一婦制の異性婚」を煽れなくなってきているわけですね。
女の「自己主体化」─上川氏は皮肉にもその命題を証明した
さてこの、女性を「産む性」たらしめる主体が「(クソデカ主語としての)男性」ではないというのは、非常に重要なことです。そもそもそうであるならば、仮にも女性である上川氏の発言を、どうして咎めることができるのでしょうか。
むしろ近年目立つのは女性…というか「草の根のフェミニズム」が、「女が産む性であること」・「次世代再生産には一夫一婦制異性婚主義的セクシャリティの普及・徹底こそ最も効率が良いこと」を前提とした、もっと言うと「女として自覚した」上での論理展開です。
たとえば、「雄は雌に気に入られるために競うのが自然の摂理なのだから、男ももっとそのように競うべきだ」とか、「女は出産に関する責任を負わされているのだから、それ以外の部分での女の行為は免責されるのが筋だ」とか、こういう議論、あえてリンクは張りませんが、X、はてな、noteをはじめとした至る所で皆さんもよく見かけるようになったでしょう?
ところで、百田氏の発言の話に戻りますが、この発言が草の根女性の間で炎上したのも、単に「女の妊孕性を重視した発言だったから」ではないように思えます。では、そういう「草の根女性」たちの怒りは、どこから発生していたのでしょうか。ポイントは、その発言の周辺(時間で言うと1:24:16付近)で次のように発言していることです。
こうしたらみんな焦るで。
そう、実際の草の根女性たちは「とっくに焦っていた」んですよ。そこへさらに女を焦らすような施策を提案されるのは、完全に彼女らの感情を逆なでしているということは、容易に推測できます。
「署名運動の文脈」も、その「一夫一婦制異性婚主義的セクシャリティ」が要請する純潔貞節規範とは、切っても切れない関係があります。まあ冒頭では半ば「宗教の教義のせい」であるかのようにも述べましたが、こちらの記事で触れたように、その文脈の最も大きな原動力となっているのは、「自身の妊孕性の低下」からその規範を再評価し、せめてより若い世代に普及されるべきだろうという潜在的感情の高まりであると、私には思えてならないのです。
しかしこれは明らかに、マスメディアが「歪曲してまで叩いた」文脈に反する流れです。というのも、一部報道では不妊女性を前に出して「あたし達に産めというのか」というアピールをさせたこともあったのです。これは深読みすると、「女の妊孕性」を盾にした今日の草の根フェミニズムの牙は、「産めない女」にも向き得るという自覚があってのことでしょう。
たとえば(あまり例として出したい話ではないのですが)、「少子化対策」と称し「子供のいる世帯」(特に「シングルマザー世帯」)に社会保障を傾斜的に配分することは、「非モテ男性」の視点から見て「相対的強者(女の妊孕性を強者性としていることもそうだが、ここでは「シングルマザーの子」が実質的に「時間差一夫多妻を繰り返す強者男性の子」でもあると見做している)の保障を非モテという相対的弱者の税で賄うスキーム」であるとされ、それ故に対案としていわゆる「非モテ弱者男性」は「女の進学就労制限などによって男性の所得を相対的に上げ、婚姻数を増やす」ことを提案するだろうということは、フェミニズム側でさえも共通認識でした。
しかし蓋を開けてみれば、そんなことは全くありませんでした。岸田政権は「異次元の少子化対策」と称して政策的にもその方向に全振りしようとしたわけですが、「負担が増える」としてその政策に楯突いたのは「非モテ弱者男性」よりも「子無し弱者女性」(一夫一婦制異性婚主義的セクシャリティを至上とする価値観において、彼女らは明らかに「弱者の側」にいることになる)のほうだったのです。
更に彼女らの一部もなぜか「手取りや正規雇用を増やすことこそ本当の少子化対策だ」などと、本来非モテ弱者男性側の提案だったはずのことを言い出すようになりました。その背景にあるのも「アタシは世が世なら産めたはずなのに」という感情でしょう(これもこれで「真性の不妊女性」との軋轢が容易に想定できる感情です)。
もちろん私は「子供のいる世帯」への再配分という在り方のほうがましではあると考えます(仮に女の進学就労制限などによって非モテ弱者男性の婚姻可能性を増やしても、結局妻子への経済的負担は男に偏ることになる)が、ここまでのことを踏まえるに、同時にそれは「産める女」が「産めない女」に向けた牙の一形態であると言えなくもありません。
おさらい:「極端な」フェミニズムの「正義性」を保証するのは
私の記事での呼びかけに触発されたのか、昨年暮れあたりからrei氏が怒涛の勢いで記事を上げていますが、ミソジニー・アンチフェミニズムの側でさえ、ここまでラディカルに言う言説は、これまでなかなか浮かび上がって来ませんでした。なぜでしょうか。
それはフェミニズム側のキャンセルパワーもさることながら、私の記事でも以下の通り述べたように、ミソジニーやアンチフェミニズムの最大の関心も「男性の人権・尊厳を守る、あるいは不可視化された弱者男性の存在を可視化させること」ではなく「非婚少子化を止めるために性観念や家族観を取り戻すこと」にあったからなんですよ。
ぶっちゃけアンチフェミニストの間でも、異性愛主義を奨励する合理的理由なんて、「非婚少子化を回復・克服していくこと」しかないわけですよ。しかしこれも長期的に見れば一方的なフェミニズム主張を黙認していくだけです。もういい加減、我々はこのスパイラルを抜け出すべきです。
じゃあなんで先人のミソジニストやアンチフェミニストもそうせざるを得なかったのでしょうか。それも結局、次世代再生産のためには「女の妊孕性」に、すなわち「女を『産む性』たらしめる共同体主義」に頼らざるを得なかったからです。
現にrei氏の記事でも、「相対的な弱者女性ほど妊孕性に起因する道徳的性的価値に頼りきりになる」ということや、「黒人をはじめとしたマイノリティへの偏見は今でいう『物言う女性』たちによって煽られてきた」ということは繰り返し指摘されています。
このような流れもやはり今日の「妊孕性を重視するフェミニズム」の在り方とパラレルですし、私の記事でも繰り返し言ってきたことですが、フェミニズムの正義性はリベラルやポリコレなどに保証されているなんて大嘘なんですよ。
ですからパリ五輪の失態やトランプの再選によってポリコレは敗北しつつあるといわれますが、アンチフェミニズムとしてあまりいいニュースとは言えません。アンチポリコレにも「フェミニズム的な道」は存在するのです。
その問いかけに「応えられる」術は、おそらくただ一つ
もう一度繰り返しますが、マスメディアは、上川発言の「歪曲報道」を通じて、「女の妊孕性を重視する」社会風潮を咎めました。これは、今日SNSの中で強まっている「産む性たる女として社会はもっとアタシ達を〜」みたいな風潮への対抗としてさえ機能するものです。「女が産む性であること」は、フェミニズムの重要課題であると同時に、その正義性の源泉でもあるのです。
──しかし、やっぱりこれ以上女が妊娠・出産しなくなったら、当然非婚少子化はどんどん進んでいくだけだろう?
そうです。ですから結局、このマスメディアの「問いかけ」に応えることのできる術は、以下の記事のような話になってくるのだと思います。
本当に少子化を憂うなら、やるべきことは進学や就労を制限して「女が家庭に入る」ように仕向けることでも、一夫一婦制異性婚主義を奨励することでもなく、むしろ一夫一婦制異性婚主義に依らない克服の手段を探求していくことのはずです。そういう「一夫一婦制異性婚の奨励こそが最も次世代再生産に資する」という固定観念こそが、日本の女がrei氏の言う「雌という生き物」と化した最大の原因であるということを、我々は心得ておかなければなりません。
「独身○歳狂う説」が出てきた時に、様々な反フェミニズム論客が反論してきたのは、ものすごく大きな進歩だと私は思います。数年前(つまり「あてがえ論」が蔓延っていた頃)だったら絶対にありえなかったことです。それも大きな要因の一つは人工卵子・人工子宮の技術開発が急速に進んでいることが挙げられるでしょう。すでに京都大学はiPS細胞を利用した人工卵子および人工精子の大量生産技術を確立させています。もはやこの道の出口もはっきりと見えているんです。
それを「政治主導」でやってくれそうなのは…
関連して、私は次のような記事を出し、このように述べましたが、
願わくば、こうした人工卵子・人工子宮の技術確立に公費をどんどんつぎ込んでいく、そんな公約を掲げたワンイシュー政党が、次の参院選までに出て来て欲しいものです。
それを政治主導でやってくれそうな人物が、実は一人だけいます…というか、人工卵子・人工子宮に限りなく近い提案をしている人が一人います。
そう、「一夫多妻制発言」で知られる石丸伸二氏です。注目してほしいのは、「一夫多妻制」のほうではないもう一つの提案。
あと100年か200年かかると思うんですけど、今の社会の規範じゃ無理なんですよ。先進国、どこも人口減少克服できていないので。たとえば一夫多妻制を導入するとか、遺伝子的に子供を産み出すとか、SFのお話に聞こえるかもしれないんですが、そこまでやらないと人口減少も止まらないんです。
この表現自体では様々に解釈することができ、一部では以下のように「代理出産の技術のことではないか?」とも指摘されています。しかし、人工卵子および人工子宮にせよ代理出産にせよ、研究は水面下で進められているわけで、もはや「100年200年かかるSFの話」と考えるべきではないのはその通りでしょう。
さらにこの人については、「真のミソジニー」の視点からも、注目すべきことがあります。
彼は安芸高田市長在任中、市の婚活事業を廃止したことでも知られています。彼はまた、その理由として「LGBTへの配慮」や「結婚への強迫観念をなくす」を挙げていますが、今も独身であること、その後に「一夫多妻制」発言で世間を騒がせたことなども鑑みると、どう考えても「一夫一婦の異性婚」に対していい思いを抱いていない側の人なんですよね。ですから人口問題については、かなり私に近しい視点を持っていると考えられます。
彼は今年の都議選で新党を旗揚げする気でいらっしゃるんでしょうが、ぜひともその新党で参院選でも候補を擁立してもらいたい所です。
…じゃあなんでその話を都知事選の時にしなかったのかって?すいません、私の調査不足(というか、どうせ田母神と同じくらいの得票数だろうなあと高をくくっていたこと)でした…
そしてよく考えてみたら、冒頭に掲げたポエムはなんと5年(と数か月)前のもの…この問題の本質について「先見の明」のあった人は、決していなかったわけではないんですよね…