【時事】共同通信社に対する"言論の自由"訴訟の話
デモクラシータイムスが「共同通信社に対する"言論の自由"訴訟」の話を取り上げていた。大手マスメディアはどこも取り上げておらず知らない人も多いのではないか。日本のマスメディアの中に存在する問題がシンボリックに表出した出来事のように思える事件だ。
事件の概要
2017年4月に長崎の海星高校2年の福浦勇斗さんがいじめを苦に自殺をした件に関して、学校による隠ぺいが起きており、さらには長崎県行政自体が学校側の隠ぺいを追認していた。そのことを当時、共同通信の長崎支局で働いていた石川陽一記者がスクープとして出したところ、長崎県側から抗議を受け、さらには県側の対応を擁護していた長崎新聞からも抗議を受けたという。
これに対して共同通信は石川記者を擁護することなく長崎新聞に対し謝罪をし、石川記者を現場から外して記者生命を絶つという実質的な ”クビ宣言” を通告した。共同通信は全国の加盟社によって成り立っている一般社団法人で、長崎新聞もそのひとつであるため、オーナー企業の長崎新聞からの圧力に屈したという形だ。
マスメディアは何をやっているのか
この件に関して大手マスメディアが全くと言って良いほど記事を出していないことも含め、問題意識を持たざるを得ないだろう。権力の不正を明らかにするという役割を背負ったマスメディアがこのような状態であることは、はっきり言えばマスメディアの自殺行為に他ならないのではないか。
マスメディアといっても基本は営利企業だ。新聞にしてもテレビにしても、企業体としてのメディアと、個人の記者とではその姿勢に大きな隔たりがあるのは仕方ないかもしれない。それにしても、共同通信では石川さんの味方をする記者はいないのだろうか。企業としてのメディアは酷いものだが、現場の記者もそれに忖度する人ばかりになっている印象は拭えない。
それに対して、映像の中でも登場している調査報道NPO、Tansa は非常によく取材している。Tansaはこの件に関して「保身の代償 ~長崎高2いじめ自殺と大人たち~」という連載も掲載しており、調査報道という名にふさわしい活躍ぶりをしているのではないか。
問われるジャーナリズムの在り方
ジャーナリズムとは何か。筑紫哲也はかつて最後のテレビ出演となった『筑紫哲也NEWS23』の「多事争論」でこう言い残した。
①WatchDog(権力の監視)
②Minority(少数派であること)
③Diversity(多様性を保つこと)
という3つの指針は、ジャーナリズムに関わる全ての者への遺言だったのかもしれない。今、この国のジャーナリズムはどこへ向かおうとしているのか。ジャーナリズムに関わる一人ひとりが、自分自身に問い直していかなければならない。