見出し画像

あの日から。

2022年4月17日。
新入生セレクション。
北広場。

前十字靭帯断裂。
半月板断裂。
脛骨及び大腿骨骨挫傷。

人生で見た事の無い大きな壁が目の前に現れたあの日。
夜、何度もあの瞬間を思い出した。
自分の膝が壊れた瞬間。
絶望を感じた瞬間。

あの日から398日

手術から1年。
先日1年検診があったので、色々と自分の思いを書いていきたいと思う。


人生初の入院

初の全身麻酔に震え、心電図が大暴れして警報音が手術室に鳴り響いたのはさすがに恥ずかしかった。
いや、そりゃびびるやろ。看護師さん普通に笑い隠せてなかったて。
そんな手術が終わって何人もの膝の先輩から聞いていた手術の痛みを味わった。
結構がちで2日間睡眠取れず、意識を逸らすためにモンハンをやり続け、ハンターランクが150程上がった。
1人で何百ものモンスターを狩り続けた。
いやちゃう。そんな話どうでもいい。
この入院で元々ビビりな俺は少し成長したと思う。
なにかあっても、あの入院よりはマシだ。
そう思えるようになった。

死ぬこと以外はかすり傷。
入院以外はかすり傷。


みたいな感じだ。
そして色んな人に頼った。
1人で車椅子も乗れない。
1人で着替えることも出来ない。
1人でお風呂も入れない。
たくさんの病院の人を頼った。
ナースコール使用数だとかなり上位にくい込んできただろう。



しんどい時、辛い時に人に迷惑をかけてはいけない。
1人でなんとかしないと。
そう思う人は多いと思う。
俺もその考えだった。1人で頑張らないと。
そう思ってた。
けどこの経験から辛い時、


しんどい時は人に頼ってもいい。
そう思えるようになり、少し気が楽になった。
その分恩を伝える。
他の人に頼られた時に力になってあげる。
人生生きていれば1人だけでは乗り越えられないことが絶対出てくる。
そんな時に人を頼る。
これは逃げてる訳ではない。

これを読んでくれた人もなにか1人でしんどいこととかがあれば頼って欲しい。
俺にでもいいし、他の人にでも。


リハビリ

退院後、リハビリ生活が始まった。
でも普通の人とは違う。
チームには所属していないからグラウンドもない。
筋トレ施設も無い。
一緒にリハビリしてくれる人もいない。
そんな状況だった。
絶望的。って思う人もいるかもしれないけどおれはそうは思わなかった。
筋トレはジムに入って、サッカー部のトレーナーに個人的に連絡を取り送って貰ったメニューを1人でこなし続けた。
ひなさん、ほんまにありがとうございました。
グラウンドは小学校のコーチをしてチームのグラウンドを使わしてもらった。
監督たちに感謝だ。
対人はアメリカに行く185以上身長あるやつが一緒にしてくれた。
たかありがとう。
そして、病院に週4日くらいリハビリに通い続けた。
何人ものリハビリの先生達が俺の体に向き合ってくれた。
坂手さん、森川さん、中谷さんありがとうございました。
このnoteが目に届く可能性は少ないと思うけど。


色んな人に助けられた。
人の輪。
人の繋がり。

どれだけ大切か改めて気付かしてもらった。


F.C.Passion

自分が動くことが出来なくても、なにかサッカーに関わりたい。
時間を無駄にしたくない。
成長したい。
そう思ってコーチを始めた。
この選択が無ければもしかしたらサッカーを諦めてたかもしれない。
それくらい俺のこの1年の中で、このチームでコーチを出来たことは大きな意味を持っている。
間違いなく1番の出来事だ。

このチームは俺が小学生の頃行っていたチーム。
それもでかかった。
当時、俺の事を教えてくれてたコーチ、監督達と大学生になって色んな話をできた。
しょうもない話もいっぱいした笑
あの時、あんなことをコーチ達は考えていたのかとか、小学生の時の俺はどんなんだったとか、こんなに色々考えてくれてたんだと思った。

そして、最高の子供たちに出会えた。
縁があって20人程いる4年生を担当させてもらった。
自分でメニューを組んで、週に3回ほど4年生の練習を担当して、試合も担当させてもらった。


彼らに出会えたことがこの怪我をした期間での1番の財産だ。
彼らが上手くなっている姿を見るのが大好きだった。
彼らが心から楽しそうにサッカーをするのが大好きだった。
彼らの頭の中にサッカーのことしか浮かんでいないのが大好きだった。
サッカーのことしか考えてなくてアホなヤツはめっちゃいたけど笑
練習前には1時間以上も前に来てボールを蹴っていて、練習後にはかいコーチも入ってよ。って言ってボールを蹴っていて。
なにか忘れてたような気持ちを思い出させてもらった。
サッカーの原点に帰れた。
そんな彼らに希望を、夢を与えるためにも俺は頑張りたい。
彼らに貰った勇気、パワーを還元して上げれるように、成長した姿でまた会いにいく。


関大サッカー部


長いリハビリを終えて、4月に関大サッカー部に入部することが出来た。
同期は橋本って奴と本間って奴を除けばみんな最高だし、先輩も最高だ。
怪我をした瞬間から絶対戻ってくると決めていた。
今は1番下のカテゴリー。
まだまだトップは手の届かないところ。
まだ3年あるけど、後3年しかない。
この1年分のブランクをなんとしてでも巻き返してやる。
あんな体のやつ無理だろと思われても関係ない。
俺だけはこの体、この膝を見捨てない。

絶対共に上に行く。



最後に、今の思い。


最後に、今の思いを包み隠さず、率直に正直に書いていこう。
自分の弱さを認めて強くならないといけないと思ったから。


1年間のリハビリという大きな壁。

その大きな壁を超えたその先の景色は素晴らしく綺麗なものだろう。

誰もがそう考えると思う。

俺もそうだと勝手に思っていた。

頼むからそうであってくれと思っていた。
でも違った。

超えた先、今見える景色にはまた違う壁が立っている。



体が思ったように動かない。
1歩目から置いていかれる。
対人で飛ばされる。
踏ん張れない。
左足でシュートが打てない。


過去の俺なら出来たぞ?
なんで出来ない?
なにをしてる?
怪我をする前の自分が頭の中で言ってくる。
よくアニメや漫画で別の自分がささやいて来るようなシーンがあるが本当にそんな感じだ。


ただただ今の自分にがっかりする。
失望する。
人は期待を裏切られると腹が立つ。
でも腹を立てることすらも出来ない。
今の自分になにも期待出来ない。

正直に言う。包み隠さず。

人生で初めてサッカーが楽しくなかった。

幼稚園の年長から続けてきたサッカー。
どれだけ上手くいかなくても、試合に出れなくてもこんな感情になったことは無かった。
なにも出来ない自分に1ヶ月毎日失望して、過去の自分に戻りたいと思い続けた。


あの時の俺なら打てたのに。
あの時の俺なら届いたのに。
あの時の俺なら、、。


でもある練習の後、先輩と話していて考えが変わった。


過去の自分はもういない。
靭帯を切った。半月板が断裂した。
右膝を手術でいじった。
その事実から逃げたらダメだ。
過去の自分を忘れる。
そして新しい自分を見つける。
失ったものを数えるな。今あるものを活かせ。



出来なくなったこともある。
でもまだやれることだっていっぱいある。
上に行きたいならやるしかない。
そう思わしてもらった。
だから今はポジティブだ。
目先の事ばかり考えていた。
でもそんなすぐ良くなる事じゃない。

3ヶ月後。

人の体は3ヶ月で変えれる。
3ヶ月で自分のスタイルを見つける。
それが次の目標だ。




こんだけ長々と書いて、最後の終わり方はなにも考えていなかったけど、最後まで読んでくれた人、ありがとうございます。
俺はまだまだ強くなります。
また新しい自分を見つけたとき、紹介させてください。


この状況を楽しもう。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集