後悔先に立たず。そして人生とは、思い出作りである。

大事な息子たちと妻の延長線上に存在していた、大おばあちゃんのこと。

もっと、一緒に過ごす時間を持てたら良かった。

介護も、義母に任せっきりだった。

時間やチャンスはたっぷりあったはずなのに。

結婚して、親とそのまた親と同居するということは、とりもなおさず、その人の死に対して、責任を持つことだったなんて。

恥ずかしい話だけど、そこまで、考えていなかった。

親は、東京に出てきてしまったので、親戚付き合いへの憧れはあったので、その気持ちだけで、同居を受け入れていた。

結婚することそれはすなわち。

パートナーを大切にすること。

子供をもうけるかどうかは、必ずしも必須ではないが。

子供の誕生は、新しい生命の誕生を、しっかりと受け止めること。

生を全うするまで、身内と、後悔しないように、沢山の思い出を作ること。

生を全うした身内を、後悔しないように、しっかりと見送ること。

三十代から四十代の経験が一体自分をどこに連れて行こうとしているのかわからないけど、価値観がガラッと変わってしまうようなことが次々と起こる。

人の誕生と死というのは、それだけ、人にとって大切なことなんだなぁ。

音楽さえ良ければいいなんて、全然思えないもの。

そんな自分は、音楽家失格なのかな?

確かに音楽家には、生涯独身を貫く人が多い。

それとも、家庭を持つ事を経験する事で、音楽に深みが増すのだろうか?

最近は、遅咲きのピアニスト、フジ子・ヘミングさんのことをよく考える。

人は何歳でも咲けること。

むしろ遅咲きでしか出せない音があること。

励みになるいろいろなことを教えてくれる。

ライフワークバランスという言葉があるが、ワークに音楽を代入した時、バランスが崩れないくらいには、ライフの重みも必要な事が、二十代からの気づきである。

自分はクライアントから依頼されて音楽を作るより、好きな音楽を好きなように作るのが一番、音楽とうまく付き合えることを知った。

また、四十代はライフワークバランスのライフが、否応なしに、比重が高まる。

それは、なぜなら、僕らの世代以外に、子供と老人を支える人はいないから。

Wikipediaによると、18世紀半ばに誕生した資本主義社会も、さすがに、270年くらいの年月をかけて、絶え間ない改修が加えられたわけだから、かなり成熟し複雑化したシステムであると思うのだ。

そういった中で、世代に与えられた使命というものも、多かれ少なかれ、受け入れざるを得ない。

今の責任ある立場が、いやというのではない。

ただ、好むと好まざるとに関わらず、受け入れを承認した覚えはないが、受け入れざるを得ない、という事が、実感として、ある。

これは、二十代にはなかった感覚で、そりゃそうだ、僕ら健康な、四十代が、子供や老人への優しさを失ったら、日本に、地球に、未来は、ない、と断言できよう。

あるいは僕は、音楽だけ作っていられた十代、二十代に戻りたいのだろうか?

おそらく、少しはある。

一ミリもないといったら嘘になる。

だからこそ逆に十代、二十代には思う存分、好きなことをやってほしいしそれが、高度資本主義社会における、十代、二十代の使命である。

その世代はその世代なりに、苦しいこともあるよね。

それが社会に生きるということ。

また、若い世代の活躍の場を作るのも、僕ら一つ上の世代の役割なのだろうな、きっと。

この文章、思考がたゆたう様をそのまま、ひたすら入力し続け、どうやらまとまる気配がない。

案外、新聞に連載されている小説などは、そんな風に書かれているのかもしれない。

人生とは、思い出作りである。

近しい人と、たくさん思い出作りをしよう。

いつからだろう、

「ギブアンドテイク」

と言う言葉を、

「ギブアンドギブ」

に脳内変換する癖がついたのは。

多分僕はおそらく、返しきれないくらいの大きな大きな借りを、隣人から、身に受けて余りある存在なのだ。

だから、与えても与えても、1つも満足できないのである。

しかし、「ギブアンドギブ」と唱えていたのは単なる自己満足だった。

今回全然与えられていやしないことを、思い知らされた。

このノートでつながった皆さんも何かの縁。

この思考の切れ端が、皆さんの思い出に、少しでも色を添える事が出来るのかな?

わかりませんが、日本語が苦手な自分の文章を、わざわざ読んでいただいて、ありがとうございます。

皆さんの思い出が詰まった箱が溢れ出んばかりにぎっしりと満たされる事を祈念しつつ、この文章を締めさせていただきます。

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かつき
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