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騙されたと思って『ゲゲゲの謎』を観ろ。マジで。
みなさん正直ゲゲゲの鬼太郎ナメてますよね?僕はナメてました。
自分が初めて鬼太郎に触れたのは小学校低学年、児童書版にてです。世代の人には分かると思いますが、『僕は王様』『1ねん1くみ黒沢くん』『忍たま乱太郎(児童書版)』のような低学年向け作品と同じ頃に読んだので、鬼太郎は子供向け作品、という偏見を抱えて僕は成長していきました。
ちなみに児童書版鬼太郎の内容ですが、鬼太郎が最強クラス妖怪の水虎に喧嘩を売り、一巻にわたって目をブヨブヨにふやかす超能力でシバかれた上で一切やり返せず話が終わるという衝撃すぎる回があってそれだけ覚えてます。
そんなこんなで鬼太郎を完全にナメてた僕ですが、小6のとき転機が訪れます。当時はキリスト生誕から2018年──。そう、鬼太郎6期が放送された年です。
率直に言って、次のニチアサが鬼太郎だと知った僕の感想は「洒落臭え」「それよりトリコ2を見せろ」でした。当時も今もニチアサ9:00枠は『ワンピース』の前座を張る激戦区で、しかも『トリコ』『ドラゴンボール改(ブウ編再放送)』『ドラゴンボール超』と大作が続いたこともあり半端ないプレッシャーがかかっていました。
その修羅の国で鬼太郎て。
水木よ、お前にやれんのか?
と、当時の小学生男子は思ったものです。正直、ドラゴンボールで悟空と第11宇宙最強の戦士・ジレンとの宇宙存亡を賭けた死闘を見届けた我々がけうけげんをリモコン下駄でどついてる鬼太郎に熱狂できるとは思えませんでした。
しかしついに鬼太郎6期の初放送となった2018年4月1日午前9時、我々小学生男子は驚くべき光景を目の当たりにします。
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なんだこのドエロい猫娘は。
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なんだこのドエロい絶対原作にいないキャラは。
なんなんだよ、マジで。
あとすいません、『ゲゲゲの謎』を語り始めるまでしばらくかかりそうなんで早くそこまでいきたい方はこのへんの文章読み飛ばしてください。
鬼太郎6期は我々がかつてお姉ちゃんと一緒にプリキュアを見たときのようなドキドキを合法的に提供してくれました。
人権軽視著しく多様性など認められようはずもない小学生男子社会では、プリキュアだのプリパラだのを見る男は異端者として吊し上げられるのが定め。可愛い女の子が好きなのは性別を超えて人類普遍の理ですが、それを表明しようものなら石を投げられる覚悟をする必要があり、僕もジュエルペットのラリマーの人間態が好きなのを必死に隠して影の中を生きてきました。
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そんな僕にとって、トリコやドラゴンボールの後継でありながら可愛い女子をこれでもかと見せてくれる鬼太郎6期は聖者に等しい存在でした。学校で堂々と「猫娘がサア、まながサア」とアニメの女の子の話をしていい日が来るとは夢にも見ておらず、僕やその同志達は未精通男根主義からの解放に歓喜したものです。
なお、そいつらはいま全員キモオタになっています。
そんなわけで僕は鬼太郎6期に愛着があります。他のシーズンは全然見てないですが、水木しげる短編集なんかも買ったりしました。
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ところが、めっちゃ話題になった『ゲゲゲの謎』に関してはアマプラで無料になるまで見ていませんでした。理由としては何かすごい腐女子っぽいからというところです。
自分はホモセクシャルな作品が嫌いなわけじゃありませんが、自分の周りでリアクションしている人が大抵汚ねえオタクだったのでそっち向け全振り作品なんだろうと勝手に決めつけて敬遠していました。
間違いでした。
ゲゲゲの謎、めっちゃ面白かったです。
≪ようやく感想≫
水木しげる原作とはいえ、よくもまあニチアサ映画化作品でここまでやるせなく、なおかつグロテスクな映画を仕上げやがったなというのが第一の感想でした。
舞台は昭和31年の日本。戦争に囚われた人々を取り残して世間はもはや戦後ではなくなり、大らかというより自分の加害性に無頓着な高度経済成長の時代に突入する中、主人公・水木は一族経営の得意先のドン・時貞翁の喪を切っ掛けに先方の企業城下町(というよりも山奥にあるので村)に乗り込みます。そこで失踪した妻を探しに訪れた目玉おやじと偶然出会い、水木は得意先の特殊な薬剤「M」について探るため、目玉おやじは妻を取り戻すため共闘するのですが、二人が暴く村の人間たちによる悪事の数々は目も当てられないほど醜悪で、ネタバレになるので詳しい説明は控えますが、正直子供達が着いて来れるか不安なレベルです。
極端に利己的な登場人物ばかりの中、時貞翁の孫である沙代と時弥だけは水木と視聴者を和ませてくれる貴重な登場人物です。二人とも明るく、優しく、本来は無垢な存在ですが……。物語終盤の工場での大虐殺は本作でも一番ショッキングな場面で、タイトルにもなっている「鬼太郎誕生」の部分よりも自分には印象的でした。水木と沙代との絡みがつれえンだ、これが。
公害、戦争、歪んだ家庭像、秘密主義、全体主義etc…
舞台は因習村ではないのですが、閉鎖的な村の非人道的な秘密に迫るという点では因習ホラー的で、『ゲゲゲの謎』はそれも手伝って単に妖怪バトルものではなくそうしたものを斬る反権威的な作品であるようにも思えました。
とはいえ本作は灰汁の強い社会派作品では全然なく、寧ろ「そこから墓場の鬼太郎の要素を拾いにいくのか」というところに目がいく作品だと思いますし、ただ子供向けの作品を暗くして奇を衒っただけのものでもありません。確かに終盤はずっと陰鬱で無慈悲で救いの無い展開が続きますが、それでも最後に地獄で拾った希望の種が芽吹くように鬼太郎が生まれ、6期本編にまで繋がるのですから。
個人的に意外だったのが墓場の鬼太郎のグロテスクなキャラデザインを踏襲しているところで、鬼太郎6期は何かと小綺麗だったのでそれを素とする本作も小綺麗な路線でいくものだとばかり思っていたのですが、ちゃんとあの美男美女をお岩さんとミイラ男にするところなんかは感心しました。
記事のおよそ半分を本題と関係ない話題でひっつめてしまいましたが、とにかく『ゲゲゲの謎』は半端なく面白いです。どちゃくそに泣けます。
僕如きの文章力ではとても説明しきれない魅力が詰まりに詰まった大傑作ですので、どうかご視聴いただきたいです。
……誰か沙代を救ってやって欲しかったなあ。