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ジャズと十五夜 ザ☆岡崎

写真は「内田先生」

 私はまだ訪れたことがないがこの年の夏は煉獄のように暑く蒸し、そして長かった。
 暑かったといえば岡崎である。これまでは年に一度、多くて二度という程度だったが、今年はどうだ。足を運んでかれこれ何度かはもう忘れた。
 熱いといえば音楽である。年に一度あるかないかという頻度だったが、一週間の間に二度も岡崎市のレコード屋に足を運んだこともあった。
 趣向が変わり、聞くことがなくなったレコードを手狭な部屋に置いておいても仕方ない。他好事家の手に渡ることも兼ねお店に売却し、その資金を画材代や印刷業者への支払いに補填していきたい。
 レコード屋に着くなり持ち込んだレコードの査定を申し込み、その間私は何をするかといえばレコード屋に来ているので当然レコードを物色する。界隈ではこの行為を「掘る」と呼び、英語では”Dig”というらしく、それを取り込み”Digる」という動詞に変容していった。
 昔は些かドリラーだった私。レコード屋に足蹴に通っていた頃のDigる動きは中国の天女が袖を捲るように優雅でそして素早かったが、今ではつんのめるモグラの指さばきである。
 Digり始めて程なくすると英国公共放送《B B C》でラジオ番組を持つDJのレコードが見つかる。地方都市にワールドミュージックを好む傑物が居た痕跡に驚き、声を出す。
「うお、Gillesやんけ!」それは差し詰め平野部都市に野生の狐が出たようなもの。更にそのレコードは同じものが2枚も売りに出されている。前のオーナーは2枚使いのDJか、保存用と試聴用ということだろう。物好きさが炸裂し、好き者との間接的な邂逅に震える。岡崎市周辺にそんな方が居るとは……。
 私はこのレコード2枚のうち1枚を手に取り、もう1枚は店に残しておくことにした。独り占めにするのは良くないとした方が世間的に好感を得れるのだろうが、それだけではない。何時かは判らないがここバナナレコード岡崎店に訪れたまだ見ぬ誰が「うお! Gillesやんけ!」この盤と出会い驚くことを想像したためである。
「ふふふ、そうだろうそうだろう。こんなところで出会うとは思いもしないだろう」 ほくそ笑み始まるとそこからは雪崩のように他レコードを手に握りしめ、芋を掘るようにレコードをDigる。すると売りに出したレコードの査定が終わり、その額に驚き「よし、いっちゃおう」映画監督が勢いに任せ撮影を続行するが如く己を鼓舞激励。DigってDigっていく。
 売った金でレコードを買い。買っては得る。レコード売買《さようなら》の結果、所持枚数を減少することに成功したが、所持金も減少した。何か騙された気もした。
 レコード袋片手にほくほく顔。帰宅後レコードプレイヤーの上に置かれたものを片すのがめんどくて、購入したアナログレコードをインターネットで探すという現在らしさを遺憾なく発揮。すると大変なことが発覚。
「こ……これは」

 例の同レコード2枚の件だが"Plan A" "Plan B"盤に別けた展開とのこと。片や音楽家が選曲。片やDJが選曲し、別々に分けたという趣旨。つまり試聴用と保存用ではなく別々のレコードであり、そのように知覚すると俺の表情は一変。
「他の好き物どもにくれてやるものか、やるものか!」気を揉み、不眠は悪化。こういうところが蒐集癖の面倒くさいところだね。

 再びレコード屋に。序でに売り損なったドーナツ版などを持ち込んだ十五夜の午後。その日の出来事の始まりである。

 2023/9/29(金) 
・バナナレコード岡崎店 現着
「この近くに銀行はあるか?」Digり始めるなり私は呪文を唱え、街を駆ける。
「不思議だ」 不思議である。銀行から店に戻りレコード売買を終えてみると、私の日本円は樹脂製の円盤に立て替えられていた。画材代や印刷業者への支払いはどうするのか? 補填するというそれは失せ、当初の計画は頓挫。これは何らかの魔法であろう。
 一つ説明しておきたいのですが、私は欲望の赴くままに突き動く自制無き暴れのにこと読み取られるのは不本意であります。現に『ゴーギャンのタヒチ音楽』というレコード購入を見合わす辛抱強さを発揮。このレコードは私が買わなければならないという義務感を抑えることが如何程に艱難だろうか。
☆セール期間中試聴お断りだったことと、レコードを掴むと嫌な胸騒ぎ走ったことは内緒だよ。

 レコード売買の結果、再びレコード所持枚数を減少することに成功したが、再び所持金が減少した。きつねが出たのだろう。
 私はレコード片手にほくほく顔。店から上がり気持ちも上がり、私の欲望のボルテージは熱を帯び、このままでは胡散臭い住居のポエムにそそのかされまんまと住宅ローンを組みかねず、冷却を要していた。そこで以前から訪れてみたかった岡崎市中央図書館りぶらに足を運ぶことで、熱い物欲を冷却し、同時に施設に訪れたいという両輪の達成を可能と判断し、歩みを進めた。
☆食い気味の営業者が住宅ローンの査定に絶対に通らない私の経済状況を知覚した場合、やっこさんがどう化けるかは見ものである。

 横断報道を渡り正面入り口ロータリ。石畳の上に「NHK」という腕章を付けた撮影クルーが見えた。大きなカメラや機材を抱えお迎えの車を待っているようだ。夕方のご当地ニュースか何かの撮影だろう。
 私は彼らを眺めながら横断歩道を渡り、入り口へ向かおうとした矢庭に「ザサアアアアアアッ!」と、音を立てSUVがバックでタイヤを滑らせ駐車。
「えっ、なんで?」 ダイナミクスレンジな駐車方法に慄き、横断歩道上で歩みを止める。車の周囲に迸る緊張感。車体から香るアクセルとブレーキの踏み間違いとタイヤの焦げる匂い。撮影班も驚嘆の目で車を見つめている。間近だったゆえさぞ肝を冷やしただろう。「えっ、なんで?」という彼らの魂の声が聞こえた。
「ばかに乱暴だな……」  ロータリー近くに居た警備員から市井の人々、犬や猫、何からもが車をみつめる中、ヒヤリ運転の洗礼を受け私は入館。
☆誤解を招きかねないため書き残しますが、その車とNHK撮影班との関わりはありませんでした。

・岡崎市図書館交流プラザ りぶら 現着
 入り口間際は騒がしかったが中は落ち着き「うお、ええ感じ」で、気持ちが上がる。天井は高く開放的。真夏の太陽熱対策に日除の布が設らえられ、館内はガラス張りなれど周囲に気が散らない雰囲気。こういうのも建築家は配慮していくのだろうか?
 ここに訪れ必ず見たかったものがある。それは『内田修ジャズコレクション 展示室』である。どの図書館にもクラシックとジャズに関する本とCDは置かれているものだが、ここはそういう範囲に収まるものではない。度を超えている。
 私は岡崎市がジャズの街であることは大まかに存じ上げておりました。友人の経営されるバーにはジャズメンの常連や、街はジャズ関連の祭りを数年前から開催し続けていることなど、味噌も武将もジャズもある街と認識しています。
 これら背景には外科医、内田 修先生の貢献が大きく、氏の収集したレコードから関わる紙資料、そしてスタジオで録音されたテープなどが寄贈されたということを数年前、岡崎市について調べている中で知りました。
 ホームシアターやオディオマニアは全国にいらっしゃいますが、音楽家でもない外科医の家にスタジオというのは想像の範囲を超える。雰囲気のいい応接間と隣接するガラス向こうの部屋には演奏を録音する音響宅が設られ、日本のジャズメンから海外のアーティストが演奏を行ったらしい。
 後に知ったのですが氏は経済的に苦しい音楽家の後援や、岡崎市に限らず名古屋のジャズ文化にも大きく貢献していたとのことで、差し詰めそれは欧州の画家を抱える貴族のようでもあるが、医師の道楽の範囲に収まらない。若い頃からジャズの音楽に傾倒し蒐集。尚且つ国家資格最高峰である医師免許を取得するその体力に驚き、敬服する。
 氏を音楽好きという範囲では語れないだろう。好きという範囲を飛び出している。音楽好きのようなことで語られた場合、無知蒙昧で音楽を好む私などは銀河の果のごくごく小さい隕石のようなもので、それはまだ見つかっていないという立ち位置かと思う。
「(それで)あってんじゃん」

 箒星こと私はしばしば偶然というものに出会うことがあり、今回も遭遇した。
 今年の夏頃だと思いますが、ラジオ番組『ジャズトゥナイト』を担当する大伴良栄さんが番組内で「ジャズドクター内田」を取り上げ「岡崎市」と口にされたことを覚えています。
「クラシック」と「ジャズ」というジャンルには「一家言我にあり」のような愛聴の方がいらっしゃるもので、安易に触れるものなら「だぁっとけ楕円軌道のボケ。軌道変えたんぞ」文言から熊のような噴射圧を放ち、切り捨て武家武家るお叱り。これをご丁寧に矢文で届けられることも各DJ様型には心覚あるかと思われます。濃厚な歴史背景、所謂「文脈」というものを内包し、そうしたことが「アカデミック」な音楽として扱われていく故でしょうか。そもそも白い古典音楽に黒い体幹を取り入れたその始まりから色濃くなることは宿命づけられたようなもので、白黒の旨煮《ジャズ》を伝える術には文語が強いような気が致します。
 やわな口語の使い手、私はラジオ番組にて内田先生の名を耳にしたことで、これは地方の好事家という物語りではすまなさそうだと認識していきました。
 そうした背景があった上で内田修ジャズコレクション展示室近くのガラスディスプレイ前に立つと、そこには……。
「こ……これは」

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