甘やかし。
今日も朝から言葉の節々に強い圧力を食らって、やられています。
「お母さんが、お子さんを甘やかし過ぎるから、こんな状態なんですよ。」
というニュアンスをグリグリと。
ぐうの音も出ません。
す、すみません…。
としか言いようがありません。
第三者であるその道のプロフェッショナルの方々が「私の甘やかしが原因だ。」と仰るのなら、きっとそうなのだと思います。
私に甘やかしているという自覚がないのが申し訳ないぐらいです。
でも一方、こんな気持ちもあります。
私の生きてきた時間には微塵も興味がないんだな。という悲しさです。
どうして、このお母さんは甘やかしてしまうのだろう。
何か考えがあるのかな?
もしかしたら新しい子育てスタイルのプロフェッショナルかも?
それとも家庭内に何かトラブルを抱えているのかな?
生い立ちに何かトラウマがあるのかな?
そもそも生まれつきの性格?
そう思う視点が全く感じられない事が、悲しくてしょうがないのです。
あーハイハイ、出ましたね。甘やかしママ。
と一瞬でタイプ診断されてしまっているような悲しさ。
私自身は、私なりに勉強した上で今の子育てスタイルになっています。もちろん、歪んでいる事も沢山あると思いますが、そんなふうにぶった切られる程、陳腐なものではないと思っています。
違う場所の違うプロフェッショナルの方々と話をすると、むしろ私の考え方を良しとしてくれたりするわけです。
甘やかしているかどうか。
そんなのは、氷が溶けてしまったまま放置されているオレンジジュースの上澄みをすくってわかった気になっているような、実に救いようのない短絡的な解釈だと私は思います。
上澄みの下には、濃厚なオレンジの果汁が沈殿していて、そこがまさに旨味なわけで、それを知ろうとしないで何かを評価するのは、人生が面白くないと思うのですが、どうでしょう。
私は面白い人生を生きたい。
だから、
あーハイハイ、出ましたね。甘やかしママ。
と評価を下してしまうのは何故だろうと興味を持って考えてみたいと思います。
一方で、この母にしてこの子か、と思っても、それでも知らん顔せずに、子どもを何とかしたいと取り組んで下さる事への感謝は忘れたくないと思います。
そして、私は自分はダメだと思わないように戦い、また、わかってもらえない寂しさ悲しさに打ちひしがれている自分自身からは目をそらさないようにしたいと思います。
まだ甘やかしたからどうだという結果は出ていないのだから。そもそも何を持って結果というのかも、わからないのだから。