見出し画像

発信に遠慮はいらない。あなたらしさ(性)がひらかれた時に起こることは全て必然

こんにちは、流香です。

自分に限らず、他のだれかが思い切り“らしさ”を解放して。

そのときに起こる反応や出来事は、すべてが必然で善だなぁと感じています。


たとえば、「本当は○○について書きたいのだけれど…」「やっぱり怖いから△△なことを書こう」とずっとしてきて。

もちろん、それでもある一定の幸せは得られるかもしれませんが、きっと、ぜったいに続かない。

発信や表現に“遠慮”していると、
その“遠慮”している自分や
ほかの何かや誰かに合わせている方の自分とでしかご縁が広がらないから、

きっとどこかで「自分」がくるしくなると思うのです。


でも、あらためて。

一度きりの人生、その“遠慮”って誰のためにあるのですか…?

いちばん大切な自分の魂を明け渡してまで、抑えて発信することに何の意味があるのでしょうか。

***

あるとき、私は実社会において「言いたいことはガマンする」人生だったところから、

「言いたいことは、すべて愛のもと言い切る」人生に変わっていくタイミングがあったのですが。

それは、“らしさ”を売り渡して、万人や上の人に合わせる生き方を選べば選ぶほど、どんどん道が先細りしていく感覚があったから。

でも反対に、“らしさ”を大切に「でも私はこう思うんです」「こう感じたからこう動いたんです」と、自分のカラーも丁寧に織っていく方を選ぶと、

『あ、そういう考え方もあるね』
『たしかに』

と、自分(の色)を殺さずに、どちらかというと役立てるかたちで、周りの人や社会とも共存していけることを

実地で学べたから、noteでも、できるだけガマンはしたくないと考えています。


発信に、遠慮はいらない。

いるのは、愛だけ。

もし何を書いてもいいよと言われたら…?

どんな表現でも、あなたのそのすべてが見る人や包むすべてを愛に替えていけるのだとしたら、

あなたは、日々これから何を刻んでゆきますか…?


おそらく、たぶん「もっともらしい」ことをまた述べようとする自分がまだそこで出てくるかもしれませんが、

なにも「キレイなこと」「凄いこと」でなくても、別にいいのです。

あなたの、ほんとうの“らしさ”はどこにあるでしょうか…?


おそらく、あなたが普段はリアルでは言えないようなことで。

でも、noteでなら、匿名でなら書けるということにも

あなたのストッパーを外させる、無意識からの“求められる”テーマがあれるはず。


そんな、繊毛部分にこそ宿れるあなただけのメッセージやライフテーマにも、ぜひこれからどんどん出逢わせてくださいね。*


「遠慮した発信」ではなく、「あなたのらしさ(性・女性性)」もひらかれる魂からの表現で。

まずあなたが、なによりあなたさまご自身がまっ先に満たされて、「書くのが楽しい!」=「生きるのが楽しい」日々を実感されながら、

あなただけの聖域(サンクチュアリ)が言語化&顕現化されてゆきますことを

心からそっと、応援いたしております。



いいなと思ったら応援しよう!

流香/すなおな女性性×有料noteエッセイスト作家
お読みくださりありがとうございます。 チップでの応援に感謝いたします。