弱視と難聴があるわたしの妊娠・出産・子育て② 出産編~「やっと会えた!でも…これからどうなるの?」
わたしは両目0.01~0.02ほどの弱視と、会話の聞き取りが悪い難聴で、オーディトリー・ニューロパシーという障がいがある。
そんなわたしの【弱視と難聴があるわたしの妊娠・出産・子育て】シリーズ②。
前回のお話はこちら!
【弱視と難聴があるわたしの妊娠・出産・子育て⓵ 妊娠編 「本当に産まれてくるのかな?」】
1、緊急帝王切開
出産予定日から一週間経っているのに、一向に赤ちゃんは産まれてこない。
入院して、なんとか赤ちゃんが出てきやすいように、バルーンなどをしてみるも、効果なしで2日すぎたころ。
母親であるわたしは微熱が出て、お腹のなかの赤ちゃんは元気がなくなってきているということで、緊急帝王切開が行われることになった。
家族の励ましの声をお守りのように、心の中で何度も自分に言いながら、わたしはオペ室でドキドキしていた。
そして、微熱も出て具合がどんどん悪くなる中、赤ちゃんが無事に産まれてくるのかなという大きな不安な気持ちでしくしくと泣きながらも、わたしは看護師さんたちに伝えなければいけないことがあった。
「子どもの頃、斜けいの手術をしたときに、全然麻酔が効かなくて・・・だから、麻酔不安なんです。麻酔がキチンと効くように入れてください。」
看護師さんは優しく、麻酔科の先生と相談して量は決めるので大丈夫ですよと言ってくれ、安心した。
それから、麻酔を打たれた。
手術台に運ばれていく。意識はちゃんとある。
不安に思いながらも、いよいよ赤ちゃんに会えるかもしれないという、ドキドキを身体全体で感じ始めた。
難聴もあるわたしは、わたしに向かって話してくれないと聞き取れなかったりするので、お医者さんたちの会話はよく聞こえない。
でも、なにかしゃべっているのが聞こえてきた。
そして、10歳のときに手術したときと同じように、お医者さんや看護師さんたちがわたしの周りを囲みはじめ、いよいよ始まるぞという雰囲気が伝わってきた。
痛みは感じないけれど、何かが触れていて、ふわふわしているような、変な感覚がお腹あたりでしているのがわかった。
あ~いよいよはじまったんだなぁと、どこかぼーっとしながら思っていたけど、意識は相変わらずはっきりしている。
しばらくそのふわりふわりとした感覚が続いた。
赤ちゃんの声が響き渡ったのが、はっきり聞こえた。
お医者さんと看護師さんが、わたしに向かって、なにか言ったけれど、聞き取れなかったから、わたしは訊ねた。
「・・・あかちゃん、うまれたんですか?うまれましたか?」
「生まれましたよ!!男の子、元気だからおかあさん大丈夫ですよ!!」
看護師さんがそう言って、赤ちゃんをわたしの顔の隣に近づけてきてくれた。
ちいさな、ちいさな、赤ちゃんがぼんやりと見えた。
涙があふれて、とまらなくなった。
わたしの手はたぶん固定されていたのだと思う、看護師さんがそっと布のようなもので涙をふいてくれた。
そこで、わたしは眠ってしまったようだ。記憶がプツン、と切れた。
帝王切開の麻酔は、赤ちゃんが誕生するそのときまでは、眠らないように調整されているのだろうか?
ちゃんと赤ちゃんが誕生する瞬間を確認するまでは、記憶がはっきりしていて・・・誕生の瞬間の幸せを感じることが出来たのだ。
わたしは、ホッとして、眠りについていた。
2,麻酔から覚めて 赤ちゃんとの対面
それから何時間眠ったのだろう。わからないけれど、午前中に産まれて、午後に起きたと思う。
その間、赤ちゃんはICUの保育器にいた。
産まれる直前、元気がなかったことと、2週間も遅れての誕生だったのに、なんと2496gしかなかったからだ。
体重は軽いけれど、お腹のなかでちゃんと成長はしていたため、未熟児ではなく、低体重児と呼ばれた。
産まれてから数時間は、保育器で過ごしたけれど、すぐに大丈夫だと判断が下り、新生児室に行けることになった。
その前に、目が覚めたわたしや家族と個室で対面した。
わたしは、麻酔がなんとなく残っていたのか、意識がぼーっとしていたけれど、駆け付けてくれたみんなが嬉しそうで、赤ちゃんも元気にわたしの隣にいて・・・嬉しくて安心した。
まだ意識はぼんやりとしていたから、その日の記憶はふわふわとしているけれど。
無事に産まれてきてくれてよかった・・・と安心感に包まれていた。
3,痛みとだるさ 初めてのお世話
その日の夜は、赤ちゃんは新生児室で夜も過ごして、わたしは個室で寝ていた。
目が覚めるたび、ひどい激痛に襲われる。身体を起こすこともできない。
看護師さんに言われたとおりのお薬を飲み、また眠る。
それを繰り返していた。痛くて痛くて、だるくてだるくて。
出産直前に微熱が出ていたからか、体力も相当落ちていたのか、具合悪さも半端なかった。
それでも、2日目から、赤ちゃんの診察を受けたり、授乳をしたり、オムツを変えたり、赤ちゃんのお世話が始まった。
痛さで歩くのもつらいし、はじめてのお世話でわからないことだらけ。
赤ちゃんが
「ぶひっぶひっ」
と泣いてびっくりして、
「ぶひぶひ言ってますけど、こんな泣き方するんですか?!」
と、ナースコールを押してしまったりもした。赤ちゃんの泣き方は、オギャーオギャーが基本だと思っていたから。
「普通です。大丈夫ですよ。」
と聞いて、ホッとした。
授乳もうまくできなくて、授乳室にいたほかのお母さんたちが問題なくこなしていて、落ち込んだりもした。
そこの産婦人科は、最初は混合を勧めているので、ミルクもあげていた。
ミルクは、弱視のわたしには、目盛が見えにくい。
使いやすい哺乳瓶を用意して、ミルクを入れるところに太い線をひいたり、工夫をたくさんしたけれど、慣れるまでは大変だった。
オムツ替えも最初は難しかった。オムツをつけることは、何度かやればすぐにできるようになったけれど、交換タイミングをつかむのが難しかった。
オムツは交換のタイミングがわかるように、目印がついているけれど、それが見えないから。
触ってみて、確認するしかなかった。
そうやって、出産2日目・3日目は、初めての赤ちゃんのお世話を覚えることと、お腹の痛みに耐えて過ごしていた。
「可愛い可愛い~💛」
って、赤ちゃんを眺めている余裕はまだなくて。お世話をして赤ちゃんが寝ると、痛さを忘れるために眠っていた。
4,赤ちゃん今夜もお願いします
幼なじみに赤ちゃんが産まれたときの記事に書いたけれど、出産後からのお腹の激痛とだるさがひどく、夜はずっと新生児室に預けていた。
出産後、3日目になっても、ものすごい痛みがあり、薬を飲んでも楽にはならなかった。
わたしは、罪悪感でいっぱいだった。産まれたてのわが子を、こんなに預ける母親いるのだろうか、と。
だけど、耐えられなかった。痛すぎて、とてもじゃないけど無理だった。
看護師さんにお願いすると、
と返ってきた。わたしは泣いてしまった。
お世話したいけれど、できない。泣きながら、お願いします、と子どもを預けた。
その看護師さんとの会話の直後だったと思う。
わたしはふらふらとベッドに倒れこみ、家族や看護師さんがびっくりして駆けつけると、40度近い高熱が出ていたのだ。
身体中を電流が走るような痛み。高熱によるだるさ。
産まれたての赤ちゃんをもっともっと可愛がりたいのに、まさかこんなことが起こるなんて。
その日から、起き上がるのも歩くのも大変なほどのビリビリとした強い痛みを感じるようになり、過酷な入院生活が始まった。
***
〈産後入院生活編に続く〉
出産編で退院まで書こうかと思ったけれど、長くなりすぎるので、産後入院生活編に続きます!
出産は、本当に大変だったけれど、可愛いわが子にやっとのことで会えて、幸せ💛
このあとの、産後入院生活編にも書く予定だけれど、ちょっとキツイ看護師さんもいたけれど、多くの心優しい看護師さんやスタッフの方々に支えられた出産・入院生活でした。
弱視と難聴があるわたしが、退院してからも子育てしやすいようにと、いろいろなことをいっしょに考え、支えてくださいました。
辛かったけれど、思い出すとあたたかい気持ちにもなる。そんな入院生活。
次回は、看護師さんやお医者さん、スタッフさんたちの沢山の優しさにも触れた記事を書く予定なので、ぜひ読んでくださいね!
いつもお読みいただき、ありがとうございます💛