「劣等感と焦燥感」
僕を突き動かす衝動というのは、常に負の感情だ。正の感情で何か物事を行うことは非常に稀である。理由は定かではないが、僕はかなり卑屈で悲劇の主人公に憧れている節があるのかもしれない。
未だに厨二病から抜け出せていないとも言える。
僕は非常に強欲で嫉妬深く、おこがましい様だが過去の文豪にまでその矛先が向く。この人の様になりたい、自分もできるはずだ、なぜ出来ない、これでは駄目だ。そんな風に毎日を過ごしている。憧憬心が強すぎるし、自身への評価が過大なのかもしれない。
僕のそう言った虚栄のための嫉妬は主に文学に対してのみ発揮される。読んだものを全て吸収して盗んでやりたいとすら思っている。学んだものは糧にしたい。
そんな僕に、また新しく劣等感を味わせる文章が現れた。
犬、と言う人を知っているだろうか。
とんでもないギャンブル狂で、僕にその存在を知らしめたのは彼の「大負け」ツイートだった。
海外カジノで全財産をスった、と言う内容のツイートが大バズりし、それが僕のタイムラインに流れてきたと言うわけだ。
はじめは、とんでもない人がいるなあと思って面白半分、人間観察的な意味で見ていた。フォローするわけでもなく、リツイートなどで回ってきたらなんとなくその人のページに飛んで「どれどれ、今回はどんだけ賭けてるかな?」と言った感じで見ていた。
しかし、そのくらいの興味だったものは友人の一言で深いものに変えられてしまった。
「犬って人知ってる?ギャンブルの。あの人の文章、ヤバいんだよ、読ませる文章でさ、悔しくなるよね」
この友人もまた、僕と同じく物書きを諦めきれずに踠いている同胞だ。彼とは映画の話をしたり、文章に関する話をしたりすることが多い。だから、新しい良い字書きの情報が彼の口から飛び出すのは珍しい事ではなかった。
それがまさかあの犬の人とは思わなかった。プロフィールはざっとしか見ていなかったから気づかなかったが、彼のリンク欄にはノートのURLが貼ってあった。
見たくない、と思いつつも彼のノートを開くと、すぐさま僕は彼の文章に引き込まれていった。頭が良い人でないと書けない文章。無駄な部分が落とされていて、よく推敲された凄まじく整った文章だった。普通に生活していたら考えつかない様な言い回し。でもそれがきちんと筋が通っている。
適当に彼が博打を打っているわけではないこと、もしかしたら適当なのかもしれないけど、彼もまた何かもがこうとしていることがわかった。そして、毎日色々な事を考えて、鋭い感性で物事を捉えている。腑抜けた生活を送っている僕はとたんに自分が恥ずかしくなった。
とんでもない劣等感を味わった。彼の過去のノートから高学歴であることが分かったし、生まれも育ちも良いことも確かだった。しかし悔しいものは悔しい。それと同時に僕は、やはり書き続けなければならないと言う焦燥感に駆られた。
文章を書くと言うのは感性と知識の問題だと思っている。他の要素もあるが大部分はその2点ではないだろうか。僕はまだまだどちらも劣っている。知識においては、出来るだけの努力をしているつもりだが、感性の方は怠惰にしていた。
この騒動で外に出られないし、などと言う言い訳をしてできることもしていなかった。家にいても、学ぶことはできる。初心に帰った様だ。
僕は、少なくとも自分自身が良い文章だと感じるものを書くときはギリギリまで追い詰められていないと駄目だ。精神的に困窮してどうしようもない感情をぶちまける先が文章だっただけではあるが、そう言った、「最期の一閃」に近い力を振り絞ったとき、僕は僕の力を発揮できる。それを忘れて淵の安全な内側を歩いていることが恥ずかしくて、もどかしくなった。
犬氏と、犬氏の文を教えてくれた友人に感謝している。この自粛期間で、とことんまで自分を追い詰めてみたい。
腑抜けた生活に終止符を打ってくれてありがとう。