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小学生の頃の「読書の時間」は非日常だったという話

小学生の時、朝の会の後に10分程度の「読書の時間」というものがあった。
おぼろげな記憶では、8時から朝の会があり、8時20分から読書の時間が始まっていたと思う。
放送委員が「読書の時間になりました。好きな本を読みましょう」と放送を流し、教室内の先生も促し、皆、一斉に本を開くのだ。

僕はこの時間が一等、好きだった。すべての学校生活の中で一番好きだったかもしれない。
もうずいぶん昔のことだというのに、あのころの「早く朝の会終わらないかな、読書の時間にならないかな」というワクワク感は鮮明に覚えている。
幼心に、10分じゃ足りないから30分にしてほしいとか、そんなことを考えていたと思う。

小学生の時から本の虫だった僕は、6年間で図書室にある本はほとんど読んでしまうくらいだった。図書室が開く時間から学校に行き、誰よりも早く図書室で本を読んで、20分休みも昼休みも図書室に足を運んだ。
小学生の頃の図書室なんてがらんどうで、時々ゾロリや日本の歴史の漫画を読みに来る子がぽつりぽつりといるくらいだった。僕はそれが読書の場としてふさわしいものだと思っていたし、その空間が心地良かったのだ。
僕の読書時間の日常がそれだとするなら、教室で皆一斉に行われる「読書の時間」は非日常的な読書だった。

というのも、「読書の時間」というのは小学生に本を読ませるために学校側が始めたある種強制的なものであり、その10分以外全く読書に触れないものまで全員が同じポーズをさせられる。
本を持参しなかったものは1分で何か借りて来いと図書室に駆り出される。そのくらい、うちの小学校はなぜか読書に力を入れていた。
薄い絵本のような本をつまらなそうにめくっている男子や、こっそり漫画を持ち込んで読んでいる女子、ハリーポッターを山積みにして読みふけっている男子、大人びて芸能人のエッセイを読んでいる女子…
教室内には、色々な読書の形があった。
読書とは一人でするものだと思っていたのに、なぜかその10分間は妙な一体感が教室に生まれ、「何読んでいるのかな」「面白いのかな」「早く終わらないかな」という各々の思惑を皆が勘ぐりあうという状態だった。
読書に集中している者と、そうではない者の2極にぱっくりと分かれ、それぞれの頭の中がわかりやすく空気に漏れているのが面白かった。

僕はもしかしたら、その読書の時間は読書だけを楽しんでいたわけじゃないのかもしれない。
本をめくる音と、誰かが鼻を啜る音と、咳払いくらいしか聞こえない状況で妙に感覚が研ぎ澄まされ、ぐっと本の中に入るのと同時にクラスメイト達の読書へのちょっとした恥じらいを観察するのが好きだったのかもしれない。

ふと、今日、当時の夢を見たのでそんなことを思いながらここに書き記しておく。

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鬼堂廻
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