メンヘラクズの文学
最低のクズな人間を知っていますか?
最悪のメンヘラを知っていますか?
どんな人ですか?
自己中で嘘つきで卑怯で臆病で不真面目で不道徳で、だらしがなく、責任感もなく、怠惰で強欲。
酒好き女好き、人を傷つけて、騙して、盗んで、バカにして、開き直って、言い訳して、遊んでる。そして毎日、死にたがる。
太宰治。
太宰治は最低のクズだ。すごいな、全部当てはまってるんだよ?全部やってるんだよ。本当に。
もう、世界最強のメンヘラ。何回自殺未遂した?その度に女を巻き込んで。
あなたの頭に思い浮かんだ誰よりも、太宰の勝ち。メンヘラ界のマイケル・ジャクソン。スーパースター。
カート・コバーンでも浜崎あゆみでも敵わない。トーナメントでもしてみる?
メンヘラ最強トーナメント。
大学生の三島由紀夫は、太宰先生にわざわざ「嫌いです」と言いに行った。
対して太宰は、「そんなことを言うってことは、やっぱり好きってことなんだな、フン」とか言った。
うわぁー見てみたい、その場面。
これはすごく、ものすごく本質的なやり取りなんだ。”男女”のやりとりなんだ。わざわざ言いに行くんだぜ。
いるじゃん、好きな子に、嫌いっていうやつ。
クズはダメ。メンヘラはダメ。だから太宰治はダメ。
カート・コバーンも、浜崎あゆみもダメ。人を傷つけたり、自分を傷つけてはいけません。
もっと普通に真面目に生きましょう。甘えてないで、頑張れ。これ、道徳。
〜おしまい〜
じゃないんだよ。そんなに簡単か?人生は。
そんなに簡単なら、文学なんてないんじゃないかな。
文学は、考えることから生まれる。考えることは、悩みから生まれる。
悩みは、人と関わろうとするから生まれる。
人と関わろうとするのは、なぜ?
僕は三島由紀夫は「義理」の人だと思う、誠実な人間。
どうやったら誠実な人間になれると思う?
”担保”を差し出すんだよ、メンヘラクズを担保として預けて、はじめて誠実が手に入る。
それ以外に誠実になる方法はない。生まれつき誠実な人間なんていないし、
クズでメンヘラじゃない人間なんていない、そもそもが自分勝手なの。
ただ、表に出すか、裏に伏せるか、それだけだ。
それでいて、他人に何かを求める。
人間は簡単じゃない。いつだって担保が必要なんだ。
楽しいを手に入れたければ、残酷さを差し出さなければいけないように。
太宰は知っている。自分がメンヘラであることを。
自分がクズであることを、よく、よく、よ〜く、知っている。知り過ぎている。
太宰治は本当によく考えているんだ。
そして、書いた。考えて、考えて、書いた。書くことに対しては彼なりに誠実なんだ。たまに嘘もついちゃうけど。
書いたから、愛されている。
本気で考えて、書けば、最低なクズでも許されるってこと?
少なくともクズであることに意識的な姿勢は、人間的な態度だと思うね。
無意識のクズが一番悪質だよ。
まぁ、真面目はほどほどにして、もっとラフに、漫才のツッコミ的に太宰を読んで行こうと思う。
そうすれば、シンプルに太宰は面白い。
●ヴィヨンの妻
(ネタバレ注意)
主人公の大谷は最低の男。妻のさっちゃんと幼い子供を家に置き去りにして、外で女と遊び呆けている。
職業は詩人。ヴィヨンなんとかって本が出てる、そこそこ有名人。裕福な家の息子で、オレは貴族だって威張って女を口説く。
でも金がないどころか借金だらけ、外の女に自分の借金を払わせて、飲み屋で大盤振舞いやって使い果たしてまた借金、
さっちゃんの家は、畳も障子も床も壁もボロボロで隙間風が吹いていて座布団もワタが飛び出てる。
不幸なことに坊やの発育も悪く、4歳なのに2歳みたいで、痩せていて上手に喋れない、ウマウマとか言ってる。
大谷は、たまに家に帰ってきたかと思えば、いつも泥酔していて真っ青な顔で、ぽろぽろ涙を流す、
さっちゃんを固く抱きしめて「ああ、いかん。こわいんだ。こわいんだよ、僕は。こわい!たすけてくれ!」
そうして、魂が抜けたみたいになって、またいなくなる。
夜中にドカドカ大谷が帰ってきた、一週間ぶりだろうか。
泥酔して死にそうな顔をしてハァハァ言いながら。
さっちゃん「おかえりなさいまし。ごはんはおすみですか?お戸棚に、おむすびがございますけれど」
(この言葉使いよ。さっちゃんはとてもお上品で優しいのだ、お戸棚だぜ)
大谷「や、ありがとう。坊やの、熱はまだありますか?」
(なにが「坊やの熱はまだありますか?」だ。ぬけぬけと)
そこにある夫婦がやってくる、大谷の後をつけて家までやってきたらしい、
なにやら夫婦と大谷が言い争っている、警察だなんだって。なんと大谷、夫婦に向かってナイフを取り出し「刺すぞ」と脅すのだ。
さっちゃんには全然事情がわからない。話を聞くため、
「どうぞ、お寒いので、お上りになって、そうして、ゆっくり、きたないところですけれど」
と夫婦を家にあげる。夫婦はさっちゃんの丁寧な対応に関心する。
「畳が汚うございますから、どうぞ、こんなものでも、おあてになって」
例のボロボロの座布団を差し出す。かわいそうな、さっちゃん。
夫婦はさっちゃんに事情を説明する、
この夫婦、中野の駅前に小さい飲み屋をやっているのだが、大谷に入り浸られてほとほと迷惑しているらしい、
ただでさえ苦しい経営状態なのに、大谷はツケにツケ、店で客と喧嘩し大暴れ、従業員の娘を騙し手に入れ、泣かせて、辞めさてしまう。
店はもう潰れる手前、頼みますから、もう来ないでください、と追い出しても、悪魔じみたタイミングで多少の金を持ってやってくる、
結局ツケの金額が膨らみ膨らみ、大谷のせいでほとんど経営破綻。夫婦は泣く。どうしてあんな怪物みたいなやつを引き受けなくてはいけないのか、
それでも済まされない、今日の大谷は、なんとお店の売り上げのお金5千円(多分大金)をぜんぶ鷲掴みにして、堂々と店から出て行ったのだ。
いや、もうシンプルに泥棒。あまりの大胆さに、しばらくポカーン。
慌てて夫婦は、この家までつけてきたのだ、と。
で、話を聞いたさっちゃんの反応がすごい。
なんと爆笑しはじめる。
思わず、私は、噴き出しました。理由のわからない可笑しさが、ひょいとこみ上げてきたのです。
いや、ちょっと待て、「思わず、私は、噴き出しました」じゃねぇよw
松本人志のドキュメンタルちゃうぞ。
で、その後もしばらく爆笑するさっちゃん。夫の「刺すぞ」が相当ツボに入ったらしい。ツボ入ってんじゃねぇよw
夫婦は困って苦笑い。でも笑って済まされるものでもない、さっちゃんは、
「私がなんとかしてこの後始末をすることにいたしますから、もう一日お待ちになってくださいまし、
明日、そちらさまへ私の方からお伺いいたします」と言ってなんとか夫婦を引き取らせる。
でももちろん、なんの策もない。途方に暮れる。悲しい。寒い六畳間に坊やとふたりきり。
坊やの寝ている蒲団にもぐり、坊やの頭を撫でながら、いつまでも、いつまで経っても、夜が明けなければいい、と思いました。
翌朝、あてもなく、坊やを背負って駅まで歩く。ふと思いついて吉祥寺行きの切符を買う。井の頭公園に行ってみる。
その井の頭公園も、木が切られていて工事中みたいで、なんか悲しい雰囲気なわけ、
池のはたの壊れかかったベンチに腰掛けて、家から持ってきたおいもを坊やに食べさせました。
「坊や。綺麗なお池でしょ?昔はね、このお池に鯉トトや金トトが、たくさんたくさんいたのだけれども、いまはなんにも、いないわねぇ、
つまんないねぇ」
坊やは、なにを思ったのか、おいもを口の中に一ぱい頬張ったまま、けけ、と妙に笑いました。
わが子ながら、ほとんど阿保の感じでした。
ここも最高。
ここで、「ああ坊や、なんて可哀想なんでしょう」とか言って泣いたりしない、さっちゃんは。
すごく、愛を感じるんだ。わかるかな。
「わが子ながら、ほとんど阿保の感じでした。」だぜ。
これは僕の個人的な感性かもしれないけど、「可愛い」とか「好き」とかよりも「アホみたい」の方が、遥かに愛的なんだ。
なんだろう、たぶんちょっとドジなんだな、さっちゃん。
あれ、ちょっと待って。好きかも。
結局、無策のまま中野の駅前のあのお店に行って、ふっと嘘をつく
「あの、おばさん、お金は私が綺麗におかえし出来そうですの。もうご心配なさらないで。
かくじつに、ここへ持ってきてくれる人があるのよ。それまで私は、人質になって、ここにずっといる事になっていますの。
お金が来るまで、私はお店のお手伝いでもさせていただくわ」
そう言ってくるくると働き始める。
坊やも店の隅で、おかみさんにもらったアメリカの缶詰の殻を、おもちゃ代わりに叩いたりころがしたりして、アホみたいに遊んでる。
結局お金がどうなったかと言うと、大谷の行きつけのバーのマダムが事情を知って立て替えて持って来た。
ツケの残りはさっちゃんが働いて返すことに。それから毎日さっちゃんは楽しそうに働く。お店の夫婦は優しい。
可愛いくて愛想の良いさっちゃんは、どんどんお客から評判になって「椿屋のさっちゃん」として人気者になった。
そのうち大谷もしれっと店にやって来る、さっちゃんが働いてることにも驚かず、当然みたいな顔して、というか飲み代を妻に払わせる。
しかも、こいつ「帰りませんか」とか言ってそのまま普通にさっちゃんと二人で、あのボロボロの家に帰ったりもする。
その帰路の会話がすごい。
「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」
「女には幸福も不幸もないのです」
「そうなの?そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と戦ってばかりいるのです。
僕はね、キザのようですけれど、死にたくて仕様が無いんです。皆のためにも、死んだほうがいいんです。それはもう、たしかなんだ。
それでいて、なかなか死ねない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引き止めるのです。
おそろしいのはね、この世の中の、どこかに神がいる、という事なんです。いるんでしょうね?」
いや、わかってるじゃねぇか大谷よ笑
たしかに死んだほうがいいね。でも、やっぱり嘘くさいなぁ。
「どこかに神がいる、という事なんです。いるんでしょうね?」
いや聞くな、聞くな。
神がいるのか、いないのか、それは、お前が決めろよ。
十日、二十日とお店に通っているうちに、さっちゃんは椿屋のお客さんがひとり残らずロクデナシばかりだと気づく、まぁなんだ下品な言葉を言われたり、セクハラされたりなんかして。
夫などはまだ優しいほうだ。いや、お店のお客さんばかりでなく、路を歩いている人みなが、何か必ずうしろ暗い罪をかくしているように思われて来る。犯罪者ばかり。
さっちゃんは雨の日に、帰り道が同じだというお店のお客の男を傘に入れてあげ、一緒に歩く、
「雨宿り」のためにボロ家に入れてあげたその男に、あっけなく抱かれる。
神がいるなら、出てきてください!私は、お店のお客にけがされました。
これもやっぱりドジだった。
そして朝、いつものように、お店に出勤すると、大谷が新聞を読んでいる。大谷は夜中にお店に来て、雨だったから帰らずお店に泊まったらしい。
「あたしも、こんどから、このお店に泊めてもらうことにしようかしら」
「いいでしょうそれも」
「そうするわ、あの家をいつまでも借りているのは、意味ないもの」
夫は黙ってまた新聞に目をそそぎ
「やぁ、また僕の悪口を書いている。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。
違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮れにね、ここから五千円を持って出たのは、さっちゃんと坊やに、
あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」
うわぁ!クズぅ。聞きました?この台詞、「さっちゃんと坊やのために」ですよ。
これはもう、クズの中のクズのセリフだね。
そうだ、これぞ、まさに、太宰の文学だ。クズの文学。いやクズを通り越してもう、ほとんどコメディアンだ。
これは、三島君に嫌われるのも納得だ。
で、さっちゃんの返しがまたすごい。
私は格別うれしくもなく、
「人非人でもいいじゃないの。
私たちは、生きていさえすればいいのよ」
と言いました。
ああ、そうか、
もう夫がクズとか最低とかどうとかなんて、さっちゃんには最初からどうでも良いことだったんだな。
女には、そんな事は関係ないのだ。男がどういうものなのか、そんなことは。
太宰はこう言いたいんじゃないかな、
男というのは”現象”なんだ。どういう現象かというと”飛ぶ矢”みたいなものなんだ。
目的に向かって進む、自分では止まれない、飛ぶ矢。あるいは誘導装置を備えたミサイル。
目的を追い回すためだけに思考しているように見えるけれど、それはほとんどプログラムじゃないかな。
前に、前に、目的に、目的に。それはとても不幸な感じがする。
「男には、不幸だけがあるんです」
これは、そういう意味じゃないかな。
でもやっぱりキザだし、言い訳がましい気がする。
「女には幸福も不幸もないのです」
女は目的のためだけに生きているわけじゃない。前に、目的に、ではなく”今”
今をちゃんと丁寧に受け止めて、今を大事に生きれる。
女は現象的じゃない。男よりもちゃんと”選択”できる主体。
だから選択は女の、”女だけの”問題なんだ。
選択とは、”いま”に対してのリアクションだ。
大谷は、さっちゃんにしてみれば、ほとんど赤ちゃんだ。
缶詰の殻を、おもちゃ代わりに叩いたりころがしたりして、アホみたいに遊んでる、坊やと一緒。
そうか、だからさっちゃんは、大谷のやらかしたことに、噴き出したんだな。
仮に大谷が立派できちんとしたお金持ちの男だとしても、この関係性の構図は変わらないと思う。
男なんてみんなだそうだと言われれば、そんな気もしてくる。仕事に熱中することだって同じことだ。
考えてみてば、クズもメンヘラも、赤ちゃんなんだよな。泣きわめく赤ちゃん。
赤ちゃんには、よしよし、ってするしかない。それだけだ。
太宰は赤ちゃんだから、よしよしして欲しかった。
それはあなたも、そうじゃないですか?
「私たちは、生きていさえすればいいのよ」
これは女のセリフだな。あるはい母親のセリフか。
これを男が言うのは違う気がする。男がそれを言ったら何も行動しないことを肯定してしまう、
男は何か行動しないと、やっぱり無価値だと思う。言えないよ。(これ、フェミニズム的には怒られそうだけど)
でも異性に救いを求めるのは自然なことじゃないかしら。
この台詞は太宰が一番”言われたかった”台詞じゃないかな。
つまり「ヴィヨンの妻」は太宰の自己救済だったんだ。女々しいやつだね。
まぁ、メンヘラこじらせて、死んだけど。
太宰の死と、三島の死は、本当に正反対だな。
僕は男だから、太宰にこの台詞を言うことはできない。(というか言われても嬉しくねぇよな笑)
女子よ、
もしよかったら太宰に、あるいは赤ちゃんに、あるいは男に、あるいは自分自身に、この台詞を言ってあげてくれませんか。
「私たちは、生きていさえすればいいのよ」
これで救われる命はあると思うな。
僕が言えるのはこのぐらいだ。
ああ、さっちゃん。君は綺麗で、素敵な人だね。
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