[反”被支配”体制] ”そっか(心の中では)ヒッピーやっちゃおうってことじゃん”
2020年のアメリカの大統領選挙ではイカサマが行われた多数の証拠が裁判所に提出されたにも関わらず、遂に連邦最高裁に至っても真っ当に審理されなかった。連邦議会でも暴徒突入の不測の事態に及び、真面に成否が議論されなかった。超大国アメリカのバイデン現政権は、そのように極めて不公正な過程を経て「有る」。ほかならぬ”現実のこと”である。
本来なら、法的に無効な”政権なるもの”と交わした議論も公文書も、いざ不法が明らかとなれば当然無効である。岸田さん、先日は公式に、いったい”何者”と会談していたのだろう?
それを言ったら、本来、1951年の『日本国・主権回復』は果たして本当に「有った」のだろうか?
もっと言えば、一見有効な日本国憲法の制定(形式的には大日本帝国憲法の改正)も、日米安全保障条約も、もし「嘘」や「恫喝」に根ざしているのなら不法であり、「不法に有る」のなら当然無効なのである。
かくの如く、私たちの世界は、ことによると『虚構とまやかし』によって”創作”されている。そんなこと、あってはならないのだが、かなり高い確率でそういうことなのだと、私は長らくそう思っている。
さて……、
……さて、これら↑↑は、そういった不公正・デタラメ・イカサマを見抜いた『当時(1960年代)の”純粋な”若者たち』が自然発生的に起こすに至った『やむにやまれぬ表現の発露』であった。
ドラッグやら、もろもろ良からぬものを使い過ぎた嫌いもあって、弱点を突かれて結局、それらは殆ど潰されてしまったが……。
しかしどうなのだろう、『虚構とまやかし』に満ち、「嘘」や「恫喝」に根ざした今・現在(2022年の今日)の世の中を通覧して……。
もう一度……、
……これら↑↑を再開したら良いのではないか?
或る意味、今・現在(2022年の今日)こそ、あの【ヒッピーたちの想い】の再現を開始すべき”一瞬=とき”なのではないか?
意外に思われるかも知れない(私自身も意外に思う)が、今・現在(2022年の今日)における(本来の日本を取り戻そう・本来の自由世界を取り戻そうと”当たり前のこと”を訴えている)真性保守のムーヴメントは、[反”被支配”体制運動]であるがゆえに、1960年代における”反体制運動=ヒッピー・ムーヴメント”と、むしろ、極めて親和性が高い。
世代的に、ヒッピー・カルチャーの”余韻の名残り”を辛うじて知っている私は、つくづく、そう感じる。
”そっか、(心の中では)ヒッピーやっちゃおうってことじゃん”。
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