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どこで学ぶかではなく、子どもたちは何のために学ぶのかを大切にしてくれる人たちがいる。

サークルに参加してみました。noteを始めてから初めてのことです。

JUNさんのnoteは時折拝見し、素敵な教育感だと思っていました。

このサークルが「子どもを個としてみて、学校という場所だけでない、その子の将来を考えて自立を目指す場所を作る」ことだと知った時。

なんだか心動いてしまったんです。

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我が家の次男の教育は、ホームスクーリング。
これって、最初から選んだというよりは、不登校になったわが子の学力・発達・心の成長に合った教育のスタイルを、探しに探していったら「家庭を中心にいろいろ組み合わせるのがベスト」と落ち着いていった感じでした。

言い換えれば、公教育一か所の中では、息子の想いを汲んで、わが子に合ったものを求めるのは限界と私は判断したという事。

誰が悪いというわけではない。けれど、本音をいえば「公教育の中に、理想の教育があったらいいなと思うけど、ないから仕方ない」という諦めもあったわけです。

でも、今回、学校内外の教育関係者や違う立場でも同じ想いの人もいると知りました。それが相当嬉しかったんですよね。

うちの子は
・耳で聴いたり読んでも記憶に残りにくい。動画で見たり、視覚的に捉えたり、体験をするとスムーズに記憶に残りやすい。
・読み書きは特性での難しさがあり、読みはゆっくりと時間がかかり、書字はタブレットも使用。
・興味のあるなしによっての習熟度の差が大きく、まずは意欲に合わせると学習効率が良い。

だから、集団のペースで集団に合わせた学習はそもそも難しそうだと入学前から思っていました。

学校に通うということは、集団生活の中で多かれ少なかれ、多くの子が「得意なことは楽しみ、合わないものもそれなりにやる」事をしているんだと思います。そうやって環境に適応できる力もある程度、必要なことなのだとも思います。

私は最初、わが子にもそれを求めました。
「わからない授業なんて、窓の外見て空想してやり過ごして、楽しい授業だけ楽しめばいいよ」と。

そしたら、息子に「なんで、大人がこんなにいるのに僕はわからないままで、僕にあった勉強の仕方で勉強できないの?」「みんなと同じように一生懸命やっているのに、僕だけできないんだよ」と言われました。

出来ないと感じながら、その場にいる気持ち。

やりたいことのために少し我慢するのと、ただ出来ないことを我慢して耐えるのは根本的が違う。そして、そんな気持ちで教室にいることの辛さを無視して「窓の外みてればいい」なんて言われたら、そりゃ・・・・・、いやだよね。

支援級も見学しましたし、公的な相談機関にも行きました。いろいろ探しましたが、うちの子にあいそうで本人の望むものはなかなかありませんでした。

「今の公教育の中でお子さんに良さそうなものはなさそうだから、フリースクールの方がいいんじゃないかと私は思いますよ」と、公的な相談窓口でも、親切な気持ちでそう言われたこともありました。

多くの方と連携を取るのは保護者です。

担任の先生とは事務的なこと。
通級の先生はクラスへの適応や、学習サポートのこと。
スクールカウンセラーさんとは、学校との連携の取り方のこと。
放課後デイは発達段階をふまえた支援のこと。
病院の主治医や心理士さんには、発達と心理のこと。
家庭教師の先生には、総合的に親と学習進度を話し合って依頼。
フリースクールでは居場所としての安心感、社会性や自信の育みの連携。

習い事などの調整。

家を中心に教育を整えるということは、これらの各種機関とのマネージメントを全て親がするということでした。

それも疲労感や気力のバランスの大事な息子にとって、量の調整はとても大切です。

親というものはどうしても子どもへの期待が生まれます。「もう少しできるかな?」という欲が生まれます。背中を押しすぎないと心掛けながら、本人と相談しながら少しずつチャレンジを増やしていく。

それは、親の気持ちの調整もなかなか大変でした。

見かねた放課後デイの先生が、その職務の範疇をこえて「お母さんの負担が軽くなるように、一緒に考えましょう」と言ってくれました。

習い事は、子どもの特性と学校に通っていない事で遠回しに断られたこともありましたし、「それは不登校への偏見ではないか!」と、私が感情的になってしまったこともありました。

気持ちも揺れる中で、このマネージメントはかなり大変でした。

結局、子どもに寄り添い、温かく一緒に考えてくださる場所だけが残っていきました。最後に残るのは人と人との想い。

「彼の成長をどうにかサポートしてあげたい」という気持ちを持ってくださった人に支えられて、支援や教育を続けてもらい、そんな輪を広げてここまできました。担当者が変わったとしても、受け継がれたその気持ち。それに助けられて今の形になっています。


だから、このサークルの意味を知って、私は泣きそうでした。

目的の部分で共通認識できる学校の教育者がいるんだ!学校内外でいろんな立場の方がいるんだ。そして、その方たちが学校以外の場も見据えて活動しようとしてるんだってことに、なんだか泣きそうでした。

不登校の子の母という立場から、学校教育の話をするのを少し避けていたところもありました。それは「うちの子は今、公立小学校行ってないから、私にはわからない」という自分の中の少し後ろめたいような気持ちでした。

でも、本当は学校に行けなくなった子に、学校教育を見つめ直すヒントがあるのかもしれない。そんな意味では、私がした体験は意味があるのかもしれない。そんな風にも思えました。

これだけ多くの方に協力してもらって、ホームスクーリングするには、とてもお金がかかります。親がマネージメントする必要もあります。

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ちょうど最近、参加しているボランティア団体宛てに、行政から「行政のサポートのスキマに落ちてしまい、サポートが行き届かずに困っている事例があれば教えてください」との質問が来ました。

だから、ちょうどこのままを伝えてみようかと思います。
それがどれだけの変化に繋がるのかは分かりませんが、まずは伝えてみようと思っています。



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