小·中学生の目線から考える遊戯王OCG
はじめまして。やすなりと申します。
今回、このようなものを書かせていただいた経緯には単純に私自身の疑問を自己解決しようとした試みから来ています。
「なぜ小·中学生の遊戯王OCGプレイヤーが減っているのか」
これにつきます。
単純に「ルールが難しい」「プレイヤーが大人ばかりで新規参入しにくい」と言えば簡単なことですが、もっと深堀りをしていきたいと思います。
推論と体験談をもとに書かせていただいておりますので、稚拙な箇所があるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
1.テレビゲーム及びスマホゲームの普及
まず環境的要因として、これが一番に挙げられると思います。我々大人のYPが小·中学生のころはファミコン~ゲームボーイアドバンスなどゲーム機は存在していましたが、現在では無数にその数を伸ばしているのはデータを参照しなくともわかる自明の理であります。そして今現在のゲームと我々が小さいころ(1990~2000年代)のゲームとは決定的な違いがあります。それは『コンテンツのオンライン化·単純化』です。
1-1.オンライン化でゲームが得たもの·失ったもの
まず、技術の発展とは素晴らしいことであり、あらゆる機能が拡大していくことは個人的にとても良いことだと思います(反加速主義·反発展主義的な考え方もあるので「個人的」とさせていただきました)。話を戻します。
得たものとして、「場所を制限されない」ということです。「何言ってるんだ当たり前のことじゃないか。◯すぞ!」とか思わないでください。これは後に述べる「失ったもの」にも通じます。今現在のゲームは場所に固定されることなく、友人と一緒にプレイしたり、情報を共有することができます。すなわち「直接会わなくても遊ぶことができる」ということです。さらにこれを翻すと「直接会わない遊び」とも捉えることもできます。これがゲームが失った「直接会って」遊ぶ、という側面です。もちろん今現在でも直接会って遊ぶゲームは存在していますが、直接会わないゲームジャンルの方が圧倒的に多いのは、これもまたデータを参照しなくともわかることです。直接会わないことにより、それが子どもにとっての「日常」となります。これを「人付き合いの合理化」と解釈することもできますが、我々世代は「失ったもの」のように見えます。この、人付き合いの合理化を日常にした世代にとっては、わざわざ会ってまでゲームをするのは、「疲れる」というものではないでしょうか。
1-2.ゲームの単純化
今現在でも複雑なゲームは存在していますが、どちらかと言うと大人向けのジャンルがほとんどだと思います。そしてこの単純化こそが遊戯王OCGに対して興味を持たない理由の大きな一因だと考えられます。具体例を挙げると、『ポケットモンスター』シリーズが特に単純化の最たるものだと思います。Switchまで続いているこのシリーズでは、共通してやり込み要素はあるものの、ストーリー序盤で悪戦苦闘する場面が少なくなっているのは、歴代プレイしてきた人は特にわかることだと思います。例えば、四天王との戦いでは回復アイテムを四天王が使用しなくなっている違いがあります。これにより、プレイヤー自身がストレスを感じることなくストーリーを進めることができるわけです。ポケモンだけでなく他のゲームでも言えることですが、いかに「効率よく」いかに「丁度いいストレス」かが、今ゲームに求められているニーズだといえるでしょう。それを踏まえると、世代を重ねる度、ルール変更がされる遊戯王OCGというのはニーズに対して逆行しているとも考えられます。
2.広告宣伝
遊戯王OCGはすでに大人の層で太客を蓄えているので、今さら小·中学生に対してわざわざ宣伝する必要がありません。マスターデュエルのターゲットが復帰勢であることは有名ですが、これも遊戯王が好きなのは大人が多い、という裏付けにもなると思います。加えて遊戯王OCGは「カードゲームが原作」(最初は違いましたが)であることが、広告宣伝するのに難しい要素ではないでしょうか。例えば、ワンピースカードゲーム、ポケモンカードゲームは今現在圧倒的な人気を産み出しています。これらの原作に立ち返ると、ルフィがデュエルするわけでも、ポケモンが召喚されるわけでもありません。前者には漫画の中でカードゲームとは別のストーリー軸を持ち、後者はゲームの中で…言うまでもありません。別軸があるからこそ、子どもにも知られる機会が増えるのではないでしょうか。
3.人と人とが直接会うということ
遊戯王OCGはリモートデュエルなど、新しい遊び方が開発されたものの、イカサマ等を恐れるならば、これはやはりお互いの信頼関係がある程度構築されないと成り立たないものです。故にリモートデュエルをやっている方はほとんどがある程度信頼関係を構築した人とデュエルしているのではないでしょうか。そしてなにより、その環境を整えるための準備というものが、手間を取ります。現在は核家族世帯が増え、所得も下がっている以上、PCなどの環境を整えつつ、デッキを作るとなると、Switchを一台買ってしまった方が圧倒的に楽なのです。また、1-1で述べたように小·中学生の、今現在のゲームを下敷きとした、「人付き合いの合理化」からは直接会って遊ぶカードゲームというのはいささか面倒であります。しかも小·中学生にとってルールも難しいとなると、わざわざ会ってまで難解なゲームをするより、オンラインで電子的に繋がったほうが遥かに楽しいと感じると思います。
4.カードゲームという名のスティグマ
これもやはり大きな一因だと考えられます。SNSは世論だとは思いませんが、遊戯王をはじめ、カードゲームの印象として所謂弱者男性が嗜む趣味であるというステレオタイプはまだ抜けていないのは、皆さんも肌で実感していると思います。子どもができる=結婚=ライフスタイル·趣味·価値観の一致=カードゲームが趣味の男性は女性と一致しにくい=子どもに遊戯王が伝わる機会が減るという構造ではないでしょうか。勿論、インターネットが普及している現代社会では、そこから遊戯王の情報をゲットする子どももいるでしょうし、遊戯王が趣味で結婚し子どもと遊戯王を嗜む世代もいるでしょう。しかし、それは圧倒的マイノリティです。そして人は親の背中大人の背中を見て成長するものです。ルソーが子どもを『白紙』であると例えたように、あらゆる環境的要因が絡み合って、子どもの趣味であったり価値観が形成されるわけです。ポケモンやワンピースのおかげで遊戯王はじめカードゲームの「スティグマ」は弱くなってきましたが、まだまだその影響は強いものだと思われます。
5.YPとしてとるべき姿勢
最初に言っておきますが、~すべき論はあまり好きでないので、読者の皆さんは、あくまで提言として受け取っていただきたいです。
7-1.ガチ·カジュアル論争を避ける
これをするだけで小·中学生だけでなく、大人の新規参入の門を狭めます。理由としては2つです。
·YPどうしでの分断-対立構造を浮き彫りにする
·単純に怖い、滑稽
もちろん、自分はガチ勢である、カジュアル勢であるとかは自己規定しても全く問題ないと思います。しかし、それを他人に押し付け始めた時点で「窮屈なコミュニティ」であると外部から見られてしまうのは当然です。そんなコミュニティをみて小·中学生は「怖い」だとかいい大人が何やってるんだ、「滑稽」だ、と感想を持たれてしまうわけです。ひろゆきに「それってあなたの感想ですよね」(個人的には「論破」という文化は嫌いですが)と言われたことで有名な古谷経衡の『道徳自警団がニッポンを滅ぼす』でも述べられているように、魔女狩りがあった時代から現在に至るまで、人間の「目の前の悪を叩く」という人間の本質はまるで変わっていないのです。その変わっていない本質を受け入れた上で考えると、見ていても気持ち良いものではないガチ·カジュアル論争というお手軽な「悪」は無闇に世に展開すべきでは無いのかもしれません。
7-2楽しそうな姿勢だけを貫けばいい
「6.カードゲームという名のスティグマ」でも述べましたが、子どもというのは、親の背中、大人の背中を見て自己が形成されます。子どもの「白紙」という本質も現在に至るまで全く変わることはありません。我々が遊戯王を単純に楽しみ、それについて自然に話せば良いではないでしょうか。そうすれば子どもという白紙に「遊戯王は楽しい」と描くことができるのではないでしょうか。
…気が向いたらさらに続きを書きます。
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