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故人を思うとき
見出しは里山の小径に咲くヒガンバナです。
今日は秋分ですね。
春夏秋冬のある一年は、四季の移り変わりを感じ、植物を愛でていれば、私たちの五感を通して、地球もまた私たちと同じように生きている存在であると思うことがあります。
意識を変えれば思いを彼方に飛ばすことができることを以前に知りました。それとは少し異なりますが、今日は秋分ですので、亡くなった方を思い出された方も多かったことでしょう。
今は亡き人を思い出すときに、故郷に住んでいる元気な親を思うときと、既に亡くなり天国にいる親を思うときとで、その思う感覚にそれほどの違いはないと思ったことがあります。私の場合です。その人を思うときには、その人が生きているかどうかはあまり関係がないような気がするのです。
今住んでいるこの地から故郷までの距離と、今住んでいるこの地から天国までの距離の違いは、故人を思うときにはそれほど変わりはないのですよね。そのように感じていますね。
となれば、思いとは一体何なのでしょうね。
思いとはエネルギーですよね。
聖者の方々はいろいろなことをおっしゃいます。
三途の川はすぐそこ、あなたの目の前にあるのですよ。
天国というものはあなたの心の中にあるものです。
アカシックレコードもあなたの心の中にあるのです。
などいろいろですよね。
そうそう、「すべてはあなたの中にある」という言葉も知られていますね。
この世はホログラムであるとか、振動とか波とか、ミクロの世界、量子の世界などという言葉は、私にとっては遠い世界の言葉であり、理解からかけ離れています。私はこの三次元の世界に今は肉体を持って生きていまして、この肉体のために畑で野菜を育て、野菜を食べて健康を維持しようとしていて、身体を動かし、意識を整え、考えを調整して、自分なりの在り方を求めているところです。
もし、この世が仮想現実であるとするならば、私は元気溌溂に精いっぱい演技をして、良い役者となり、自分が望む生き方をしたいですね。
おぼろげながら考えていたことですが、noteの記事として文字にすると頭の中が整理されます。noteを始めてよかったと思うことですね。おかげさまです。
リーズ国際ピアノコンクールのファイナルの結果、応援していた一人は優勝、一人は4位でした。この二人の活躍が楽しみです。