種は心、土壌は身体
畑を始めて5年目の秋になり、これから畑ですべきことのおさらいをしています。11月ともなると草の勢いはなくなり、畑に行けばボウボウと茂っていた草は今はもうなくて、畑は何となく整って見えるのですよね。何もしていませんが。
差し迫っているのは豆類の種まきで、来週中にはこれを片付けたいと思うも、土作りが出来ているのはキヌサヤエンドウの畝だけで、スナップエンドウ、グリンピース、ソラマメはこれから土作りをすることとなり、どう考えても、来週の土作りで、再来週の種蒔きとなりそうです。
先にビニールポットに種を蒔いておくという手もありますね。11月中旬を過ぎたら豆の種まきと思っていても、作業が遅いですので、結局は月末の種蒔きになるのは例年のこと。
それでも、たくさんの実を付ける豆類を見ていると、本当に不思議で、自然の恵みの偉大さを感じるのです。
種を蒔けば、数日で小さな芽が出て、それがだんだんと伸びて、大きく育っていく様子は、珍しいことでもなんでもなくて、それはみんなが知っていること。
当たり前すぎて説明することは何もありません。大気や空気にどのような作用があるのか知りませんし、どのような物質が含まれているのかも知りません。知っているのは、私たちは空気中で呼吸をし、必要なものを身体に取り込んでいるということで、空気のおかげで生きています。
スピリチュアルでのたとえ話で、「種は心、土壌は身体」と聞いたことがあります。まずは種を植え付けることが重要で、それを育てる豊かな土壌を用意することで、明確な意図としての心を種とし、その心を育てることが出来る豊かな土壌のような身体を作りましょうということ。
身体が豊かな土壌であると私たちの心が察すれば良いことですので、別に健康体でなくても良いのです。心が身体をどのように感じるかであって、私たちの心次第となりますね。
土に種を蒔き、芽が伸びていく様子を見ていると、育てるということを具体的にはっきりと目にすれば、心を身体で育てることがぼんやりとでも姿として見えてきて、畑を始めてからはスピリチュアルの言葉を体験できるように思え、本当に、野菜育てはスピリチュアルであると感じますね。
どうしてそうなのかしらと思うことがあります。野菜作りは自然とのコミュニケーションが大切で、自然の力なしには野菜は育ちません。私たちも自然を感じて自然と繋がっていればこそ、本来の私たちの力強さが出て来ると、最近は思うようになりました。
街にでればそこにいるのは人間だけです。目に入るのは人間がほとんどで、虫や微生物は数えきれないほどいるのでしょうが、目で確認できるところでは人間やペット類だけですね。
自然界は複雑であり、何がどうなっているのか私には見当が付きませんが、明らかなことは、人間は部外者であるということ。
その自然の中に入っていくと、そばの里山ですが、そこはコンフォートゾーンではないのですが、そこはコンフォートゾーンだよと、何かが私に語りかけていて、それは無意識かもしれませんが、だんだんと里山の畑が居心地の良い場所となりました。
畑はいろいろと教えてくれますね。スピリチュアルで知った言葉で、今までは頭の中だけのものから、体験としてそれを感じることがあります。
見出しの写真はず~っと前のポストカード。見出しは横長で上手く載せられませんでしたので再度登場です。
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