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【自殺】自由がいいけど縛られたい
私が自殺をしたくなった理由は
人生のつまらなさ
だと今のところ考えている
(もしかしたら違うのかもしれないけど)
何をしても満たされない
何をしても刺激が足りない
そんな中、個人事業主である私は
仕事を辞めるのも意外と簡単だ
量のコントロールもできる
一部、組織で働いている所もあるので
週に何回かは外に行く
しかし、廃人のようになった私はミスばかり
自殺念慮が生じてからは悲惨な毎日だ
今まで割となんでも器用にこなすタイプだったから
仕事の評価も高かったが
どうにもこうにもうまくいかない
(当然と言えば当然だが)
人生の虚無感を感じるが
生きるためにはお金を稼がなければいけない
そのためには無理やり仕事をしなければいけないが
個人事業主としては、これがまた辛い
虚無感ということは、もうやりたいことがない
やりたいことリストは全て叶えた
達成と同時にくる虚無感
「まだ死にたくない」と夢を持ちながら死ぬ人を
少しかわいそうに思っていたが
むしろ、寿命の間、夢に充実している人は幸せなのでは
ないだろうかとも思えてきた
結局、生きるためには、社会からの拘束がないといけない
人生の意味を主体的に探せないのだから、受動的に与えていただくしかない
しかし、困ったことに
私は小中高と不登校の連続だった
高校生は義務教育ではないため卒業するには、一定の出席日数が必要だ
しかし、一定と言っても、1/3出席をすれば良いということは
高校3年間で2年間だけ登校すれば卒業できることに
気がついてしまった高校1年生の私は
当然、毎日のように休むようになる
結局、私は社会から拘束された時に、素直に拘束されて
暮らしたという経験がないのだ
だからこそ、なかなか、一般企業に就職して
受動的に生きようとも思えない
そういえば、東京事変の能動的3分間
歌詞に意味を考えたことがないが
なんだろう?
私は今、
能動的に生きようとしても生きられないし
受動的に生きようとしても生きられない
じゃあ、今noteを書いている私はどっちなんだろう
誰かに書かされているわけではないし、お金が発生しているわけでもない
ってことは、何か執筆には主体性を感じるから能動的な存在なのだろうか
でも、自殺の淵に立ってみて、どうにも死ねないから
エッセイストという与えられた箱庭に体良く収まっている受動的な存在な気もする
しかし、どちらにしても、こんなことを
あーだこーだ書いていられる私は幸せなのかもしれない
でも、今すぐ死にたい、こんな文章もう書きたくない
明日が来てほしくないのに、明日を生きるために執筆をする
もうわけがわからない。気が狂いそう….